第2話 斜陽

 セレナ海岸


 ユニガンより北東に位置し、魔獣との戦いが終わった今、東方ガルレア大陸へ渡る際の玄関口の役割を果たしている港町リンデへと続く道である。

 隆起した岩によって形作られた、潮風の薫る天然の街道を、アルドとユーインは進む。


 道程にして、およそ半分ほどの距離であろうか。岩の回廊が開け、海岸線を一望することができる、景色の良い高台がある。



 アルドはそこで見知った顔を見かけ、駆け寄って声をかけた。



「やあ、ベルトランじゃないか」



 アルドの旅の仲間のひとり、隻眼の偉丈夫いじょうぶベルトラン。彼は、今でこそ流浪の傭兵であるが、かつては『ミグランスの盾』と称され、数々の激戦を潜り抜けてきたつわものだ。


 彼は高台に腰を下ろし、物思いにふけっていた。



「アルドにユーインか、奇遇だな」

「奇遇、ね……」



 どこか含みのある面持ちのユーインが呟いた一言に、ベルトランは首をかしげた。



「どうかしたのか?」

「ブローカーの勘さ。経験上、こういうときの縁には、ある種の必然性ってやつが働いているモンだからな」

「ーーフッ、なるほど。かもしれんな」



 ベルトランは顎に手を当て思案し、同時に頷いた。



「11年前、ひとりの英雄……いや、英雄たちがリンデで命を落とした」

「……そいつの名は、もしかしてフレデリック?」



 やはりか。とベルトランはユーインの言った必然的な縁というものを感じ、薄く笑った。



「なあベルトラン、『黄昏の剣』って聞いたことないか?」

「いや、聞いたことはない。なにやら事情があるようだな」

「ああ、実は……」



 アルドはこれまでの経緯をベルトランに説明した。



「なるほど。つまり、その『黄昏の剣』とやらが、フレデリックと関係している可能性がある、と考えているのか」

「そうなんだ。ベルトランは、なにかフレデリックについて知っていることはないかな?」



 波の音と海鳥の声を運ぶ潮風が、ひときわ強く吹いた。

 どこまでも高く、澄んだ青空を仰ぎ見るように遠い目でベルトランは口を開く。



「フレデリックとは……アイツとは騎士団時代、同期だった」



 ▼



 ーーフレデリックとは、俺やラキシスがまだ新兵だった頃に出会った。


 剣の腕は同期の中では随一、現地における戦略眼の冴えも頭ひとつ抜け、ゆくゆくは騎士団を引っ張っていく存在であると期待されていた。


 ただ、完璧な人間などいない。その優れた才ゆえに周りから浮いていたのだ。


 ヤツは良くも悪くも一本気な男でな。気に食わない者は、たとえ上官であろうと刃向かったし、それに比例して命令違反が多かった。そのたびに、俺やラキシスは方々ほうぼうへ弁明に走り回ったものさ。

 そんな素行不良も、結果として上手くいってしまっていたため、フレデリックに意見できる者は少しずつ居なくなっていき、次第にヤツは傲慢になっていった。

 しかし、そんな人間がまかり通れるほど、組織というものが優しいはずがない。フレデリックはどんどん孤立していった。

 厄介者を押し付けあうような形で転々と各地へ回しされ続け、剣すら握れないような日々が続いていたという。

 それからしばらくして、俺とラキシスは一度だけフレデリックに会いにいったことがある。そこで俺たちが見たのは、かつての面影すら分からなくなるほどに腐ってしまっていたフレデリックだった。

 頬はけ、瞳はヘドロのように濁り、大木の如き身体は枯れ草のようにしなびていた。


 俺たちは、なんと声をかけたら良いのかわからなかった。なにを言っても、当時のヤツの心へは響かなっただろう。それほど、フレデリックの凋落ぶりは凄まじいものだったからだ。


 そして、もう何度目となるのかわからない、フレデリックの部隊転属。そこで、彼は自身の契機となる人物……後に、リンデの戦いにおいて司令官として指揮を振るい、騎士団を勝利へ導いた、ヒース隊長と出会ったのだ。


