ブレッサ=レオーニ伯爵領⑥


「成人祝いの品……ですか?」


 そう言って私――ミカエラ・ブレッサ=レオーニは、ローテーブルに置かれた小さな箱に目を落とす。

 鮮やかな藍色のビロード生地が張られた丸みを帯びた箱に、金色の刻印が押されている。


「あらまあ、デル・ペッツォ! 王室御用達の宝石商じゃない!」


 先程まで冷徹で残忍な領主として君臨していたお母様の声から、険しいものが消える。どうやら素で驚いているようで、用意された宝石に興味深々だ。


「従弟殿が……宝石?」


 お母様とは逆に、バネッサからは疑念の声が漏れる。普通の女性だったら、お母様のような反応をするのだろうけど、チャールズ様を知る私たちは、贈り物が宝石と言われると、バネッサと同じ感情を抱かざるを得ない。


『派手な服とか宝石見て『税金で着飾るな』って思うの俺だけかな』


 前に三人で夜会に参加した時、チャールズ様がボソリと零した一言だ。バネッサに『財力を見せ、領地の繁栄を周知アピールするのも貴族の務めだ』とコッソリ嗜められていたのを憶えている。

 私はその一言を聞いてから、宝石はなるべく小ぶりなものを付けるように心掛けているのは、ここだけの話。


 そんなチャールズ様から、宝石。ただただ違和感しか持てない。


「ミカエラ様、念のため中身をあらためさせていただきます」

「え、ええ」


 私の後ろに控えていたクロイツの声で我に返る。


 贈り物は本来、相手の屋敷に訪れた時点で使用人に渡すのが貴族の通例だ。あらかじめ中身を検め、毒や仕込み針の有無を調べ、安全が確認されて初めて相手に手渡す事が許される。


 例外として、贈り主が目上の方で、調べることが失礼にあたる場合や、使用人に預けるにはあまりに高価過ぎる品は、贈り主から手渡すことが出来る。目の前の品は後者にあたるから、フランツも今まで出さなかったのだろう。


 ローテーブルの上の箱がクロイツの手に収まる。箱の外周をなぞって仕込み針がな

い事を確かめ、胸の前で箱をそっと開き……


「――……っ!?」


 ヒュッ、と音を立てて息を呑むと、素早く箱を閉じた。


 驚愕を顔に張り付けたまま、クロイツがぎこちない動きでフランツを見る。


「フランツ……殿。聞きたい事が」

「はい、何でしょうか?」


 フランツはイタズラが成功した子供のような意地悪な笑顔で応じた。


「……を、いつから用意していたので?」

「ミカエラ様との婚約が正式に決まった時から、我が主はを贈りたいと申しておりました」


 クロイツは一度深呼吸してから、私に向き直って頭を下げ、両手で持った箱を差し出した。


「申し訳ありません……俺が最初に目にして良い品ではありませんでした」


 彼の言葉に戸惑いながらも私は箱を受け取った。


 ――チャールズ様が、私にずっと贈りたかったもの。


 掌の上に置かれたビロードの手触りからは、全く予想がつかなかった。


 私がチャールズ様の成人祝いに贈ったのは、万年筆だ。派手なだけの記念品はきっと好きではないだろうから、長く使えて役に立つ品を。


 彼はとても喜んでくれて、それから月に一度、その万年筆で手紙を書いて送ってくれるようになった。


 他愛のない日々を綴ったそれらを読む度、彼が見る景色を共有できて嬉しかった。

 もうすぐ彼の隣で同じ景色を見られるのだと、心が躍った。


 ――私は、あなたの隣に居たい。

 ――ねえ、あなたは?


