ブレッサ=レオーニ伯爵領④


「アドルナート伯爵に個人資産を奪われれば、チャールズ様は死ぬのです」


 チャールズの従者フランツの言葉に、一瞬その場が静かになった。


 私――バネッサ・ヴィオレッタは真偽を探ろうとフランツを凝視する。主人の死を事もなげに言い放った赤毛の色男の顔は真剣そのものだった。


「あらまあ……そちらの家は随分、穏やかじゃないのねえ?」


 上座に座るアマーリア・ブレッサ=レオーニ伯爵は、赤い羽根飾りがついた扇で口元を覆う。


「どういう事なのですか? チャールズ様の身に危険が迫っていると?」


 私の正面に座るミカエラ様も身を乗り出してフランツの方を向く。膝の上で重ねられた手をきつく握りしめていた。


 フランツは淡々と話を続ける。


「アドルナート領を離れた今となっては、差し迫った危機はございません。あくまで、それはチャールズ様にとって死と同義になるのです」

「……現状、直接の危害がある訳ではないが、金を稼げなければ従弟殿の身がいずれ……危険、だと?」


 私なりに噛み砕いた言葉に、フランツは無言で頷いた。


「バネッサ様。不躾な質問になりますが、話を進める上で伺いたい事がございます。無論、ヴィオレッタ子爵家として答えられないものであれば、具体的な回答はなさらずとも結構です」

「ふむ……私が答えられるものであれば」


 私に向き直ったフランツが、改まった顔で言う。迂遠な聞き方に首を傾げつつも応じた。


「バネッサ様は月にいくらまでの金を、ご自分の意思で自由に使えますか?」


 内容を反芻はんすうし、答えを考えながら質問の意図を探る。


 貴族の子が自由に使える金。つまり親である貴族の収入のうち、国に納める税と衣食住を賄う分、それに臣下や使用人たちへの給与などの必要経費を引いた分から、親である貴族に使って良いと許される金額。


 ヴィオレッタ子爵家のおもな収入源は、領民に課す税金だ。次いで旅人や商人が払う関所代や宿代が少々。それらを併せて現金に換算すれば一年でおよそ金貨五千枚。一ヶ月だとおよそ金貨四百十六枚だが、細かいのでおよそ金貨四百枚と考えよう。


 それから、王国から爵位ある貴族全員に与えられる『貴族年金』。子爵である父上は月に金貨百枚を賜っている。更に主家であるブレッサ=レオーニ伯爵家から、俸給として一ヶ月に金貨五十枚。


 これらを全て合わせると、我が子爵家の一月の収入はおよそ金貨五百五十枚。


 そこからまず王家に納める税金を引く。次に領地の経営に必要な諸経費――そのほとんどが人件費に充てられる。即ち子爵家に仕える領主への俸給、使用人たちへの給与などだ。

 それから月の衣食住の費用等などを差し引けば、父上が自由に出来る金は、月におよそ金貨百二十枚と言った所だろう。


 父から月いくらまでなら使っていい、と細やかな金額を伝えられた事はない。私は子爵家の第一令嬢であり、他に兄弟は居ない。だから言って父上より多くの額を私が浪費するわけにはいかないだろう。


 平時であれば精々、一割が限度か。


「多く見積もって金貨十二、三枚といった所だろうな。ただ、私自身は余り金を使う性質ではないから、実際に使っている額はもっと少ないぞ」


 貴族の令嬢が一番金を使うのはやはり身だしなみに関する物だろう。ドレス、香水、アクセサリー。挙げればキリがないが、私はあまりその辺りにこだわっていない。精々普段使いの化粧品か、季節の変わり目に社交用のドレスを買い替えるくらいだ。


「バネッサ様、答えてよろしかったので?」


 後ろに控える従者のイベッキオが怪訝な声で聞いた。正面に座るミカエラ様も、私に戸惑った顔を向けている。

 まあ確かに、自分の懐具合を他人の前で話すのは余り品がない。悪巧みする輩に付け込まれない為の自衛の意味でもよろしくないからな。


「話を進めるためだ。それに、この場には信用できる人間しかいない。悪用される心配をする方が無礼だぞ、イベッキオ」

「はっ、失礼いたしました」

「それで」


 先程の発言を思い出しながら、私はフランツに問い返した。


「従弟殿は、使?」


 フランツは『伯爵家で金を稼ぐ手段がなければチャールズは死ぬ』と言った。

 この発言と先程の質問を結びつけるなら、従弟殿チャールズは伯爵家の金を使う際に何らかの条件を設けられているか、金額の上限が低いか。いずれにせよ、『何かしらの理由で金銭面の不自由を強いられていた』と推測できる。


 フランツは大きく息を吐いた後、意を決したように言った。


「ありません」


 一瞬、言葉の意味がわからなかった。


「アドルナート伯爵の命令により、チャールズ様は伯爵家の金を使う事が許されておりません」

「…………は?」


 あまりの答えに私は自分の口から間抜けな声を出す事しか出来なかった。


 アドルナート家はなのだ。当然、子爵家以上に裕福であり、金に困っていると言う話も聞かない。と言うよりむしろ、従弟殿の事業のおかげでアドルナート領はいっそう栄えていると言ってもいい。


 何より、従弟殿は嫡男だ。アドルナート家の一員であり、いずれ家を継ぐ存在。伯爵家においては、現当主の伯爵の次に重んじられて然るべき人間。


 そんな従弟殿が、家の金を自由に使えないと?

 子爵家の使用人でさえ給与を銀貨で受け取れると言うのに、伯爵家の跡継ぎが銅貨一枚すら使う事が許されないと?


「アドルナート伯爵曰く、『いずれ伯爵家を継ぐ者が、伯爵家の財産を自分の好き勝手に使うようではいけない』と。

 故に、伯爵家にはチャールズ様が自由に使える金はありません」


 ――理解できない事に直面すると、言葉が出なくなると言うのは本当なのだな。


 金で身を持ち崩さないように上限を決める、あるいは金の使い道を制限しておくと言うなら、わかる。

 だが身を持ち崩すどころか、自分の事業で伯爵家の金庫を潤わせている従弟殿に金を使わせないとは、どういう事なのか。


 ここまで考え、気付く。


 従弟殿は事業で得た利益の半分を伯爵家に納めている。にもかかわらず、伯爵は従弟殿に家の金を使う事を許していない。

 つまり伯爵は、実の子である従弟殿チャールズから、長期間に渡って一方的に金を搾取していた事になる。


 ――もし、廃嫡と追放を免れるために伯爵の要求を呑んでいたら。


 チャールズは稼いだ金を全て捧げるが、伯爵家は銅貨一枚だとて自由に使わせない。衣食住だけは保障してくれるが、それ以外の全ては顧みられない。

 

 その扱いは最早、家畜だ。

 世話さえしていれば金を吐き出し続ける便利な畜生。

 

 『


 その言葉の意味を理解して戦慄する私に構うことなく、フランツは更に話を続ける。


「そして、チャールズ様には一つ下の弟であるルチアーノ様がいらっしゃるのですが……」


 彼の口から放たれたのは、先ほどの言葉を上回る衝撃的なものだった。


「アドルナート伯爵曰く、『弟のルチアーノはこの家を継げない哀れな立場なのだから、せめて金ぐらい自由に使わせてやれ』と。

 故に、伯爵家では次男のルチアーノ様が使える金に上限はありません」


 聞いた瞬間、私の中で何かが切れる音がした。


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