ブレッサ=レオーニ伯爵領にて

ブレッサ=レオーニ伯爵領①


 俺――フランツ・マリオッティはブレッサ=レオーニ伯爵家の応接間のソファに座っていた。


 アドルナート家での出来事を伝えに行く道中で、チャールズ様の婚約者であるミカエラ様と、母方の従姉バネッサ様が乗っていた馬車に合流して、伯爵家に到着したのがつい先程。


 今はミカエラ様とバネッサ様のお召し替え待ちだ。貴族の令嬢と言うのは、外行きや屋敷用、午前用・午後用・夜会用と、一日に何度も場面や時間に応じて相応しい服に着替えねばならない。


 俺は広々とした応接間の扉を背にして置かれた一人掛けのソファに座っている。


 紅茶と茶請けの菓子が置かれた豪華なローテーブルの左右には、同じ意匠の長いソファ。

 バネッサ様が座るであろう左側下座のソファの後ろにイベッキオ、そしてミカエラ様が座る右側上座にクロイツが控えている。


 クロイツは長い黒髪を後ろに纏めた細身の美丈夫で、左耳には風の精霊・ヨハンが宿ったペリドットの耳飾りを付けている。一重の切れ長の目に、真っ直ぐ通った鼻筋、形の良い唇。


 今年で十八になるこの男は、夜会に出るご令嬢たちの間で密かな人気者だ。


 残念な事に、本人はミカエラ様以外に振りまく分の愛想を持ち合わせていないが、ご令嬢たち曰く『あの冷たい眼差しがイイ』らしい。


 で、そのクロイツの侮蔑と嫌悪が混ざった視線を、光栄な事に俺が独り占めしている。


「……それで、お前の主人は自分の稼いだ金を守るためにミカエラ様を捨てたのか?」


 お二方の着替えを待つ間におおよその経緯を説明した直後の第一声が、これ。


 ミカエラ様至上主義のコイツの事は、昔からずっと気に食わないのだ。


「ハッ。自分の主人を勝手に傷物扱いか。大した従者ぶりだな?」

「やめろお前ら、やめろ」


 クロイツの澄まし顔を顰めさせて多少留飲が下がった所で、イベッキオが止めに入る。


「クロイツ、細かい事情を聞いていない内から一方的に相手を悪者にするな。フランツ、イラついてんのはわかるが、クロイツに八つ当たりすんじゃねえ」


 イベッキオに指摘されてはたと気付く。


 チャールズ様に言い渡された突然の廃嫡と追放。ルチアーノ様から謂れのない罪での的外れな糾弾に罵倒、ポンツィオ様からの下卑た脅迫。


 ――うん、よくあの二人をぶっ殺さずに我慢したな俺。


 こうして他人に言われて初めて自分の状態を自覚できたあたり、かなり冷静さを欠いていたらしい。深く息を吐き出して、一先ずクロイツに謝罪をする。


「悪かったな」

「……ふん」


 無愛想な返事が腹立たしいが、まあ、向こうも迷惑を被った側だ。お互いさまにしておこう。


 落ち着く為にテーブルの紅茶に手を付けようとした所で、後ろのドアが開いた。


 俺は素早く立ち上がり、自分が座っていたソファの横に真っ直ぐ立つ。右手は指を揃えて左胸の上に、左手は体の横に伸ばし、開いたドアに向かって十五度の角度で腰を折る。

 貴人が部屋に入って来た時の礼だ。見えないが、後ろのイベッキオとクロイツも全く同じ姿勢でいるのに違いない。


「楽になさいな、フランツ殿。貴方は客人としてここに居るのですから」


 滑らかで艶のある、それでいて無邪気な子供のような女性の声がかけられる。この屋敷の主人の声だ。


「はっ。恐れ入ります」


 許可を得た俺はゆっくりと顔を上げる。


 胸元が大きく空いたワインレッドのドレス。首元と耳に煌めく大粒のルビー。白金の髪を豪奢な金細工の櫛飾りで纏め上げ、皺一つない白いかんばせの上で細められた瞳の奥には、隠す気のない好奇心。

 真紅の羽飾りがついた扇子で覆われた口元は、きっと綺麗な弧を描いて釣り上がっているのだろう。


 アマーリア・ブレッサ=レオーニ


 成人済の息子が二人と、成人間近のミカエラ様を産んだ三児の母とは思えない程に若々しい姿だった。自分の父親と同年代である筈の貴婦人は、娘のミカエラ様と並んでも姉妹にしか見えない。


 父であるカルロスから聞いた話によると。

 十七年前、前夫のブレッサ伯爵と死別。爵位を継承した彼女は、前夫が遺した領地を女手一つで経営していた。


 しかし年齢を感じさせぬ美貌と、夫から継いだ爵位と領地。遺された息子二人は、当時はまだ八歳と五歳。

 周辺の貴族はブレッサ伯爵の喪も明けぬ内から、こぞって彼女を取り込もうとしたたという。


『女性の身で爵位を継ぐのは荷が重いでしょう』

『まだ幼いお子様方に、有力な後見人がいたほうがよろしいのでは?』

『領地の運営は、その細腕ではとても務まるではありますまい』


 だが彼女は、決して侮られるままの弱い女ではなかった。

 寄って来た男どもの誘いは片っ端から全て断り、痺れを切らして強引に迫ってきた相手には、あらゆる手を尽して徹底的に報復。

 その手法は領地の運営にも大いに活用され、周りが口を挟む余地のない辣腕を振るった。


 そして喪が明けた後、前夫が領主だった頃から親交のあったレオーニ辺境伯と結婚。

 同時に姓をブレッサ=レオーニに改め、現在に至る。


 こっ酷くフラれた男たちから、恨み辛みとやっかみを込めてつけられた仇名が『女狐』。

 しかし本人はどこ吹く風、と言うかむしろその呼ばれ方を面白がっている節が見られる。


 女だからと侮れば痛い目を見る、一筋縄ではいかない相手だ。


 アマーリア夫人が奥の席に向かうと、その後ろからミカエラ様が一礼して入室された。


 夫人とは対照的な、肌を一切晒さないクリーム色のドレス。柔らかな光沢の布地に、エメラルドのアクセサリーがよく映える。薄い化粧を施した母譲りの美貌も今は暗く、不安を押し殺しているのがありありと見て取れる。


 ミカエラ様の後に続いたのがバネッサ様だ。こちらは菫色のドレスに銀細工のシンプルなアクセサリー。黒茶ブルネットの髪の下から覗く勝ち気な瞳には、わかりやすく怒りと不満が宿っている。


 ――これはチャールズ様、再会した瞬間に殴られるな。


「さ、掛けて頂戴な。貴方の話をみんな待ちわびているのよ?」

「はっ。失礼いたします」


 アマーリア夫人の許可をもらってソファに座る。テーブルに向かって左側のソファにバネッサ様が座り、イベッキオが後ろに立って控える。右側にはミカエラ様とクロイツ。

 そして正面には、にっこりと笑ったアマーリア夫人。


 女性たちの三者三様の視線に晒されながら、俺は事の次第を語るのだった。


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