 詳しいことは知らない。だが確かに、ヒース隊長の下で、フレデリックは騎士として成長し、生まれ変わっていった。

 噛み付くよりも歩み寄ることに。否定はしても、提案を交えて献策するように。時に引っ張り、時に肩を並べて、そして時には背中を押して。そうやって皆を導いていくフレデリックの姿は、いつしか信頼を、そしてかつての誇りを取り戻していった。



 ▼



「ーーもしもアイツが生きていたとしたら、今ごろはラキシスと共に騎士団を、王国を支える二枚看板となっていただろうな」



 潮風が一筋、強く吹いた。

 そこまでを一区切りとし、ベルトランは乱れた髪をかき上げる。



「立派な人だったんだな。よければ、もう少し聞かせてくれないか?」

「ーーうむ。だが、それから先を話すのは、もう少しだけ待ってほしい」

「どうかしたのか?」

「ここで人を待っているんだ。もうひとりの英雄をな」



 すると、さざなみの音に混じり、杖をつく足音が聞こえた。



「わたしが英雄なものか」



 ひとりの老人が、岩陰から姿を現した。

 潤いの無くなった長い白髪を無造作に結い、皺にまみれたその顔は、なにもかもに疲れきっているように見えた。

 それに、左足を悪くしているのだろう。彼は引きずるようにゆっくりとした動作でベルトランへ近付くと、強張った身体で背負っていた包みを下ろす。



「ご無沙汰しております、ヒース司令」

「司令、か……いまもわたしをそう呼んでくれるのか」



 ヒースの表情が寂しそうに歪んだ。まるで、かつての自分を思い出すことを拒んでいるかのように。



「ベルトラン。いま、この人のことをヒースって……」

「驚いた。一線を退いたと聞く『リンデの英雄』をここでお目にかかれるとは光栄だぜ」

「ベルトラン、彼らは?」

「アルドとユーイン。仲間です、ご安心を」

「そうか……アルドとユーインとやら、よしてくれ。わたしは、そんな肩書きを得られる資格などない」



 ユーインの発言は本心からの言葉であったが、それに対してもウンザリとした態度でヒースは首を振った。



「なあベルトラン、どういう戦いだったんだ?リンデの戦いは」

「そうだな、俺の知っているリンデ戦いとは……」



 A.D.289

 人間と魔獣との衝突が避けられなくなったこの年、魔獣軍は海を渡り、リンデへ攻撃を仕掛けた。

 当初、リンデを守る部隊はヒースの指揮の下、防衛戦を有利に進めていた。

 しかし開戦から7日が経った頃、突如としてセレナ海岸に魔獣の大軍が上陸した。魔獣は部隊を2方面へ展開しており、リンデを直接攻める部隊を囮に、ユニガンまで目と鼻の先に迫る距離へ、本命の部隊を接近させていた。

 形として前線防衛地が挟み撃ちされるという状況下でヒースが実行した作戦は、こちらも部隊を2つに分けるというものだった。

 ただし、2つといっても等分ではなく、部隊の大部分をヒースが率い、セレナ海岸の魔獣をユニガンと挟撃。迅速に撃破し、その勢いのまま、リンデへ取って返すというものだった。

 そして、ヒースが戻るまで、文字通り命尽きるまでリンデを守り抜くという、ごく少数の決死隊を率いていたのが、フレデリックであった。

 そして、フレデリックら決死隊は壊滅するものの、ヒースはユニガンの部隊と共に魔獣を押し返し、結果としてリンデの戦いを王国の勝利へと導くこととなったのだ。



「もしも、あの戦いで真に英雄たる資格があるのは、フレデリックと、そして彼と共に戦い散っていった騎士たちだけだ。所詮わたしは、彼らを英雄にしてしまった・・・・・・・・・、ただの無能だよ」



