道中③(3/5 改稿)


 チャールズ坊ちゃまと私は、ギデオン様に連れられて小さな酒場までやってきました。

 案内されたのは裏路地にあるカウンター席だけの静かな店。こうした店に来る機会のない坊ちゃまは、少しそわそわしながら内装を見ています。


 客は私たちだけで、老齢のマスターは注文された酒とつまみを置いて奥に下がって行きます。

 精霊の力に敏感なギデオン様が話しにくいかもと言う配慮から、私は『精霊の家』の中でお二人の話を聞くことになりました。


「……アンタは結局、何者なワケ?」


 注文したエールをあおりながら、ギデオン様が何気なく聞いてきました。


「薬師、以外に見えますか?」

「……若すぎるだろ、どう見ても」


 真っ直ぐ背を伸ばしてつまみのナッツを一粒ずつ食べる坊ちゃまをジッと見つめます。


「十歳でC級に上がったんです。歴代最年少だって言われました」


 坊ちゃまはマジックバッグから、薬師ギルドのギルドカードを出しました。銅板には名前と大きく『C』の文字が入っています。


 薬師ギルドのランクはE級から始まり、最も高いのはA級です。C級になると工房を持てるようになり、自分で作った薬の販売や特許の申請が可能になります。


 この事から世間一般ではC級で一人前の薬師と認識されています。毒殺師ボルジアによる英才教育と、元々の教養の高さで歴代最年少C級合格を果たした坊ちゃまは、確かに薬師にしては若すぎると言えます。