 祈る様に、確かめるように。私は箱のふたを開ける。


 ……を見た瞬間、私の胸から熱い何かが全身を駆け巡った。


 声も出ない程に凍えていたのが嘘のように、私の内が暖かなもので満たされる。

 受け止めきれない程の温もりが、私の瞳から溶け出して溢れた。


「…………真珠を……私に、くれるのね…………」


 箱の中にあったのは、真珠のペンダントと、同じ意匠のイヤリングだった。


 銀の細い鎖に通されてたのは、随所に小さなエメラルドをあしらった、植物の蔓を模した銀細工の台座。

 それだけでも見事な台座の上には、傷も歪みもない真円の、とろりとした光沢を放つ大粒の真珠。気品のある滑らかな輝きは、神々しいとさえ思うほど。


 イヤリングは銀の留め具の中央にエメラルド、その下にこちらも傷一つない、左右で同じ形をした雫型の真珠が使われていた。


「真珠? 真珠を贈られたのですか、ミカエラ様?」

「あらまあ、真珠なの? 私たちにも見せて頂戴な」


 零れる涙もそのままに頷くと、クロイツが箱をそっと受け取って二人の前に置く。それから、何も言わずにハンカチを差し出してくれた。

 ひんやりとした布地に触れて、自分の指先が信じられないくらい熱いことにようやく気付く。


「こんな大粒の真珠、初めて見たぞ……しかも丸い……!」

「おまけに傷も歪みもなし。これ下手すりゃ金貨じゃなくて、宝貨が飛びますよ……」


 バネッサと従者のイベッキオは、愕然とした顔で真珠を見ていた。


 真珠は他の宝石のように研磨する事が出来ない為、歪んで傷があるのが当たり前。しかも大体が小指の爪ほどの大きさもない。


 しかし海に潜らねば手に入らない希少性から、どんなに小さくいびつでも、傷の無いものはそれなりに値が張る。

 貴族の間では財力のアピールも兼ねて、不揃いな真珠をいくつも繋げてネックレスにするのが普通だ。イヤリングの場合は、傷が少なく似たような形の真珠を揃える。


 傷も歪みもない真円の真珠と、同じ形の雫型の真珠を二つ揃えるとなると、どれ程の手間と時間、そして金がかかったのか。


 でも、それ以上に。


「はあ……真珠はずるいわあ……」


 お母様が、扇を口元に添えたまま呟いた。


 スティーヴァリ王国において、『恋人に真珠を贈る事』には大きな意味がある。


 深い海の底で長い年月をかけなければ生まれない真珠を、愛する者に贈るという事。


『生涯をかけて、あなたと愛を育みたい』


 それは紛れもない、愛する人からの誓いの言葉だ。

 チャールズ様は、あの素晴らしい方は。ずっと、私を想ってくれていたのだ。


 ――私は、一体何に怯えていたんだろう。


 色々な感情が混ざり合って、嗚咽となって口から零れる。

 ただ、ただ、全身が熱い。生まれて初めて感じる、行き場のない情動をどうしたらいいかわからない。


「それから、我が主チャールズよりミカエラ様へ言付けを預かっております」

「言付け……?」


 涙が染み込んだハンカチに顔を埋めていた私は、フランツの言葉に顔を上げる。


「『直接渡せなくてすまない。どうか息災で』と」

「そっ……れ、は……」


 フランツは沈痛な面持ちで頷いた。


「我が主チャールズは、自らの行いがミカエラ様との今生の別れを招く事を覚悟の上でした。だがせめて、自らの気持ちだけはミカエラ様に伝えたいと――」


 フランツの言葉を最後まで聞かない内に、私は弾かれたように立ち上がっていた。


「お母様、私、チャールズ様と結婚したい! あの方以外との結婚なんて絶対に嫌!!

 この真珠を、あの方の手で私に付けてもらいたいの!!!」


 はしたないとか行儀が悪いとか、頭をよぎる事すらなく、私は叫んでいた。


 お母様は目を見開いてこちらを見た後、一瞬だけ柔らかな笑みを浮かべ、そして呆れたようなお顔になった。


「フランツ殿。貴方の主への処置は追って伝えましょう……これまでの事を考慮した上で、ね」

「はっ。寛大なる御言葉、我が主に代わって深く御礼申し上げます」


 お母様の言葉に力が抜けた私は、熱くなった頬に両手を当てたまま、ポスン、とソファに腰を下ろす。


「今日はもう遅いですし、そろそろ夕食の時間でしょう。今後の対応は、明日決めるとしましょうか」


 お母様の一言でこの場は解散となり、今日の話し合いは終わった。


 ◆ 


 夕食を食べた後、自室で真珠を眺めながら、私は一つの決心をした。


 今までの私じゃ、考えもしなかった事だったけれど、今の私にはこれしかないと、自分でも驚くほど納得できる決断だった。

 

 冷たく静かな夜の屋敷を駆り立てられるままに歩み、お母様の部屋の扉を叩く。

 少し驚いた様子のお母様に、私は胸の内の決意を告げた。


「お母様、私――チャールズ様を追いかけたいです」






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