追放③


『薬作りで稼いだ金を全て寄こせ。拒否するならば廃嫡し追放する』


 血を分けた父と弟からの下卑た脅迫を、チャールズ坊ちゃまは毅然とした態度でお断りなさいました。

 こうなったら坊ちゃまはもう止まりません。


「今までお世話になりました。では、荷造りがあるので失礼いたします」


 断るとは微塵も考えなかったのでしょう。呆気にとられる父君ハゲと弟君を横目に手短に辞去の挨拶を済ませ、足早に執務室を立ち去ります。

 そのまま速度を落とす事無く自室に辿り着きドアを乱暴に開けました。


 部屋の壁一面に並んだ棚には、坊ちゃまがこれまで集めた薬草を始めとして、試作品の魔法薬や研究資料が隙間なく詰め込まれ、庭に面した大窓の前にある作業机には、薬作りの道具が所狭しと置かれています。


 部屋に入った坊ちゃまはクローゼットから薬草採取用の服を取り出し、手早く着替えを始めました。


『本当に、このまま出て行かれるのですか?』

「ああ。あの二人はもう、俺にとって毒でしかない」


 喋りながらも坊ちゃまはお一人でテキパキと着替えを進めて行きます。刺繍の入ったベスト、絹で出来た真っ白な襟付きのシャツ、磨かれた黒の革靴を脱ぎ捨て、折り目のついた薄いズボンも脱ぎ、ベッドの上に無造作に放り投げます。


「ここに居たら、俺の金も、夢も、尊厳も、何もかもがあの二人に台無しにされる」


 麻で出来た草色の襟なしシャツに、焦げ茶色の無地のベスト。黒く分厚い生地のズボンに足を通し、山歩き用の頑丈なブーツに履き替えます。


「師匠も言ってたろ。『毒に侵されない一番の方法は、毒に触れない事』だって。それに……」


 飾り気のない剣帯を腰に巻き、左側にはショートソード、右側にはナイフを吊るし、ベストの中には投擲用のダガーを忍ばせて、最後にフード付きの黒いマントを羽織りました。


「『馬鹿に付ける薬はない』とも言うしな」


 そして作業机の横に掛けてあった使い込まれた革製の小さな背負い鞄を手に取り、部屋の隅にあった薬棚の前に立ちます。


 この鞄は私の元主ボルジアから坊ちゃまに譲られたマジックバッグ。生物以外であればどんな大きさ・重さであろうと収納できる魔道具です。


 坊ちゃまが鞄の口を開けると、坊ちゃまの背丈以上もある薬棚が一瞬で小さな鞄の中に吸い込まれました。この屋敷一つ分の容量を持ったマジックバッグは、部屋にある物を次々と吸い込み、少しもかからぬうちに、空っぽの部屋の真ん中には坊ちゃまが一人でお立ちになるだけでした。


『本当に、このまま出て行かれるのですか?』


 私は坊ちゃまの胸元に下がるアメジストから問い掛けました。


「……今年は天候に恵まれたし、副業の薬草栽培もあるから領民たちの暮らしは心配ないと思う」


 質問の意図とはずれた答えではありましたが、坊ちゃまはご自身の気掛かりを口に出されます。


 坊ちゃまが幼い頃、領内の天候に恵まれず不作となり、暮らしに困窮した者が多く出た年がありました。その際にボルジアの助言を受け、天候に左右されない家庭内で薬草の栽培し薬師ギルドへ売る事を領民に提案し、坊ちゃまが自らの足で栽培方法を教えて回ったことがございました。


 その年の不作を乗り切った後も、日頃から簡単にできる不作の備えとして薬草栽培は領内で広まり、今では農民を中心に多くの家で副業として定着しております。


 ただ、と坊ちゃまは少し小さな声で仰います。


「……ミカエラに挨拶できないのは、少しな」


 やはり一番の気掛かりは、婚約者であられるミカエラ様の事なのでしょう。


 ミカエラ様は大変美しく聡明なお方です。白金の髪に翠緑の瞳、透けるような白い肌。儚げな見目とは裏腹に芯の通った女性であり、時折ハッとさせられるような鋭い視点から意見をお出しになる才媛です。


 ともすれば頑固で融通の利かない一面のある坊ちゃまも、ミカエラ様の意見から

閃きを得て、新たな薬を開発出来た事も何度かあります。


 所謂いわゆる家同士の政略結婚ではありますが、お二人とも仲睦まじく、来月にミカエラ様が成人されましたら、晴れて夫婦となる約束でした。


「まあ廃嫡を命じられた以上、婚約も立ち消えだろうし。そんな状態で向こうの家に押しかけてもどうしようもない。それに『追放された俺をかくまっていた』なんて難癖でもつけられたら、迷惑にしかならないし」


 坊ちゃまは何もない部屋をじっと見つめて言いました。


「……どんな形であれ、俺の意思で彼女を捨てていくのに変わりないんだから」


 私は堪らず、アメジストのペンダントから抜け出しました。灰色のドレスの裾をフワリと浮かせて坊ちゃまの前に降り立ちます。


「本当に、このまま、何もせずに出て行かれるのですか?」


 ドレスの裾を揺らして一歩。そっと坊ちゃまの耳に唇を寄せました。


「……私の毒は、馬鹿にも効きますのよ?」


 坊ちゃまは私と同じ目の高さから、凛とした声で呼びかけます。


「毒精霊カンタリス――お前には、誰も殺させない」


 私の胸元より小さかった頃からは考えられない、意志のこもった強い眼差しをお返しになりました。


「あらゆる毒と病の精霊よ。未熟な俺を、我が師ボルジアに代わって導いてくれ。師を超え、俺が、俺の目指す薬師となれるように、その知と力を俺に貸してくれ」

「――我が主チャールズの望むままに」


 私が微笑んで深く首を垂れますと、コンコンと、部屋のドアがノックされました。


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