第11話 納得できたらそれでいい

 大学では准教授と生徒の顔になり、今朝の雰囲気は切り捨て僕らは研究に没頭した。

「藤裔君が掘っていた穴なんだけど、続きを掘ってみたんだ。そしたら」

「これですか」

「そう、これ」

 さらりと簡単に言われ、反応に困ってしまった。

 巻物の一部がまた見つかったと言われ、僕が喜ぶより先に諏訪准教授が声にならない声を上げる。こんな姿は、パチンコ屋を通ると知らない男性が似た反応をしているときがある。そっくりだ。

「君が見つけたようなものだったよ。これをここの研究所で解明したいんだけど……」

「もちろん構いません。僕の大学より、設備が揃うこちらでするべきです。羨ましいですけど」

「なら北海道に来ない? 卒業はいつ?」

「今は大学三年です。最短で再来年ですね」

「ちょうど諏訪准教授にも声をかけてたんだ。君もよければ」

「どういうことですか?」

 諏訪准教授を向くと、申し訳なさそうな顔で視線をさまよわせた。

「言わなくてごめんなさい。実は、引き抜きをされていたんです。来年に、北海道へ来ないかって」

 唐突すぎる話だ。唖然とする僕を見て、諏訪准教授の顔が困惑するのが分かる。

「まだ分かりませんけどね。ほら、今の大学には行ったばかりですし」

 僕のせいで、気まずい空気になってしまった。気の利いた言葉をかける術が、僕にはない。それよりも動揺をどうごまかしきるかで精いっぱいだった。

 変な空気のままで、教授と何を話しても次から次へと抜けていく。心に留まったのは、卒業したら北海道へおいでというお誘いだけだ。

「なずな君?」

 は、と息を吸い顔を上げると、車の中だったと思い出す。

「ごめんなさい……聞いていませんでした」

 諏訪さんは人差し指を僕の頬に差し、何度もむにむにする。

「柔らかい」

「今なら触りたい放題ですよ」

「本当ですか? 嬉しいなあ。僕だけの特権だったらいいなあ」

 あなただけの特権です、と心の中で呟く。

「先にホテルに送りますから、ご飯の用意をお願いできますか? 僕は病院に行きますので」

「お母様の?」

「ええ」

「僕も途中までついていってもいいですか? 夕食は簡単に、残った野菜で雑炊を作りましょう」

「本当に?」

 赤信号が青に変わる。ルールに忠実な諏訪さんは慌てても安全運転だ。性格が滲み出ている。

「雑炊楽しみだなあ」

「あれ? そっちだけですか」

「ふふ、このまま向かいましょう。もちろん嬉しいですよ。病み上がりのなずな君でなければね」

「熱は下がったし、足は歩く分には支障ないですよ」

「実は、ちょっと寂しかったんです。心細いというか。なずな君は、そういう気持ちになりませんか?」

「今朝、そうなりました。起きたら隣が空っぽでした」

「では今日は、少しお寝坊さんになりましょうか。なずな君が起きるまで、ずっと隣にいます」

 『ずっと』がもっと続けばいいのに。声にしたら、諏訪さんはきっと困惑する。

 駐車場で車から降りると、諏訪さんは心配そうに見つめてくる。

「巻き込んでしまって、すみません」

 たった一つの物事に対する「すみません」ではないだろうと、理解できる。

「痛くも何ともないですよ」

 だからこそ、曖昧に濁して大丈夫だと笑った。

 ロビーは昨日よりも空いている。諏訪さんが面会の申し出をしている間、隅っこで待つことにした。

 エレベーターに乗る直前、ごめんなさいと全力でオーラを放つ諏訪さんに、僕は首を振る。

 悪いより良好に向かう方が良いに決まっている。足は速い方がいいし、逆上がりだってできないよりできた方がいい。人間関係だって、良いに越したことはない。

 十分ほど過ぎた後、踵を鳴らして近寄ってくる男性がいた。昨日ぶりの再会。

「わざわざついて来てくれたんだってね。病み上がりで申し訳ない」

「いえ……僕こそ無関係なのにすみません」

「諏訪啓二といいます」

「藤裔なずなです」

 意外そうな顔をしたが、藤裔については何も言わなかった。

 啓二さんが隣に腰を下ろすと、古いソファーは軋んだ音を上げる。

「俺たちの話はどこまで聞いてる?」

「お母様の件に関してであれば、何も聞いてません。諏訪さんも連絡は取っていなかったみたいでしたし。お家のことは、勘当されたと聞いています。お兄様とは仲が良かったとも。かっこいいお兄様に、憧れを抱いているようでした」

