道中④


 酒場を出たチャールズ坊ちゃまは、真っ直ぐ薬師ギルドに向かいました。

 夜間に急患が来る事もあるため、薬師ギルドは基本的に一日中いつでも入ることが出来ます。


 両開きの扉を開ければ、正面に受付のカウンター。右手には順番待ちの木のベンチが数脚。左手には掲示板があり、薬草の値段一覧表や、一般薬・魔法薬の在庫状況。他にも新薬開発の情報や納品依頼表、薬師の求人情報などが張り付けられています。


 坊ちゃまは掲示板の下にある長机に向かい、『素材注文票』と『調合室使用申請書』を手早く書き上げました。内容に誤りがない事を確認してから開いているカウンターに行きます。

 ギルドカードと二枚の用紙を受け取った受付嬢は、内容に素早く目を通しました。


「こちらの『トクサ水』『ブラッドマリー』『グローリーフ』は、指定魔法薬素材になりますので、購入上限がございます。今月の購入上限の限度量になりますが、よろしいですか?」

「お願いします。購入した分は、そのまま調合室まで運んでいただけますか?」

「かしこまりました。準備ができ次第お呼びしますので、お掛けになってお待ちください」


 支払いを済ませ、『家』から出した私を膝の上で撫でながらベンチで待つこと数分。


「お待たせしました。こちら調合室の鍵になります。カウンター右側奥の階段から二階へ上がっていただき、鍵に書かれた番号の部屋をお使いください」

「ありがとうございます」


 薄暗い階段を上り、両側に扉が並ぶ廊下を真っ直ぐ歩きます。目当ての番号の扉を見つけ、磨かれた真鍮のドアノブに鍵を差し込みました。


「久しぶりに使うなあ、ギルドの調合室」

「部屋の作りはアドルナートのギルドと余り変わらないのですね」


 天井にぶら下がったカンテラが照らす部屋の中央に、竈と抽斗付きの大きな作業台。作業台の上には受付で注文した薬草と素材、抽斗には調剤道具一式。壁際の棚には鍋やたらいが塵一つなく整然と並んでいます。


 坊ちゃまは外套をコート掛けに吊るすと、注文した物が全て揃っている事を確かめ、竈に火を入れた後、抽斗から必要な調剤道具を揃えました。


 そしてマジックバッグから革の長手袋と防毒面を取り出します。

 防毒面はその名の通り、毒を調合する際に付ける面です。顔全体を隙間なく覆う面の目元は分厚いガラスがはめ込まれ、無数の小さな空気穴が空けられた口元には『浄化』の魔法陣が刻まれています。


「カンタリス、頼む」

「かしこまりました、我が主チャールズ」


 私は人の姿に戻り、並んだ材料の前に手をかざします。


 ――古の人に曰く、全ての物は毒であり、毒でないものは存在しない。


 それは、ボルジアがかつて私に語った事。この世に毒ならざる物はなく、薬の素材とて例外ではない、と。


 並んだ素材の端から端へ、かざした手から魔力を注ぎ込みます。

 土の属性を持ち、あらゆる毒と病を司る私の力で、素材が持つ効能を最大限に引き上げていきます。


 力を余さず引き出したそれらは即ち、恐るべき猛毒。今作業台の上にある素材を一欠片でも口に含めば、人などあっけなく死に至るでしょう。


 ――万物が毒であるならば、薬とは何か。


 毒が薬たりえるのは、薬として機能する量だけを摂取した時だけ。


 ――毒と薬、その境を見極め自在に操る者こそが、至高の薬師である。


「さあ、どうぞ。存分にお作り下さい」

「ああ」


 坊ちゃまは気負う様子もなく作業台の前に立ち、猛毒となった素材を手早く計量していきます。

 ある物は刻み、ある物は乳鉢ですり潰し。淀みない動きで一通りの素材の下準備を終えると、棚から鍋を取り出し竈の上に置きます。


 そこに十種の薬草を漬け込んだ『トクサ水』を入れ、薬効を促進する作用のある『グローリーフ』を中に浸します。鍋が暖まるまでの間に、空いた素材の容器と汚れた道具を使用済みスペースに運びます。これは薬師が帰った後にギルド職員が洗浄するので、そのまま放置。


 鍋のふちに小さな気泡が出てきたら、『グローリーフ』を取り出して除け、他の材料を入れて混ぜていきます。

 材料が均一に混ざったタイミングで、坊ちゃまはマジックバッグから一本の杖を取り出しました。


 長さ三十センテ程、指揮棒にも似た形の黒檀エボニーの短杖。持ち手には魔力を通しやすい魔銀ミスリル、その中央には小さなアメジストが光り、柄頭には私をモデルにした座る猫が彫金されています。


