余波③


「父上!話が違うじゃありませんか! あの男、出て行ってしまいましたよ!?」

「お、落ち着きなさい、ルチアーノ」

「ふざけないで下さいよ! これじゃあ明日彼女の所に行けないじゃないですか!」


 ――はー……転職してえ……。


 俺――アドルナート伯爵家家令のジョルジュは心の中で大きな溜息を吐いた。

 現在アドルナート家の執務室にはポンツィオ様とルチアーノ様と俺の三人だけだ。衛兵たちは『チャールズ様が領内に留まらない様に見張る』という名目でカルロスが連れて行ってくれたし、使用人たちは持ち場に戻させた。


「ジョルジュ! 話が違うではないか! どうしてこうなった!」


 こっちの台詞だハゲ!!! ……と叫びたいのをグッと飲みこみ、ポンツィオ様に向き直る。


「失礼ながら旦那様。まず、チャールズ様をお呼びになった理由は何でしたか?」

「チャールズに金を出させるためだ。其方が、これ以上伯爵家の金を出せぬなどと申すから」

「はい。ルチアーノ様の遊興費を、これ以上当家の金庫から出すことは出来ません」


 そう。事の発端は今年成人したルチアーノ様だ。

 このスティーヴァリ王国では十五歳で成人を迎えると、これまで未成年である事を理由に制限されてきた様々な事が解禁される。


 夜間の出歩き、酒、賭博、そして娼館への出入り。


 ルチアーノ様は最近この領に新たに開いた娼館に三日と空けずにお通いだ。しかもそこ一番の美姫に首ったけ。一度の逢瀬で金貨が百枚単位で飛んでいく。伯爵家の金庫だって無限に金が湧いて出る訳じゃない。今月のやりくりだけでもうギリッギリなのだ。


 これ以上は出せないと言うとルチアーノ様はポンツィオ様に泣きついた。だがこちらも長く金庫番をやって来た者として、許してはいけない一線がある。使用人たちを食い詰めさせるような真似だけは絶対に御免だ。


 ポンツィオ様は上手い事言いくるめて引き下がらせたが、ルチアーノ様はそれでもしつこく食い下がって来た。

 領民の税収を女遊びにつぎ込むルチアーノ様に、無駄遣いを止めさせると言う発想すらないポンツィオ様。俺もいい加減我慢の限界だった。


『では、チャールズ様に融資の相談でもしてはいかがですか?』


 無論、チャールズ様は絶対断るだろうと踏んでの提案だ。もしチャールズ様が融資を決めたとしても、伯爵家の金庫には影響がないので問題はない。これに懲りて娼館通いも多少はマシになるだろうと思っていたが、現実は予想斜め上をいった。


 あろうことかチャールズ様に着服だなんだと屁理屈言って『許してほしければ金を出せ、さもなきゃ廃嫡して追放だ』と言い出したのだ。

 結果ブチ切れたチャールズ様が追放を受け入れると宣言して出奔、今に至るという訳だ。


「……恐れながら旦那様。私は『融資の相談をされては』と提案はいたしましたが、何故チャールズ様を廃嫡し追放するという話になったのでしょうか?」

「チャールズが金を貯め込んで居ると申したのは其方ではないか!? 伯爵家の嫡子とあろう者が、領主の私の目を欺いて不当に財を蓄え私腹を肥やしていた! 本来なら廃嫡として追放する所を、財産を差し出せば許すと言ったのだ! 不当な財産を接収するのは領主の正当な権利だろうが!」


 まあ確かに『弟の夜遊び代を貸してくれ』とは頼めないから、それなりの建前は必要なのはわかるが、いくらなんでもそれは無理だろう。

 責任転嫁した挙句、上から目線の謎理論と汚い唾を一緒に吐き散らかすポンツィオ様に、俺は淡々と受け答える。


「『融資できる額をお手元にお持ちかと存じます』とは申しました。しかしながらそれは伯爵家に頼ることなく、ご自身の才覚で築き上げたチャールズ様個人の正当な財産です。まかり間違っても着服したなどと言う事実は一切なく、領主の権限をもってしても接収できるものではございません」


