毒殺師の後継者

鳩藍@『誓星のデュオ』コミカライズ連載中

第一部

プロローグ

七年前、ある毒殺師との約束


 それは、とてもひどい雨の日の真夜中の事でした。


 街外れの空き家の中で、薬作りをしていた私の主の元に、一人の子供が走り込んできました。 


 主が薬作りを教えている貴族の男の子。名を、チャールズ・アドルナートと言います。


 波打つ黒髪を振り乱し、血色の良い丸い頬を寒さで真っ青にして、この世の全てに傷つけられてきたかのような、憔悴しきった顔で主の前に立ちました。


「師匠……師匠は、『エリクサー』を作れますか……?」


 ドオン、とすぐ近くに雷が落ちました。

 この雨の中、一体どれほど駆け回ったのでしょうか。仕立の良い服は水を吸ってベットリと小さな体に纏わりつき、白い靴下も滑らかな革靴も、泥で真っ黒になっております。


 私の主はじっと男の子を見下ろすと、ややあって口を開きました。


 ――エリクサー。あらゆる傷、毒、病を癒し、失った肉体でさえ再生させる『神薬』だ。調合が非常に難しく、作れる薬師は滅多にいない。その効能と希少性から、王侯貴族の間では破格の値段で取引される。


 ――自分の手元にさえ、たったの一本しかない。


 それを聞いた瞬間、男の子はその場で這いつくばり、床に頭を擦りつけながら言いました。


「お願いします! そのエリクサーを売ってください! 手持ちのお金は全部差し上げます! 残ったお金も一生かけて払います! だから、どうか……お願いします……」


 十にも満たない貴族の子供が、ほこりまみれの廃屋に這いつくばり、涙声で慈悲を請う姿を、私の主は鼻で笑いました。


 ――田舎貴族の跡取り、それもまだほんの子供風情に稼げる額なんてたかが知れているし、稼げた頃には自分は老いてこの世に居ない。希少な神薬をタダと変わらない条件で譲るわけがないだろう。


 愕然とする男の子の前に、主はゆっくり歩み寄りました。


 ――だから、お前が作って返せ。

 ――自分が持つ知識と技術の全てを与えたお前に、作れないとは言わせない。


 信じられない、という顔で座り込んだままの男の子の手に、エリクサーの小瓶を握らせました。


 ――お前は、この毒殺師ボルジアの後継として、毒殺師を超える薬師になれ。


 そして私が宿るアメジストのペンダントを外し、男の子の首に掛けました。


 ――カンタリス。あらゆる毒と病の精よ。この子を見ててやってくれ。

 ――この子が決して、自分と同じ道を歩まぬように。

 ――自分が至れなかった高みに至る薬師となるまで。


 かしこまりました、我が主ボルジア。

 今より貴方様に代わり、私がこの子を見守りましょう。

 この子が約束を果たし、毒殺師を超える薬師となるまで。


 男の子は胸元のペンダントにじっと視線を落とします。私はペンダントから姿を現し、男の子の前に立ちました。私の胸元よりも低い場所から見上げる、不安と期待が入り混じるオリーブ色の瞳を、私は真っ直ぐ見つめ返して言いました。


「よろしくお願い致しますね、坊ちゃま」


 こうして私はかつての主ボルジアの元を離れ、坊ちゃま――チャールズ・アドルナートと共に歩んでゆく事となりました。


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