不穏の道中

道中①


 広い草原の中に真っ直ぐ伸びた街道を、幌馬車の列がゆっくりと進んでいきます。薄青の空は何処までも広く、石畳は秋の陽を柔らかく照り返し、程よく乾いた風が時折、馬車の後ろからそよりと流れ込んできます。


 猫の姿になった私は、背中を撫でるチャールズ坊ちゃまの掌の暖かさに目を細めながら、膝の上でくぁ、と欠伸を一つしました。


「するとチャールズ殿は、王都ヴァニスには初めていらっしゃるのですか?」

「幼い頃、父に連れられて一度行ったきりなんです。着くまでに少しでも知っておきたいと思いまして」


 隊商の長であるナルバ殿は、王都の様々な情報を坊ちゃまに教えてくださいます。


 ここスティーヴァリ王国は、グランディア大陸南東部にあるスティーヴァリ半島の北半分を支配する国です。

 南半分を支配するロマーネル神国と、大陸から半島に接するエスパーニャ王国との間にある、交易の中継点となっています。


 国の中心である王都ヴァニスには、陸海両方からあらゆる人や文化が流入し、古今を問わず様々な品が溢れている事から『ヴァニスで買えぬ物はない』とまで言われるほどだとか。


 坊ちゃまが居たアドルナート領はスティーヴァリ王国の北西部、エスパーニャ王国側にあり、ここから王都までは馬車で六日かかります。


「王都に着いてからは、どうなされるのですか?」

「幸い蓄えがありますので、これを機に自分の工房を持ちたいと思っております」

「その若さで工房の主ですか! いやはや大したものですなぁ」

「いえ。皆様のお引き立てあってのものですから」


 こうしてナルバ殿と和やかに談笑する内に、休憩の為の野営地に到着しました。


 馬車から降りた皆様は、座ったままで固まった腰や肩を叩いてほぐし、護衛で歩き通しの『黒鹿の角』の四人も各々、荷台に腰掛けたり、あるいは片足立ちになってふくらはぎを揉んでいました。


 その様子を見た坊ちゃまは、腰回りをさすっていたナルバ殿に声を掛けます。


「ナルバさん、痛み止めの軟膏などは常備されていますか?」

「怪我をした時の為の物はありますが、あまり数はありませんよ」

「もし良ければ、俺が作った軟膏を皆さんに使ってもらいたいのですが」


 坊ちゃまはマジックバッグから軟膏を入れた壺を取り出します。鎮痛効果のある薬草を中心に、安価で大量に調合できるよう工夫した坊ちゃまの特許商品の一つです。


「構いませんけども、良いのですか?」

「乗車賃代わりという事で。ずっとタダ乗りというのも気が引けますし。もし購入をご希望でしたら、アドルナートの商業ギルドに販売を委託しておりますので、そちらに出入りする商人に訊いてみて下さい」


 ちゃっかりご自分の商品を宣伝していった坊ちゃまは、バッグから油紙を取り出してナルバ殿の分を小分けにしてお渡しした後、御者や人夫たちの元に向かいます。


 私は自由行動で良いとの事なので、猫の姿で周辺を散策する事にしました。


 丁度『黒鹿の角』の皆様が居たのでそちらに歩を進めますと、ギデオン様と目が合いました。


 ……が、目が合った瞬間に勢いよく逸らされました。


「ウニャ?」

「あれ? チャールズくんの猫ちゃんじゃん」


 ギデオン様の様子を見たアローナ様がこちらに気付き、しゃがんで私の喉の下に指を伸ばしてきました。私は撫でやすいように身体を少し逸らし、丁度いい位置まで指を誘導します。


「ゴロゴロゴロゴロ……」


 ふむふむ、中々の指使い。おそらく街で見かけた猫に餌付けして撫でるタイプと見ました。


 アローナ様は私を抱きあげて片腕に納め、もう片方の手で私の喉を撫で続けます。彼女の指使いを堪能する私を、ギデオン様は信じられないものを見るような目で見ていました。


「ギデオンって猫嫌いだっけ?」

「嫌いっつか……お前よくそんな事出来るな」


 顔面蒼白のギデオン様の隣から、魔術師のリオ様が顔を出して私を覗き込みます。


「え、えっと、カンタリスちゃんは多分、高位の精霊なんだと思う」

「高位の精霊?」


 アローナ様の疑問に対し、リオ様がたどたどしくも説明します。


「精霊は、長く存在するほど大きな力を持つの。十年前に生まれた精霊と、百年前に生まれた精霊だったら、百年前の精霊の方が強い、みたいに」

「つまりカンタリスちゃんは、長く生きてる強い精霊って事?」

「『精霊の家』にかなり濃い魔力が籠ってたし、チャールズさんも『お師匠様から受け継いだ』って言ってたから、た、多分そう」

「……少なくとも、俺らと修羅場潜って来たトニーがビビるくらいには強えだろ」


 何という事でしょう。私は先程の蛙の水精霊トニーの様子を思い出します。声を掛けた瞬間『家』に戻ったのは人見知りだからではなく、怯えられていたからなのですか……。


 密かに打ちひしがれている私を余所に、三人の会話は続きます。


「ギ、ギデオンさんも、ホビットだから。精霊の力に敏感なんだよ」

「そっか。亜人種って、先祖が精霊なんだっけ」

「……俺らの祖先も土の精だからな」


 ただ、とギデオン様は苦々し気な顔で言います。


「俺からすればあのチャールズって奴も……」

「俺がどうしましたか?」


 いつの間にか居たチャールズ坊ちゃまが、リオ様の後ろから声を掛けて来ました。『黒鹿の角』リーダーのバーン様も一緒です。


「チャールズさんが軟膏を分けてくれたんだ! 皆も使ってみてくれ! すごくよく効くぞ!」


 バーン様は大変爽やかな笑顔で、小分けされた薬をパーティーの皆様に配りました。皆様が薬を塗るために解散した所で、私も坊ちゃまと合流します。


「俺の名前聞こえたけど、何か言われてたか?」

「女性のお二方は何も。気にしていたのは、ギデオン様だけのようです」


 坊ちゃまが何気なく、先ほど皆様が居た場所を振りむきます。すると、一人だけこちらを見ていたギデオン様と目が合いました。ギデオン様は特に何をいう訳でもなく、背中を向けて離れて行きます。


「……なんか、警戒されてる?」

「気になるなら、聞き出しますが」

「いや、いいよ。王都まで五日だし、特に向こうから何かしてくる訳じゃないなら」


 そう言って坊ちゃまは私を抱き上げ、耳の後ろをカリカリと掻くように撫でて下さいました。

 そのまま首の後ろ、喉の下、胸元から腹にかけて、撫でられたい箇所を正確かつ程よい力加減で刺激して下さいます。


 ボルジアの所に居た時も含めて長年私を撫で続けている坊ちゃまの指使いはまさに、極上。


「ウルルルニャア~ン」


 ああ、たまりません……。


 ギデオン様の事は気になるものの、その日から特に大きな事件もなく、王都への旅は順調に進んで行くのでした。


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