 そう吐き捨て、ヒースは包みの紐を解き、中身を取り出すとベルトランに手渡した。

 そこには一振りの剣があった。騎士団の者であれば誰もが手にすることになる、ありふれた支給品の剣だ。



「これが……」

「ああ。戦の後にわたしの元へ届けられた、フレデリックの亡骸が握りしめていた剣だ」



 当時のままの状態を残しているのだろうか。つかの部分は赤黒い染みが広がっており、鞘に収まりながらも、剣身がどういう状態になっているのか容易に想像できるほどに、生々しく激戦の名残を刻み込んでいた。



「なあユーイン、もしかしてアレが……」

くだんの剣かもしれねえな。……が、しかし、だ」



 ユーインは首を振った。

 長年ブローカーとして活動している彼は、武具が纏う"想い"や"念"といったものを敏感に感じ取ることができる。



「怨念だとか怨嗟だとかを纏っている武具ってヤツは、なんというか……こう、独特の"湿り気"や"粘っこさ"だかを感じるもんなんだ。だが、この剣からは、まるでそれらを感じねえ、むしろ……」



 一方のベルトランは、鞘から引き抜こうとする。しかし、軽い力では容易に抜くことができなかった。おそらく、中で剣身が歪んでしまっているのだろう。



「……どれだけ斬れば、これほどにまで歪むのでありましょうな」

「わたしには、とうてい抜けるものではなかったよ。少し力を込めれば抜けるのであろうが……」



 広げられたヒースの両手は、痙攣しているかのように激しく震えていた。彼は必死に握ろうとするが、その拳は、あまりにも弱々しい。



「その少しが、未だにできないのだ……」



 その両手は、やがて頭へと持っていかれ、ただでさえ手入れの行き届いていないヒースの白髪を、さらにクシャクシャに掻き乱した。



「いまでも考えるのだよ。もっと良い方法があったのはずだと。わたしのようなオイボレが惨めに生きながらえることもなく、フレデリックのような才ある若者が歴史を紡いでいけるような未来があったはずだと……」



 ヒースはかきむしり抜けた毛が絡んだままの両手で顔を覆い、崩れ落ちた。

 アルドたちの目もはばからず嗚咽を漏らし、溢れ出した涙はとめどなく地面を濡らしていく。



「ヒース司令、それは違う」



 その姿を見たベルトランは、力任せに剣を引き抜いた。刃はこぼれ、血錆ちさびで剣身はボロボロだった。

 しかしそれでも、曇った剣身の隙間からは鈍色の輝きが美しく漏れ出している。



「ご覧あれ。これがヤツの遺志です、フレデリックの想いなのです。あの時、アイツはなんと言っていましたか。あなたに恨み言をぶつけていたのですか」

「思い出せない……思い出そうとすればするほど、割れるように頭が痛むのだ……」



 うずくまるヒースの姿に、かつて称えられた英雄としての面影はない。ただただ罪の意識に押し潰されることを恐れ、無様に身を屈めてまで己を守ろうとしている哀れな老人の姿があった。

 しかしベルトランは、フレデリックが命を掛けて戦い抜いた果てに辿り着いた想いが、負の感情であるはずがないという確信があった。



「ーーあれは、次空の渦!?」



 それはヒースの悔恨か。はてまたフレデリックの想いからか。それとも単にアルドがいたからなのか。


 突如として空間がねじれ、眩い光を放つ渦が現れた。

 過去から未来まで、あらゆる時空を繋ぐ門。ただ、それはいつものソレとは違い、薄い赤みがかった色をしていた。



「……いこう、ベルトラン」



 アルドはそう言い、ベルトランは疑うことなく頷いた。



「いきましょう、ヒース司令」

「この中へ?」

「ええ。この先にきっと、真実があります」



 ベルトランは、まだ足元のおぼつかないヒースの手を取り、時空の渦の中へ入っていく。



「ユーイン、俺たちも後を追おう」

「勿論だ。ここまで来たら、最後まで見届けねえとな」



 アルドとユーインもまた、ベルトランたちを追い、時空の渦へ飛び込んでいった。







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