ブレッサ=レオーニ伯爵領⑤


「そんなふざけた話があるかあ!!!!!」


 私――バネッサ・ヴィオレッタは、フランツの言葉を聞いた瞬間、ソファの背に拳を叩き込んで立ち上がった。


「嫡男である従弟殿チャールズに銅貨一枚も寄こさない癖に、次男に出す金に上限がない!? 従弟殿が考えなしの浪費家というならともかく!

 アイツは、チャールズは! 幼い頃から民の暮らしを考え、自ら足を動かし、結果を出した男だぞ!? 断じて、そのような無体な扱いをされて良い人間ではない!!」

「バネッサ様、落ち着いてください! 伯爵の前です!」


 イベッキオが私を座らせようと肩を掴むが、私は構わず立ったままフランツを睨みつけ、激情のままに吼える。


「なぜ何も言わなかった!! 主人の不当な扱いを、どうして誰にも訴えようとしなかったんだ!!」


 その言葉に周囲がシンと静まり返った。大広間に私の荒い息遣いだけが響く。


 ――しまった、と思った。


「座りなさい、バネッサ。

「……失礼いたしました、アマーリア様」


 私はアマーリア様に頭を下げた後、フランツに向き直り、同じように頭を下げた。


「貴殿と、貴殿の主への失言を謝罪する。誠に申し訳なかった」

「謝罪をお受けいたします、バネッサ様」


 そしてミカエラ様にも頭を下げて、私はソファに座り直した。


 従弟殿チャールズがなぜ自分の窮状を周りに訴えなかったか。

 簡単だ。彼がアドルナート家の嫡男だから。


 嫡子である自分に十分な金が渡されていないと訴えれば、アドルナート伯爵家が困窮していると思われ、周りの貴族たちから侮られる。

 それは、自分が継ぐことになるアドルナート伯爵家の地位を自分で落とす事。それで将来、誰が一番損をするかと言えば、家を継いだ従弟殿チャールズ本人だ。


 よしんば自分の窮状を他家の貴族に頼って解決しようものなら、従弟殿はその貴族に対して大きな借りを作る事になる。そうなった場合、従弟殿ひいてはアドルナート伯爵家はその貴族に頭が上がらなくなってしまう。


 ゆえに、アドルナート伯爵家を継がねばならない立場の従弟殿チャールズは、周りに助けを求めることは許されなかった。


 そんな状況で『助けを求めろ』と言うのは、『貴族としての誇りを捨てろ』と告げるに等しい。誇りを捨てれば弱者と見なされ、他の連中に食い散らかされるだけだ。


 ――我ながら、短慮に過ぎたな。


 アマーリア様は最初に『最低限のマナーを守れ』と示し、先程の失言を『行儀が悪い』と嗜めた。

 暗に『お前が発言する資格はない』と宣告された以上、ここから先は大人しくしているしかない。


 私は冷めた紅茶を一息で流し込み、アマーリア様の次の発言を待った。


 ◆


 話し合いの一つの山場を越え、俺――フランツ・マリオッティは心の中で一つ息を吐いた。

 一先ず、チャールズ様が廃嫡と追放を受け入れざるを得なかった状況にあった事はどうにか理解してもらった……と思う。


 婚約者のミカエラ様に、従姉のバネッサ様。この二人は、チャールズ様との付き合いも長く、良好な関係を築いている。伯爵家でのチャールズ様の扱いを訴えれば、二人は必ずチャールズ様の味方になると踏んでいた。


 だが、それだけでチャールズ様の立場が決まる訳ではない。


 俺は正面に座る屋敷の主人――アマーリア・ブレッサ=レオーニ伯爵にさりげなく目をやった。赤い羽根飾りの付いた扇を口元に当て、目を閉じてジッと座っている。

慎重に情報を整理しているのだろう。


 何せ、全ての決定権は伯爵にある。


 二人がチャールズ様の行いを是としても、伯爵が否と言えば否なのだ。

 やがて考えがまとまったのか、伯爵はゆっくりと目を開いてこちらを見据える。


「……貴方の主人が廃嫡と追放に甘んじた理由は、よくわかったわ」


 けれど、と伯爵は続けた。


「肝心のチャールズ殿は、一体どちらにいるのかしら?」


 ――ここからが本番だな。


 頭を切り替えた俺は、伯爵の目を真っ直ぐ見て言う。


「主からは『王都に身を隠す』と聞いております」

「こちらの領に来なかったのが何故かは、聞いている?」

「ブレッサ=レオーニ伯爵領に限らず、他の貴族の領に身を寄せて、『追放された自分をかくまっている』などと言いがかりを付けられれば、相手方にも迷惑が掛かると」

「あらまあ、随分と殊勝な事を言うのねえ」


 それとも、と伯爵は続けた。


「言い訳一つもまともに出来ない腑抜けた臆病者なのかしら?」


 ――そう来たか。


「お母様! そんな言い方は……!」

「黙りなさいミカエラ」


 実の母の物言いに抗議しようとしたミカエラ様の言葉を、伯爵は冷え切った声で一蹴する。


「フランツ・マリオッティ。チャールズ殿の従者であるなら、を知らないとは言わせないわよ?」


 鋭く言い放った言葉に全員が黙らされた。上に立つ者としての有無を言わせぬ威圧がその場を支配する。


 貴族の結婚は、その多くが政略結婚と言っていい。当人同士の恋愛によって成立するのも勿論あるが、どちらかと言えば少数だ。


 家同士が子息令嬢の結婚を通じて繋がる事で、貴族たちの中における立場を強化する、或いは直接的な利益を得る。爵位が上の家である程に、その傾向は強い。


 伯爵家同士の結婚ともなれば当然、そこに政治的な意味合いを含まない筈がない。


「我が主チャールズとミカエラ様とのご婚姻によって、レオーニ辺境伯領に隣接する両家の結束を深め、レオーニ辺境伯家の国境における防衛力強化に繋げる事です」


俺の答えに伯爵は、冷然とした瞳をニィと歪ませる。


「その通り。我らがスティーヴァリ王国の国境における影響力に関わってくるこの婚姻は、間違っても一領主の独断で反故にして良い物ではなくてよ。

 まして、爵位も持たない一令息の身勝手な振る舞いを看過できる余地なんてないわ」


 パチン、と音を立てて閉じられた扇が、俺に向かって突き付けられる。


「あなたの主は、この事にどう申し開きをするつもりかしら?」


 見目麗しいかんばせが、獰猛かつ優美な微笑に歪む。


 伯爵に対して情状酌量を請うのは、無理だ。政略結婚である以上、ブレッサ=レオーニ伯爵家に対して、チャールズ様はご自身で何かしらの形で責任を取らねばならない。

 具体的にはまず謝罪。そして金銭または利権による賠償。


 ――俺がこの場で出来るのは、チャールズ様の責任の割合を可能な限り減らし、減刑の余地を作る事まで。


「我が主チャールズの振る舞いに対する申し開きは、従者たる私の口からは出来ません。我が主が責めを負うのであれば、私は主と共に甘んじて受け入れるのみでございましょう」


 ただ、と俺は続ける。


「その前に、ご覧になっていただきたいものがございます」


 俺は懐から、小さな箱を一つ取り出し、ローテーブルの上に置いた。


「我が主チャールズから、ミカエラ様への成人祝いの品でございます」




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