ブレッサ=レオーニ伯爵領③


 ブレッサ=レオーニ伯爵邸の応接間で、俺――フランツ・マリオッティは、アドルナート家で起きた一連の出来事を事細かに語った。


 チャールズ様が薬師としての事業で稼いだ金を伯爵家に納めていない事を理由に、アドルナート伯爵から廃嫡と追放を命じられた事。

 事業で得た収入の半分に加え、税金まで納めているにもかかわらず、大勢の使用人たちの前で『伯爵家の資金を着服している』と弟君のルチアーノ様から糾弾された事。

 実の父親である伯爵から『収入を全額納めるなら、廃嫡も追放も取り消す』と要求された事。

 そして、チャールズ様が要求を断り、廃嫡と追放を受け入れて領を離れた事。


「……あらまあ。貴方の主は随分な目に遭ったみたいねえ?」


 俺の正面に座る、女領主――アマーリア・ブレッサ=レオーニは、ローテーブルに置かれたティーカップを取り、ゆっくりと紅茶に口を付ける。

 向かって右側に座るチャールズ様の婚約者・ミカエラ様は真っ白な顔になって絶句。膝の上に重ねた両手がわずかに震えているのを、後ろに控える従者のクロイツが一瞬だけ心配そうにチラリと見やった。


 そして。


「……ブレッサ=レオーニ伯爵、私から一つ確認したい事があるのですが、よろしいでしょうか?」

「アマーリアでよくてよ、バネッサ。それと、話す時は最低限のマナーを守ってくれれば、私の許しは要らないわ」

「ありがとうございます、アマーリア様」


 左側のソファに座ったバネッサ様が、ギロリと音が出そうな勢いで俺を睨んだ。


 バネッサ・ヴィオレッタ子爵令嬢。チャールズ様の母方の従姉いとこ

 思い立ったら即行動、文句があったら即抗議。

 貴族の令嬢なんかより、戦場の最前線で槍持って吶喊する騎士の方がよっぽどお似合いの苛烈なお嬢様だ。


「フランツ。お前の言い方だと従弟殿は、自らの意思で家を出たように聞こえたが?」


 そんな彼女の口から真っ先に飛び出した質問が、言葉を飾ることなく核心を突く。


「バネッサ様。もう少し言い方を……」

「イベッキオ、私はまだるっこしいのは嫌いだ。そして何より、従弟殿の行動が全くもって気に食わない」


 伯爵の前なので『お嬢』ではなく『バネッサ様』と呼び方を変えたイベッキオが後ろから主人を諫めようとしたが、取りつく島もなく一刀両断された。


「従弟殿が家族から大変不当な扱いを受けたのは、よくわかった。だがな」


 眉間にこれでもかと皺を寄せた彼女は続けた。


「なぜ、それらの要求を撤回させる為の交渉をしようとしなかった? 伯爵の要求は余りにも理不尽が過ぎるし、突拍子もない。そこを突き詰めて要求を躱すなり、条件を付けるなり。十にも満たぬ内から己の力で身を立てて来た従弟殿に、出来ないとは思えないが?」


 猪突猛進な気性のバネッサ様だが、決して馬鹿という訳ではない。幼いころからチャールズ様と親交のある彼女は、従弟の性格と力量についてある程度は把握している。下手なごまかしや反論は効かないと言っていい。


 それに、とバネッサ様は険しい顔を俺に向ける。


「仮に出来ないと言うならば、家を継ぐまで我慢すれば良い話じゃないのか? 従弟殿は、いずれアドルナート伯爵家を継いで領主となる身だ。家督を継げば納めた金は全て取り戻せるというのに、なぜ出て行く必要があったのだ?」


 深窓の令嬢なんて少しも向いていない、そんな破天荒な彼女の一番嫌いなものは『逃げ』だ。


 廃嫡と追放を免れる、即ちミカエラ様との婚約を維持できる選択が出来たのに、チャールズ様はそうしなかった。或いは、その努力すら怠って逃げた。

 バネッサ様がそうした結論に達するのは無理もない状況だった。


 それにチャールズ様の従姉でもあるが故に、『自分の身内が主家に迷惑をかけた』という一種の責任感も働いているようにも見える。


 感情の上でも立場の上でも、彼女がチャールズ様を許すことは出来ない。ゆえに彼女はこの場の誰よりも容赦なく、率先してチャールズ様を責めねばならない立ち位置になる。


 道中でイベッキオと会った時から、その事は想定していた。可能であればバネッサ様を宥めて欲しかったが、この流れでは無理だ。


 ミカエラ様とブレッサ=レオーニ伯爵は、何も言わずに俺とバネッサ様の会話の成り行きを見守っている。


“なぜ、チャールズ様が廃嫡と追放を自主的に受け入れたのか。”


 この正当性を示せるか否かで、チャールズ様の今後が決まる。


 廃嫡と追放を選んだのはチャールズ様の意思。これは、曲げようのない事実だ。

 だが、その事実に至るまでの過程、チャールズ様が出奔を決意するまでの経緯。つまりアドルナート家におけるチャールズ様の立ち位置を、この三人は知らない。


 それはチャールズ様にとってあまり知られたくない話だろう。立場上、話すことができなかったというのもあるが、何より一人の男として大っぴらに口にしたくないのだ。まして従者から第三者に明かすなんて事は言わずもがな。


 ただ残念なことに、チャールズ様の対外的な――特に婚約していたブレッサ=レオーニ伯爵家に対する立場を守るためには、この話は避けて通れない。


 それにこの先どうなるかは兎も角、のだ。


 ――すみませんね、チャールズ様。お叱りは後からいくらでも。


 バネッサ様の射殺すような視線を受けながら、冷めた紅茶で唇を湿らせる。ティーカップを静かに置いて、俺は三人の女性陣に向き直った。


「廃嫡を受け入れ領を出たこと自体は、間違いなくチャールズ様の意思でございます」


 しかしながら、と俺は続ける。


「アドルナート伯爵に個人資産を奪われれば、チャールズ様は死ぬのです」



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