追放の余波
余波①
「ねえバネッサ。本当にチャールズ様に連絡せずに押しかけてしまって大丈夫かしら……」
「問題ありませんよ、ミカエラ様。
太陽が真上を少し過ぎた頃、私――ミカエラ・ブレッサ=レオーニは、幼馴染みのバネッサ・ヴィオレッタと一緒に、秋の柔らかな日差しの中を馬車でアドルナート領へと向かっていた。
バネッサは私の婚約者であるチャールズ様の母君のご実家、ヴィオレッタ子爵家の長女で今年十九歳。子供の頃、私の家に行儀見習いに来たのがきっかけで知り合い、成人した後も一緒にお茶をしたり、家格の違いを気にせず色々な相談事が出来る数少ない相手だ。
もっとも、最近の話題はあの方のことばかりなのだけれど。
「やはり従弟殿は、結婚相手として不安ですか?」
「いいえ、チャールズ様は素敵な方よ。それは本当」
来月十五歳になったら、私は婚約者であるチャールズ様と結婚する。
チャールズ・アドルナート様。アドルナート伯爵家の長男で、私の一つ上の十六歳。ちょっと変わった所もあるけど、とても尊敬できるお方だ。
チャールズ様は貴族なのだけれど、同時に薬師の仕事もしている。知り合って間もない頃、伯爵家がお金に困っていないのにどうして? と聞いた事がある。
あの方は金の為じゃない、と言った。
『自分の力で、助けたいと思った人間を助ける為だ』
――ああ、私、この人が好き。
チャールズ様の人柄に不安なんてない。誰かの力になるために一生懸命になれる彼は、悪い人なんかじゃないと胸を張って言える。
「ただ……私があの人の妻に相応しいのかが不安なの」
チャールズ様の隣に立つたび、会話をする度に思う。
あの方に会うまでは、私は自分がどんな人間になりたいかなんて考えた事もなかった。貴族の家に女として生まれた以上、家の為にどこかの子息に嫁いで子を産み、その家に尽くして生きるのだろうな、と。そんな未来とも呼べない漠然とした予想図が頭の中にあっただけ。
でもチャールズ様は、ご自身が何になりたいかをはっきりと見据えて生きている。
ご自身が目指す何かの為、今ご自身に出来ることに、手を抜かずひたむきに取り組んでいく。
そんな強くて、立派な人の隣に立つのが、私でいいの? 今まで何も考えずに漫然と生きていただけの私は、チャールズ様の妻に本当に相応しいの?
結婚を間近に控えた今になって、そんな不安が胸から溢れてきて堪らない気持ちになる。
そんな私を見かねたバネッサが「じゃあ本人に確かめに行きましょう」と屋敷を連れ出されて今に至るのだ。
「安心して下さいミカエラ様。従弟殿は貴女様の気持ちを蔑ろにするような男ではありません。というか、そんな男だったら親族を代表して私が引っ叩いて改心させます」
「もうバネッサ、乱暴はダメよ?」
「大丈夫ですよ。従弟殿なら打ち身の薬くらい自分で作れるでしょう」
ヒュンッヒュンッと張り手の素振りをするバネッサについ声を出して笑ってしまう。彼女のこういう所に、私は何度も救われているのだ。
それからしばらく街道を進んでいると、不意に馬車が止まった。コンコンと、馬車の窓が叩かれる。
「ミカエラ様、よろしいでしょうか」
「どうしたの、クロイツ」
声を掛けてきたのは、私の従者クロイツだ。
真っ直ぐな黒髪を後ろで束ね、左耳に付けたペリドットの耳飾りが髪の隙間から光っている。普段あまり表情が変わらない彼が、珍しく怪訝そうな顔をしていた。
「先行させていたヨハンから、チャールズ様の従者フランツがこちらに向かっていると」
「あの赤毛で背の高い方? もしかして、チャールズ様もご一緒なの?」
「いえ、単騎です。それも、かなり急いでいるようで」
話を聞いたバネッサは馬車の窓から身を乗り出して、自分の従者に呼びかけた。
「イベッキオ、迎えに行ってやれ」
「かしこまりました」
バネッサの従者イベッキオが馬を駆って素早く馬車の横を走り抜けた。私たちの中で一番年上の彼の背が、瞬く間に見えなくなっていく。
「チャールズ様の身に、何かあったのかしら……」
いつもと違う出来事に胸騒ぎが止まらない。どうか杞憂であってほしいと思いながら、私は馬車の中で遠くなっていく蹄の音を聴いていた。
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