追放④


 荷造りを終えた坊ちゃまの部屋に、ノックの音が響きました。

 坊ちゃまは私がアメジストのペンダントの中に戻った事を確認し、扉に向き直ります。


「誰だ?」

「衛兵長のカルロスでございます! 入室許可を賜りたく!」


 坊ちゃまが入室を許可なさると、アドルナート伯爵家の衛兵長であるカルロス・マリオッティ殿が数人の衛兵たちを伴ってお入りになられました。


 カルロス殿は領地を持たない男爵でありますが、長らく当伯爵家に武を以て仕えてきた御方です。

 四十半ばにも関わらず鍛え上げた堅牢な肉体と、燃えるような赤毛をお持ちで、口元に蓄えたたっぷりの御髭が印象的でございます。


「どうしたんだ? カルロス」

「いえ、その……この部屋は一体?」


 普段は武人としての威厳のある御姿のカルロス殿ですが、空になった坊ちゃまの部屋に、他の近衛兵共々呆気に取られておいでです。


「荷造り手伝いに来たんすけど、いらなかったみたいっすね」


 カルロス殿の隣に控えていた背の高い赤毛の騎士が、軽く手を挙げて気さくな調子で坊ちゃまに声を掛けます。


「フランツ! チャールズ様に気安くし過ぎだと何度言えばわかる!」

「ご本人が良いって言ってんですよ父上。ねえチャールズ様?」


 そういって坊ちゃまに向けて片目をつぶるフランツ殿に、坊ちゃまの頬が緩みます。


 父親譲りの燃えるような赤毛に彫りの深い顔立ち。すらりと長い手足に細身ながらも鍛え上げられた肉体を持つ精悍な色男で、気障な仕草も大変様になっています。

 衛兵たちの中で最も若い二十一歳のフランツ殿は、坊ちゃまも親しみやすい相手のようで、私が契約した時からずっと、外出の供には必ずフランツ殿を選んでおります。


「で、実際どうやったんですこの部屋?」

「マジックバッグ。貰い物だけどさ」

「また珍しいモンを。商業ギルドあたりからですか? 周到っすね」

「まさか。機会があれば旅に出たいと思った事はあったけど、流石にこれは予想外だった」


 バッグの出所をサラリと流し肩をすくめた坊ちゃまに、カルロス殿とフランツ殿、衛兵の皆様が改めて向き直ります。


「チャールズ様、この度はお力添え叶わず申し訳ございませんでした!」


 カルロス殿を筆頭に、皆様が一斉に頭を下げました。


「頭を上げてくれ。皆にも暮らしがあるんだ。家族を守る事を後ろめたく思わないでくれ」

「……御厚情、誠に痛み入ります」


 頭を上げたカルロス殿の目は、少し潤んでいるようでした。


「我ら衛兵は、これより追放なされたチャールズ様が領内に留まらぬ様、お見送り……」


 ゴホン、と大きく咳ばらいをされました。


「……見張りをさせていただきます」

「父上ホントこういうの向いてませんね」

「黙っとれフランツ!!」

「減らず口も取り得なものでっと!」


 フランツ殿の軽口に拳を振り回しながら怒るカルロス殿。そんなお二人を見て笑う衛兵たち。普段と変わらぬその様子に、坊ちゃまもようやく肩の力を抜いてお笑いになられました。


「チャールズ様、これからどちらに?」


 カルロス殿の拳を避けながら、フランツ殿が聞きました。


「王都を目指そうと思う。追放の身だ。下手に他の貴族の領内に行って諍いの種になりたくないからな」

「王都までの足のアテはあるんすか?」

「薬師ギルドか、商業ギルドに相談してみるよ。王都に出荷する薬の荷馬車にでも乗せてもらおうかな。ギルド長達ともと話したいし」

「わかりました、おっと!」


 眼前に迫った拳をパチリと掌で受け止めるフランツ殿。憮然とした顔で拳を下ろしたカルロス殿に視線で謝罪をした後、坊ちゃまの前に進み出ます。


「俺は今からブレッサ=レオーニ伯爵領まで赴き、今回の件について報告してきます。悪い様にはしませんので、万事お任せ下さいね」


 フランツ殿は片眉を上げてニヤリとお笑いになります。坊ちゃまがミカエラ様に会われる際の供もしておりましたから、あちらにも顔が通じるのでしょう。


「ミカエラ様に、何かお言伝はありますか?」

「そうだな……これを届けてほしい」


 坊ちゃまはマジックバッグの中に手を入れ、綺麗に包装された小さな箱を取り出しました。フランツ殿は両手でそれを受け取ります。


「ミカエラへの成人祝いだ。『直接渡せなくてすまない。どうか息災で』と」

「……必ず、お届けいたします」


 フランツ殿はそう言って、部屋から立ち去ろうとしました。が、ドアの前で立ち止まってから、クルリとこちらを振り返ります。


「では、また王都で!」


 驚きのあまりに声も出ない坊ちゃまに片目をつぶって微笑むと、フランツ殿は今度こそ颯爽と部屋を立ち去りました。


 追放された坊ちゃまについて行くという事は、主家を離れ、領地には二度と戻らないという事。爵位を持たぬ者が追放を受けた場合、追放された領内のどの家にも仕えることは出来なくなります。


 つまり、フランツ殿がアドルナート伯爵家でなく、チャールズ様という一人の人間に仕えるという意思表示に他なりません。 

 

「お調子者ではありますが、剣の腕は我々の中でも随一です。口が達者なのも役に立ちましょう。遠慮なく使ってやって下され」


 尚も困惑した様子の坊ちゃまに、カルロス殿は穏やかな笑みでこう言います。


「チャールズ様。この家に仕えるもので、貴方様の薬に世話になっていない者はおりません」


 カルロス殿は跪き、両手でそっと坊ちゃまの手を握られました。


「貴方様がお作りになる薬は、我々の暮らしの支えなのです。

 女中たちに配るあかぎれの薬や、庭師や厩番に配る痛み止めの湿布、文官に配る目の薬。貴方様の薬がある事で、辛くとも、貴方様の為に良い仕事をしようと思うことが出来るのです。

 我々衛兵も『チャールズ様の薬がある』と思えるだけで、気負うことなく盗賊や魔獣の討伐に迎えるのですよ」


 立ち上がったカルロス殿は、穏やかな笑みを湛えたまま言います。


「貴方様からこれまでに賜った御恩を、貴方様のこれからにお返ししたいのです。この地に留まる事叶わぬなら、せめて倅を連れて行って下され。あれにとっても、見聞を広める良い機会となるでしょう」

「――……ありがとう」


 坊ちゃまは震える声でただそれだけを言うと、カルロス殿の手を強く握り返しました。


「さあ、参りましょう。馬の用意がそろそろ済むはずです」


 カルロス殿を先頭に、衛兵の皆様が部屋を退出してきます。坊ちゃまは最後に一度だけ空っぽになった部屋を振り返りましたが、すぐに背を向け、真っ直ぐ背を伸ばして部屋を後にしました。


 こうして坊ちゃまは屋敷を離れ、衛兵たちの先導で薬師ギルドまで向かう事となりました。


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