 本当にチャールズ様は大した御方だった。

 あの方が初めて事業計画書を持ってきてポンツィオ様に資金援助を申し込んだのは九歳の時だ。


 領内で薬草栽培を副業として奨励し、薬師ギルドで買い取ってもらう。次に薬師ギルドと連携して、孤児や生活に困窮する農民の末子たちを薬師見習いとして雇い上げる。雇った見習いに、副業で育てた薬草を使って薬を作らせる。見習いたちが作った薬を商業ギルドに委託販売して、売り上げに伴う税収を伯爵家に納めさせる。


 領内で喰い詰める子供を減らす事で雇用と治安を安定させ、税収の上昇も期待できる。よくもまあ九歳でここまで手堅い事業計画立てられたものだと、当時の俺は素直に感心した。


 しかしポンツィオ様はチャールズ様の事業計画に散々難癖をつけ、的外れな暴言を浴びせた挙句、チャールズ様の顔に銀貨を投げつけるという暴挙に出た。


 あまりの振る舞いにポンツィオ様を諫めようとした俺をチャールズ様は手で制し、何も言わずに床に落ちた銀貨を全て拾い、丁寧に礼を告げて堂々と退室していった。


 あの背が、先程の廃嫡と追放を受け入れたチャールズ様の背中に重なる。


 ポンツィオ様は口元をモニョモニョさせて、何か言いたげにこちらを見ているが、俺は特に何も言わずに待機の姿勢のまま立っている。忖度? 知らんな。

 黙ったままの俺とポンツィオ様に痺れを切らせたルチアーノ様が叫ぶ。


「じゃあどうするんだよ! 僕は明日、彼女に会う約束をしたんだぞ!」

「そんな事よりも」

「そんな事とはなんだ!!!」


 目を血走らせたルチアーノ様が、俺の胸ぐらを掴んで引き寄せる。


「彼女は、デシレは僕が身請けするって約束したんだ!! そうでなきゃ、彼女は醜い年寄りの商人どもの慰み者にされてしまう!! 僕は彼女を助けなきゃいけないんだよ!!」


 ――何だそりゃ。女が馬鹿から有り金巻き上げる時の決まり文句じゃねえか。

 ……とは言えず。

 威嚇する猫の様にフーッと歯茎をむき出しにして唸るルチアーノ様の両手を引き剥がし、ポンツィオ様をジロリと見やる。


「旦那様に置かれましては、ブレッサ=レオーニ伯爵家への申し開きをいかがなさるおつもりでしょうか」


 服の襟を整えながら問えば、ポンツィオ様の顔が見る間に青くなった。


「あちらに何の断りもなく、婚約者であるチャールズ様を廃嫡した上に追放したのです。相応の理由がなければ、王都の裁判所へ召し出されてもおかしくはありませんよ」

「は、な、あ、あ奴が勝手に出て行きおっただけだろうが! 何故私が裁判にかけられるというのだ!?」


 廃嫡と追放を命じたのが自分だという事をすっかり忘れているらしいポンツィオ様を無言で見つめ返すと、青かった顔を真っ赤にしたポンツィオ様が、机の上のインク瓶を俺に投げつけた。肩に当たった瓶の蓋が外れ、真黒なインクが絨毯に大きなシミを作った。


「其方の提案に乗ったからこんな事になったのだ! し、知らないぞ! 私は知らないからな!! ジョルジュ! ブレッサ=レオーニ家への対応は、全て其方がやれ! よいな!?」

「……かしこまりました」


 俺は一礼し、執務室を出る。あの絨毯は買い換えねば駄目だろう。また無駄な出費がかさむ事に今度は隠す事無く大きな溜息を吐いた。


「はー……転職してえ……」


 一先ず、あちらの家に手紙をしたためねばと思い、俺は自分に割り当てられた部屋に戻った。



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