第2話 人を好きになれない病
母親と対面で会話をするのは久しぶりで、昼食をとりながらも話が弾んでしまった。部屋に戻り、充電器につなげたまま存在を忘れていたスマートフォンの電源を入れる。
「わ、わ、通知……」
インターネットに接続すると、友人や東京で世話になっている伯父からの連絡が大量に届いた。自分の周りには心配性な人が多いなと苦笑しながら返信する。幼馴染とのトーク画面を開いた瞬間、通話がかかってきた。
「も、もしもし」
「結子ー! 既読つかないから心配したんですけど!」
「ご、ごめん
長距離バスの中でずっと連絡を取り合っていたのだ。いきなりメッセージに既読がつかなくなり、そのまま半日も経てば心配もするだろう。悪いことをした。既読がついたのを見てすぐ通話をかけたのだろうか、せっかちなところは昔から変わらない。
「バス疲れたっしょ、んー、許した! おかえり」
「ただいま。ずっとスマホ見てたの?」
「んーん、昼休憩中」
幼馴染の千夏とは、姉妹のように育った仲だ。私は中学卒業後、伯父を頼って東京の高校へ進学。千夏は地元に残り、高校卒業後すぐに就職してもう立派な社会人だ。
お互いに忙しくなって、数回しかメッセージを取り合わない年もあったが、それでも私たちの仲の良さは変わらなかった。
「ほんで、何日までこっちにいるんだっけ?」
「日付決めてないんだけど、お盆は家族で過ごすから、その後帰るよ」
「そかそか。まー、積もる話はあるけど、とりあえず日程調整ってことで」
「どこか遊びに行く?」
「お祭り行こうよー! 休みとるからさー!」
「あ、まだやってるの? 三十一日だっけ、稲荷山神社祭り」
毎年、七月三十一日に近所の小さな神社で行われる夏祭り。かつては豊穣を祝い、地域を守るお稲荷様に感謝を返す催しで、供え物や神楽、祝詞などのプログラムがあり、儀式的な側面が強かった。しかし、私たちが中学に上がる時期にはすでに形骸化し、露店や盆踊り、カラオケ大会などイベント的な要素が占めていた。
「そー。だいぶ規模はちっちゃくなっちゃったけどね」
「そうなの?」
「うん。あんたが東京行く前と比べて半分くらいよ。屋台でてんの」
「そっか。懐かしいな、千夏、型抜きできなくてお小遣い全部突っ込んだときあったよね」
「やめてよ! いつの話だよ!」
―ちりん。
七月三十一日。
幼いころの私は、その日をとても楽しみにしていた。なにか、大切なことがあったはずだった。
「んでさあ……結子? おーい」
「あ、ごめん」
「いや。疲れてるなら切ろうか?」
「大丈夫。何?」
「アレ、結局どうなったのかなーって」
「えっと……。どれ?」
「はぐらかさないでよ、イケメンの先輩に告られたってやつ」
千夏とバスの中でずっと話していた内容だ。昨年卒業した、サークルの先輩に告白されたという、それだけのことだ。浮いた話のなかった私に、千夏が珍しがって根ほり葉ほり聞こうとしただけで。プライベートなことだというのに、馴れ初めから詳らかにされた。
「あー、ね」
「その反応は、お断りですか」
「人としては普通に好きなんだけどね」
「でましたそのセリフ、もう何十回も聞いた。なあに、また結子の優しさの被害者だったわけ」
「やめてよ、私が悪いみたいに」
昔から千夏は、私が告白を断った相手を、『結子の優しさの被害者』と呼ぶ。私は、人として優しく接しているだけだ。誰にも平等に、親切でありたいだけだ。それを千夏はまるで私が人をたらしこんでいるかのように、そう呼ぶのだ。
優しくしてくれるから好きになったんだと、告白の文句は大体同じ。優しく親切でいるということは、敵を作らないよう努めるということだ。私はそんなに優しい人間ではない、と自分では思う。誰にでも平等に優しいのは、好きだからではないし、嫌われるのが怖いなどという理由でもない。嫌われると、面倒くさいからだ。だから私の優しさは、善意ではない。防衛なのだ。
「もーいっつもそうじゃん。試しに付き合ってみようとは思わなかったの?」
「二回お食事した」
「何、何がいやだったの? はっ……まさか二回目にして夜のお誘い!?」
「そんなんじゃないってば。誠実な人だったよ」
「じゃあなに!? 食べ方が汚い!? 体臭がすごい!?」
「あの、普通の人だよ……」
「じゃあなんでよ! 優良物件でしょうがイケメンで一部上場企業勤務って!」
「言い方……。二回で告白は早いでしょ」
「でもサークル一緒だったんでしょ!?」
いい人だ、と思う。堅実で、私が嫌がることはしないよう気を付けてくれていた。食事だって大学生の私が気後れしない程度のお店に連れて行ってくれる。千夏の価値観は露骨だけれど、一般的には『優良物件』なのだろう。
「まったく結子は昔からモテんのに何がだめなのかねえ。
まだ治んないの? なんだっけ『人を好きになれない病』?」
「うーん……多分。せっかく好きになってもらってるのにね。なんか、違うなってどうしても思っちゃって。こう、胸らへんがもやもやする、みたいな」
「好きになってもらってるってなによ」
「私みたいな、冷めたやつ」
「ダメそういうの。いいんだよ、直感が違うって言ってるなら」
「千夏、さっきと言ってること違うんだけど」
「えー? ま、心配っちゃ心配だけどね」
「心配かけて、ごめん?」
「なんで疑問形?」
「千夏のことは大好きなんだけどな」
「しってるううう~!」
その後、職場の人のものであろう「さっさと戻れ」という声が聞こえ、名残惜しそうに電話を切られた。また夏祭りの日にどうせ聞かれるのだろうなと思うと幼馴染ながらげんなりする。
人を好きになれない病。そんな病気、無いはずだ。
周りのみんなみたいに、ドラマとか映画みたいに、キラキラしたものが「好き」って気持ちで、恋だとしたら、私にはそれがわからない。愛想よく笑って、気を使って無難に振舞って好かれることはあっても、自分からそういう気持ちにはならない。誰かを好きになればわかるよと、友達は言うけど、私には恋愛感情なんて、これからもずっとわからないかも。
だってこれは、『病』なんだもの。
―ちりん。
―来年もまた、俺はここにいるよ。
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