七年後、毒精霊の秘めた誓い


 あれから、七年の月日が経ちました。


 もうすぐ十六歳になるチャールズ坊ちゃまは、美しい青年へと成長いたしました。


 窓から入る朝日で艶めく黒髪に、きめ細やかな白い肌。長いまつ毛に縁どられたオリーブの瞳は一見すると儚げでもありますが、理知を宿した凛と澄み渡るその眼差しには、強い意志が秘められています。


 スラリと伸びた足を組んで椅子に座る坊ちゃまの視線は今、手元の書類に注がれていました。


特許薬とっきょやくの売り上げも順調、ギルドに納品した薬も完売、も滞りなし……今月の研究費も、どうにかなりそうだ」


 坊ちゃまはそう言いながら、私の宿るアメジストのペンダント――世間一般に『精霊の家』と呼ばれる魔道具に目を落とします。


『つつがなく進んでいるようで何よりでございます、坊ちゃま』


 私は『家』から坊ちゃまに念話で答えました。精霊とその主の間には契約によって結ばれた魔力マナの繋がりが存在します。


 坊ちゃまと私の契約は『魔力を得る代わりに、ボルジアを超える薬師となるまで協力し、坊ちゃまの身を守る事』です。


「これなら、そろそろ工房を建てて良いかもしれないな」

『それは良うございます! この部屋も手狭になって参りましたからね』


 私がそう言うと、坊ちゃまは椅子に座ったまま振り返り、部屋を見渡します。


 天井まで届く棚が部屋の壁を隙間なく埋め、その棚の中にも坊ちゃまがこれまで集めた薬草や魔法薬の試作品、論文などの研究書類や、ご自分が手掛ける事業の報告書などがギッチリと詰め込まれています。

 棚に入りきらなかった器具はいくつかの大きな木箱に纏められ、その隙間を縫うように薬草を栽培している鉢植えが、床の上や天井から吊るされ、ひしめき合っておりました。


「物が増えたのもそうだけど……を気にせず作業できる空間が欲しくてな……」


 あの二人――チャールズ坊ちゃまの父君と弟君は、昔からチャールズ坊ちゃまが薬師として活動する事を好ましく思っておりませんでした。


 曰く『伯爵家の嫡男が内職しているなど恥ずかしい』とか。『金儲けの事ばかり考えてみっともない』とか。私には理解しがたい言い分でございます。


 しかもチャールズ坊ちゃまがやる事成す事全てに難癖をつけてくるのに、薬師としての活動で利益を上げていると知るや、自分たちにも取り分を寄こせと言うのです。


 自分たちは坊ちゃまに銅貨一枚すら出し惜しむのに、育ててやった恩に報いろだの、伯爵家に金を入れずに利益を独占するなど次期領主として相応ふさわしくないだの。


 結果、あの二人からの無用な口出しを避けるために、坊ちゃまはアドルナート家に売り上げの半分を納める事になって――ああ、思い出すだけで腹立たしい!


「カンタリス。魔力マナおさめてくれ。書き物ができない」

『あら、失礼しました』


 どうやら怒りで魔力が溢れていたらしく、机の上に置かれた天秤や試験管などがカタカタと小刻みに震えておりました。


 私としたことが、はしたない。ボルジアの元に居た頃は、感情も露わに魔力を荒ぶらせる事などなかったと言うのに。


 どうやら私は、この七年でスッカリと坊ちゃまに毒されてしまったようです。


 坊ちゃまは愛用の万年筆を取り出すと、反故紙の上に工房の建築予算の見積もりを書き出していきます。カリカリと楽し気に紙の上を滑るペン先の音が、私の耳を心地よく揺らします。


 かつて何もかもに打ちのめされていた少年は、七年の間あらゆる困難に立ち向かい、時に被る理不尽にもめげず、どんな場面でも己がつくせる最善を尽くし、今や己の工房を手に入れようとしているのです。


 彼に力を貸し、その身を守る事は、もう私にとって前主ボルジアの命令以上の意味を持ってしまいました。


 ――この若く聡明な主の行く末を守りたい。いずれ来る最期の時まで傍に居たい。

 ――貴方の行く手を阻むものがあれば、どんなものも退けて見せましょう。


 坊ちゃまの胸元で揺れるアメジストの中で静かに物思いにふけっていると、不意に後ろにあった部屋の扉が叩かれました。


「チャールズ様、よろしいでしょうか。旦那様がお呼びです」


 扉の向こうから聞こえたのは、家令の声でした。


 これが、チャールズ坊ちゃまの人生を大きく揺るがす波乱の呼び声になるとは、この時の私たちには想像もしていませんでした。



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