ブレッサ=レオーニ伯爵領②


 ブレッサ=レオーニ伯爵家の自室で、私――ミカエラ・ブレッサ=レオーニは侍女たちに髪を整えて貰っていた。


 数時間前、私と幼馴染みのバネッサはアドルナート領に向かう道で、婚約者であるチャールズ様の従者・フランツと行き遭った。


「チャールズ様が伯爵家を廃嫡され、アドルナート領を追放されました」


 それを聞いた瞬間、まるで全身の血が一度に凍ったようだった。


 ――チャールズ様が、いなくなった? 私を、おいて、いなくなった?


「ふざけるな!! ミカエラ様との婚姻を控えて、アドルナート家は何を血迷った!?」


 すぐ隣で叫んでいるバネッサの声が、なんだか遠い。


「お嬢、落ち着いてください」


 バネッサの肩をイベッキオが掴んで止める。従者が令嬢に軽々しく触れるなんて本当はいけないのだけれど、バネッサはイベッキオの視線の先に居た私を見てハッとした顔になる。


「も、申し訳ありません! 取り乱してしまい……」

「ミカエラ様、お気を確かに」


 クロイツの呼びかけには、どうにか辛うじて頷けた。


 いけないわ。話を聞かないと。この場で一番身分が高いのは私なのだ。

 しっかりしなきゃ、しっかりしなきゃ。


 ――だって、私、チャールズ様の婚約者なのよ?


「チャールズ、様、は……どうして、そんな目に遭ったのに、私の所に来なかったの?」


 ああ、駄目、声が、上手く出ない。しかも、チャールズ様を責めるような物言いになってしまった。

 違うの、こんな事が言いたいんじゃない。

 しっかりしなきゃ、わたしが。でも、わたし、どうしよう、どうして、どうしたらいいの?


「……詳しい話は、伯爵家の屋敷でさせていただきます。一刻も早く、ご当主であられるアマーリア様にもお伝えしなくてはならないので」


 その後の事は、よく憶えていない。


 馬車に乗って、屋敷について。気が付いたら自分の部屋で、侍女に身だしなみを整えられていた。お母様へはクロイツが知らせに行ってくれたと、侍女の一人が教えてくれた。


 髪を結い終わると同時に、部屋のドアがノックされる。


「ミカエラ、入るわよ」


 そう言って入って来たのは、お母様――アマーリア・ブレッサ=レオーニだった。


「お母様……私……どうしよう……」


 震える声をどうにか絞り出したけれども、何を言えばいいかわからなかった。


「あらまあ……こんなに手を冷たくして」


 お母様は気にした風もなく、私の手を両手で優しく包む。柔らかな掌のぬくもりに、強張っていた身体が少しだけほぐれた。


「びっくりしちゃったのでしょ? 当然とーぜんよ。婚約者がいきなり廃嫡されて、おまけに領まで追い出されたんですもの。私だってもうすーっごく驚いてるんだから!」


 私の手を包んだまま、大仰な表情で言うお母様。私を落ち着かせるための気遣いに、肩の力が抜けるのがわかる。


「どうして廃嫡されたのか。どうして追放されたのか。どうしてこっちに来なかったのか。分からない事だらけだわ。

 だから、一緒に話を聞いて確かめましょう? その上で、これから何をするかを決めればいいのよ」


 それに、とお母様が言う。


「チャールズくんだって、好きで追い出されたんじゃないでしょうし、ね?」

「……はい、お母様」


 その言葉でようやく、自分が酷い思い違いをしていた事に気が付いた。


 そうだ、少し考えればわかる事なのに。チャールズ様は、追放のだ。

 それなのに、『置いていった』だなんて、自分勝手も甚だしい。


 こんな簡単な事もわからなくなっていた自分が恥ずかしい。報せを聞いた時に、どうしてお母様のように冷静な判断ができなかったのだろう。


 ――私はやっぱり、チャールズ様に相応しい人間じゃないのかしら。


 そんな私を見たお母様は、とても優しい声で言った。


「ねえミカエラ。私、あなたには好きな人と結婚してほしいわ」


 意外な言葉に、私は思わず顔を上げる。


「私の可愛いミカエラ。あなたは、あなた自身の選んだ人と結婚していいの。

 領地の事はあなたの兄さん達に任せればいい。周りが何を言ったって、私とお父様が静かにさせるわ。一番大事なのは、あなたの気持ち」


 お母様は私の目を真っ直ぐ見て言った。


「あなたは、チャールズくんが好き?」

「好きよ……でもね、お母様」


 彼が居なくなっただけで、こんなにも不安で、怖くて、何も出来なくなってしまう。

 なんて、弱くて情けない女なんだろう。


「チャールズ様は、私なんかを、好きでいてくれているのかしら……」


 私がそう言うと、お母様は私をそっと抱きしめた。


「『なんか』なんて言わないの。誰がどう思ったって、あなたは私の自慢の娘よ」


 暖かな手が私の背を、ポン、ポン、と一定のリズムで叩く。お母様の言葉に誘われるように、目がジンと熱くなった。


「自信を持ちなさい、ミカエラ。あなたはとても聡明で、優しい子。胸を張って堂々としていれば、どんな相手も振り向かせられるわ。だってあなたは、私に似てとっても美しいもの」

「……っ……お母様……!」


 私はお母様の背中に手を回し、肩に顔を埋める。お母様は何も言わずに、ただ私を抱きしめてくれていた。


 ◆


 崩れた化粧を直してお母様と一緒に部屋を出ると、廊下ではバネッサが待っていた。


「ごめんなさい、バネッサ。もしかして、ずっと待たせてしまった?」

「いいえ、今しがた到着した所ですよ」


 あまり着飾らないバネッサの準備に、時間がかかるわけがない。彼女の気遣いに心の中で感謝していると、お母様は愛用の扇子を侍女から受け取り、口元に当ててにっこり笑った。


「じゃあ、行きましょうか。楽しい楽しいの時間よお?」


 こうして私とバネッサはお母様を先頭に、チャールズ様が追放された事情を聞く為に応接間に向かったのだった。


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