「そう言えば。軟膏、使い心地どうでした?」

「……筋肉痛なんかにわざわざ軟膏なんて使わねえよ」

「今みたいな長旅の時は役立ちますよ」

「……まあ、他の連中は喜んでたな」


 ギデオン様は無造作にナッツを二、三粒口に放り込み音を立てて砕きました。


「……正直、詐欺師かなんかだと思ってたぜ。あの領、今あんまりいい噂聞かねえし」


 なるほど、それで坊ちゃまの動きを注視なさっていたのですか。

 しかし、噂とは何でしょうか? 領内で変事があれば坊ちゃまの耳に入らないわけがないのですが……。


「噂って?」

「……領主の息子が娼館に入り浸って豪遊してるってよ。俺が直接見た訳じゃねえが、金が足りねえって追い出されて騒いでるトコに出くわした冒険者から、話聞いてな」


 ……なるほど、それで父君あのハゲ弟君クズは坊ちゃまに金を出させようとしたのですか。

 視界の端で、坊ちゃまが摘まんでいたナッツが音もなく潰れたのが見えました。


「……もしかして、アンタの事か?」

「は?」

「……『アドルナート』」


 ギデオン様は机の上に置いたギルドカードを指さしました。坊ちゃまの名前『チャールズ・アドルナート』が刻まれております。


「……領主の息子は、もう一人いるんですよ。恥ずかしながら」

「……ふーん……まあ、そういう事にしとくよ」


 苦々し気に弟君の存在を口にした坊ちゃまの様子に、ギデオン様は一応の納得を示しました。


「……何でコソコソ王都に行くかは、聞かねえほうが良さそうか」

「ご配慮、痛み入ります」


 ギデオン様はフンッ、と大きく鼻を鳴らします。


「……護衛依頼だからな。依頼人に、危険がなけりゃそれでいい」


 ギデオン様はそう言ってエールをあおりました。


 言われてみれば、良くない噂がある領から、素性の知れない自称薬師の若い男が、出発直前に突然護衛対象と同乗する事なれば、確かに警戒されても無理はない状況でしたね。


 坊ちゃまは溜息を吐いて、手元の酒で口を湿らせてから尋ねました。


「その娼館や、領主の息子について他に何か噂はありますか?」


 ギデオン様は怪訝な顔でこちらを見ましたが、ややあってから口を開きます。


「……息子の方は今のだけだが……その娼館ってのがどうもキナ臭い」


 ギデオン様曰く、その娼館は出来たばかりにもかかわらず、貴族の子息や商人たちがこぞって詰めかけ、富の競うかのように女を買い漁っているとの事。


 中には借金をしてまで通い上げる貴族の子弟もいるとかいないとかの噂まで出ているそうです。


「……大陸から来た店らしいが、きれいどころが揃ってるだけで、あそこまで金持ちどもを夢中にさせられるもんか? って思ってな……」


 まさかアドルナート領が、そのような有様になっていたとは。


 坊ちゃまは元々そう言った噂にあまり興味を持たず、また手持ちの事業の運営やウルバーノ領への薬草輸出事業に力を入れていたのもあり、自分から聞くことはおろか、耳にしたとしてもすぐに聞き流していたのでしょう。


 或いは、貴族の子弟が夢中になっているらしいことから、周りの方々が敢えて坊ちゃまの耳に入れさせなかった可能性もあります。


 それか、ルチアーノ様の醜聞が領内で広まっているという事実そのものを、アドルナート伯爵家に知られないようにとの考えもあったのかもしれません。


「一先ず、疑いは晴れたって事で良いですか?」

「……少なくとも、この四日間で妙な行動はなかったし、配ってた薬で体調崩す奴もいなかった。それに……」

「ギデオンさん?」

「……なんでもねえ」


 ギデオン様は持っていたエールのジョッキを一気にあおりました。


 察するに、ここまでのギデオン様の目的は、坊ちゃまへの『牽制』なのでしょう。


 明日の夜、盗賊と遭遇する可能性が高い中で、身元の知れない人間が同乗している状況。万一盗賊と遭遇した際、坊ちゃまに警戒を割いたままでは戦闘に支障をきたす恐れがあります。


 故に、坊ちゃまを警戒している事をあえて伝え、不信な行動を取りにくい様に誘導しておく。こうしておけば、坊ちゃまへの警戒を弱められ、明日の夜来るかもしれない盗賊への対処に集中しやすくなります。


 一先ず、坊ちゃまの身元が判明……と言うか、坊ちゃま自身の不注意によって発覚した事で、警戒そのものはなくなったようです。


「……ただ、これだけは言っておく」


 私がホッとしたのもつかの間、ギデオン様が空にした木のジョッキが、固い音を立ててカウンターに置かれます。


「貴族だから優先して守って貰えるだなんて思うな」


 ギデオン様はこれまでにない鋭い目で、坊ちゃまを射抜きます。


「……俺たちが守るのは『ナルバさん達とアンタ』だ。そこに身分の優劣はねえ。万一、明日の野営で何か起こったとしても、身分で守る順番を変える気はねえからな」


 そう言って立ち上がると、そのまま店を出ようとします。


「ギデオンさん」


 振り向かずに立ち止まるギデオン様に坊ちゃまが呼び止めました。


「それは、貴族だから後回しにする事もないってことですよね」

「……俺は仕事に手を抜かねえ。最後までだ」


 坊ちゃまは気を悪くした様子もなく、こう言いました。


「じゃあ、明日もよろしくお願いします」


 ギデオン様は坊ちゃまの言葉に振り向く事もなく、店を出て行きました。


『よろしく、ですか。貴族に対して随分と隔意をお持ちの様でしたよ?』


 私は精霊の家の中で思わず苦笑します。


「その辺は踏み込むべきことじゃないさ。単に、仕事に手を抜かない人は信用できるから任せるってだけ。俺に釘刺して行ったのも、明日に備えての事だしね」


 ギデオン様の貴族に対する隔意を汲んだうえで『よろしく』と返す坊ちゃまの胆力は、ボルジアの教育というよりは、生来お持ちの気性なのでしょうね。


「さて、俺たちも備えられるだけ備えておこう」


 店を出た坊ちゃまは、その足で街に向かいます。


 建物を影絵のように浮き上がらせる黄昏が、私たちの上にゆっくりと覆いかぶさってきていました。



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