余波②

「チャールズ様は、そろそろ出発した頃合いかね……」


 軽快な蹄の音を響かせながら、俺――フランツ・マリオッティはブレッサ=レオーニ伯爵領へ向かっていた。


 愛馬のロベルタが落葉の匂いが染みた空気をかき分け、秋の陽に包まれた草原を横目に駆ける。街道を彩る景色を満喫したい所だが、残念ながらそう呑気に構えてはいられない。


 何せ、主人であるチャールズの立場がかかっている。


「悪いなロベルタ。まだ行けそうか」


 ロベルタは一声嘶くと、更に速度を上げた。この速度なら、休憩をはさみながらでも日没までにはブレッサ=レオーニ伯爵家の屋敷に着けるだろう。


 そうしてしばらく駆けていると、不意に前方から甲高い鳥の鳴き声が聞こえてきた。


 顔を上げれば、一羽の鷹がこちらに向かって徐々に高度を下げながら飛んでくる。もしやと思って体の横に伸ばした左腕に、まだら模様の立派な鷹が風を纏いながら止まった。


「ヨハンじゃねーか。何でここに?」

「ピュイ!」


 ヨハンはミカエラ様の従者、クロイツが契約している風の精霊だ。ヨハンは一声鳴くとすぐに腕を離れ元来た空を戻っていく。恐らくは主人であるクロイツに知らせに行くのだろう。


「主人に似て愛想がねーなぁ」


 苦笑しながら、ロベルタと共にヨハンの後を追う。クロイツが居るという事は、ミカエラ様もこの先に居るという可能性が高い。

 しかしミカエラ様が今日こちらを訪れるという連絡はなかった。向こうでも何かあったのか……と身構えたが、前方からくる馬影にすぐ相好を崩す事になった。


「イベッキオ! なんだアンタかよ!」

「よおフランツ! いつもウチの姫様が悪いな!」


 イベッキオはそう言って片手を上げて挨拶してきた。焦げ茶の顎鬚を生やした憎めない面をしたこの男は、ヴィオレッタ家の令嬢バネッサ様の従者で、男勝りな彼女のお目付役でもある。


 バネッサ様は事あるごとにチャールズ様を突然訪ねては、本人の都合お構いなしにあちこち連れまわす破天荒なご令嬢だ。普通なら子爵家の令嬢が挨拶もなしに伯爵家を訪ねるなんて有り得ないが、彼女は亡きチャールズ様の母君・シャルロッテ様の姪であるので、無下に扱えない。


 そんな暴走しがちなバネッサ様の舵取り役がイベッキオだ。バネッサ様が非礼を働きそうになったらすぐさま叱り、時には拳骨を見舞って詫びさせる。バネッサ様も自分が悪い時は潔く詫びる方なので、チャールズ様との関係もそれほど悪くない。


 歳はイベッキオの方が一回り近く上だが、お互いの主人が顔を合わせる機会が多いため、自然と仲良くなり、人目がないときはこうして砕けた話し方をするようになった。


「ヨハンと会ったろ? ウチの姫様がミカエラ様連れてそっち向かう所だったんだよ」

「なるほど、チャールズ様を驚かせようってとこか」

「まあそんなとこだが……お前、一人か?」

「ああ。ミカエラ様のとこに急いでたんだが、手間が省けた」


 俺はイベッキオにこれまでの経緯を説明した。


 チャールズ様が突然廃嫡と追放を言い渡された事。撤回してほしければ薬作りの利益を全て渡せと脅迫された事。廃嫡と追放を受け入れ既にアドルナート領の外に出ているだろう事。


 聞き終わったイベッキオは頭を抱えて深い溜息をついた。


「アドルナート伯爵も大概だが……チャールズ様もなぁ……」

「言いたい事はわかる。だからこうして急いでたんだ」


 イベッキオが言っているのは、チャールズ様が自分の意思で廃嫡と追放を受け入れた、つまりミカエラ様との婚約を自ら破棄した点だ。


 事前に何の通達もなく無断で婚約破棄なんていうのは、ブレッサ=レオーニ伯爵家に泥を塗った形になる。

 その事でアドルナート伯爵家に対して苦情を入れても『チャールズが暴走しただけであり、伯爵家の総意ではない』と返されれば、チャールズ様の立場が一気に悪くなってしまう。


 だからこそ、アドルナート伯爵家から正式な連絡――チャールズ様に全ての責任を被せた言い訳――が届く前に、ブレッサ=レオーニ伯爵家にありのままを伝えておかねばならないのだ。


 恐らく廃嫡と追放は、薬作りの利益の上前を増やさせるために言っただけであって、本気で全額取るつもりも、まして本当に廃嫡と追放を実行する気はなかったのだろう。


 チャールズ様が頭を下げるなり交渉するなりしていれば減額されていた可能性もなくはない。少なくともミカエラ様との結婚はできたかもしれない、が。


「ただ、長年あの家に仕えている身としちゃ、贔屓目無しでも『まあそうなるな』って思うぜ」

「……伯爵とはそんなにこじれてたのかよ」

「そりゃもう。少なくとも父上が俺の出奔を許す程度には」

「はぁ~マジか~」


 イベッキオが再び大きくため息を吐いた。そして俺の隣に馬を寄せて小声で話す。


「それで、どういう話に持っていくんだ」


 じゃじゃ馬のバネッサ様の世話役なだけはあって、話が早かった。


「少なくともミカエラ様との婚約破棄が本意でない事。最低でもチャールズ様が全面的に非難される事だけは避けたい」

「……ったく、貸しにしとくからな」

「助かるぜイベッキオ」


 そして俺はイベッキオと馬を並べて、ミカエラ様の元に向かった。


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