 魔法薬を扱う薬師の必需品、調合杖ちょうごうづえ


 調合した魔法薬に魔力を込める為の杖であり、この杖をどれだけ使いこなせるかで魔法薬の品質が左右されると言っても過言ではありません。


「【これは毒に効き、痛みに効く】」


 坊ちゃまの口から、古代語の呪文が唱えられます。


「【三十と三の疾患に対し、悪魔の仕業に対し、不意の誘惑に対し、悪しき者どもの呪詛に対し】」


 独特の抑揚をつけ、詩を紡ぐように唱えながら、鍋の上で振るった杖の先から煙の様に魔力が漂います。それは呪文が進むにつれて鍋の中に染み込み、素材から溶け出した毒と万遍なく混じりあっていきます。


 ――優れた薬師は同時に、優れた魔術師でなければならない。


 毒殺師を超える薬師になる為、あらゆる知識と技術を余すことなく受け継いだ坊ちゃまの技量は、並みの魔術師の追随を許しません。


「【私は九つの毒に打ち克ち、這いよる病が人に棲むことを許さざるなり】」

「【私の力は土より生まれ、水を浴び、火に育まれ、風となり巡る】」

「【私を祝福する地の神々よ、人の神たるグラーテよ】」

「【傷つくもの、病めるもの、弱き者、皆等しく正しき姿へと導きたまえ】」


 淀みなく全ての呪文を唱え終わると、鍋の中の液体が一瞬だけ淡く光りました。魔力が完全に溶け込んだ証です。


 完成したのは、回復薬ポーション。無色透明の液薬えきぐすり。冒険者を中心に幅広く飲まれている一般的な魔法薬で、飲んだ者の傷を癒し、体力を回復します。

 大半の人が魔法薬と聞いて真っ先に思い浮かべるものではないでしょうか。


 もっとも、私と坊ちゃまで作り上げたものは市販の回復薬ポーションとは一味違うのですが、ここでは割愛いたしましょう。


 坊ちゃまは一度鍋を竈から下ろし、中身の半分を小さな鍋二つに取り分けます。その内の片方には真っ赤なローズマリーのような薬草『ブラッドマリー』を浸します。


 もう片方には最初に取り出した『グローリーフ』といくつかのハーブを一緒に刻んで、麻の小袋に詰めた物を入れます。そして二つの小鍋を再び竈に置き、かき混ぜながら沸騰直前まで暖めたら、竈から下ろして冷まします。


 その間に、最初の鍋に入った回復薬ポーションを小瓶に取り分けます。八割ほどを詰め替えた所で、坊ちゃまは少し悩んで再び鍋を火にかけました。


 沸騰直前まで暖めた鍋の前で調合杖を構え、追加詠唱。


「【天の神々よ、太陽と月、夜を埋め尽くす星たちの輝きをここに】」

「【あなたがたの愛し子に、慈しみの手を伸ばしたまえ】」

「【あなたがたに尽くし、あなたがたに導かれる子らに、恩寵をもたらしたまえ】」


 詠唱が終わると、鍋の中に煌めく光の粒が現れました。


 出来上がったのは回復薬の上位版、強化回復薬ハイポーション

 回復薬の中に星屑のような光の粒が舞っているのが特徴で、飲んだ者の傷と体力だけでなく、魔力や状態異常も回復する優れもの。冒険者でも滅多に手にする機会がない高級魔法薬です。


 強化回復薬ハイポーションを冷ます間に、小鍋に入った二つの薬を詰め替えます。


 強い浄化作用を持つ『ブラッドマリー』を浸した、赤色の解毒回復薬キュアポーション

 『グローリーフ』と魔力の回復に効果のある薬草を混ぜたものを浸した、緑色の魔力回復薬マナポーション


 最後に強化回復薬ハイポーションを詰め、全ての小瓶をマジックバッグに仕舞います。


 受付嬢に調合室の鍵を返却し、ギルドを出れば外はもう真っ暗でした。薄い雲の向こうから、曖昧な輪郭の白い月だけが透けています。


「明日、何事もなければいいけどな」


 誰に向かって言うでもなく、チャールズ坊ちゃまはそう呟きました。

 そして夜が明け、私たちは王都の手前の野営地に向かう事になったのです。






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