「そっか」

 短く返事をすると、啓二さんは息を吐く。

「君の財布に入っていたカードだけど、」

「埴輪の?」

「ああ」

「よく覚えていらっしゃいましたね。僕が持っているのは気に入りませんか?」

「…………いや、あいつが渡したものだろう」

 気に入らないと顔と声に書いてある。意外と顔に出るタイプらしい。

「お兄様からもらった大事なものだと言っていました。諏訪さんに後で返すつもりです。お守り代わりに、借りているだけです」

「ゲイだって、知ってるのか?」

「ええ、聞きました」

「ここは田舎だ。ちょっとしたことですぐに噂になる。俺も……自分を守るために、ああするしかなかった」

 啓二さんは頭を抱え、葛藤と戦っている。

「あいつ、当時好きだった人がいたんだ。そいつに告白して、玉砕した。相手が学校中に言いふらして、俺まで差別的な目で見てくる奴がいた。俺が取った行動は、弟を守るより保身に走った」

「弄りやいじめをする人間と、同じ行動を取ったのですね」

「ああ。母親は母親で、なぜ上の子と同じように育てたのにこうも違ってしまったのかって発狂しだした。京介は言い訳の一つもしなかった。一人で野良猫と遊んで、わけのわからん骨董品を見てにやにやしてて、気持ち悪いって毎日のように罵声を浴びせてた。そうしないと、俺まで虐められるから。京介は、いつの間にか北海道から消えてたんだ」

「消えていた?」

「あいつの夢なんて興味なくて一度も聞いたことがなかったんだよ。まさか東京行ってるとは夢にも思わなくて。負け犬のくせに、何の夢叶えるつもりだって俺はいい気になってた。そしたらあいつは准教授になってるし。俺は結婚して子供がいて……子供を抱き上げた瞬間、一番初めに浮かんだ顔は猫と遊ぶ京介の寂しそうな顔だったんだ」

「……………………」

「初めて俺のした行いがいかに愚かだったか分かったよ。今さら遅いのも分かる。毎日京介が頭から離れないんだ。もしもう一度会えるなら、うちの子供を抱いてほしいって」

 おそらくだ。身勝手な言い分を僕に吐き出したのは、僕を通して伝えれば諏訪さんの気持ちが変わるのではないかと考えているから。そう思う僕は偏屈。すらすらと言葉が出てくるのは、すでに用意された言葉だったからだろう。

「似た経験が僕にもあります。ただし、諏訪さん側の経験ですけど」

 啓二さんははっと顔を上げ、眉間に皺を寄せる。

 ちょうど諏訪さんが戻ってきた。笑うでも悲しむでもない。無表情だ。

「話は終わりました。僕は今日で関東に帰ります。しばらくはまた帰って来られません」

 北海道の大学から引き抜きされているとは話すつもりはないのだろう。

「……帰る家がないって、ひどく寂しいものですね。兄さん、母に会わせてくれてありがとうございます」

 深々と頭を下げる。啓二さんは見守るだけで、唇を噛んだ。

「母を見ていたら、兄さんと一緒に泥だらけになって秘密基地を作ったことを思い出しました。懐かしいですね。僕の大事な想い出です」

 啓二さんは呆然とし、やがて肩を震わせる。

「とても家族を愛していました。どうか兄さんも、素敵な家族を作り上げて下さい。……帰りましょうか」

 無だった諏訪さんは笑顔を取り戻し、僕の肩にそっと手を置いた。

 いいのか、本当にこれでいいのかと目配せをするが、彼は気づいていないふりを突き通している。

 別れ際に軽く会釈をして、車に乗る。

 音楽もラジオもかからない車もいい。隣に乗っている人の呼吸や、外の自然音も重なり眠くなる。

 うとうとしていると、隣からの「おやすみなさい」がメトロノームに聞こえた。優しい声に、僕は耐えられない。


「なずな君」

 肩を揺さぶられ、僕は目を覚ました。

 寝ていた記憶もない。短時間であっても、ぐっすりだったらしい。

「ホテルに着きましたよ」

「うん…………?」

「寝坊助さん、ホテルです」

 頬をつつかれ、ようやく記憶が戻ってくる。

「今日も可愛いですね」

「……今、可愛いって言いました?」

「言ってないです。お腹が空きましたって言いました」

 小声で分からないと思ったらしい。ばっちり聞こえた。

「雑炊……」

「楽しみですねえ」

 いつもの変わりない諏訪さんだ。泣いて喚いてくれた方が楽なのに、大人はできないものなのだろうか。

「いろいろ聞きたいこともあるでしょう。ご飯を食べたら、ちゃんと最初から話します」

 諏訪さんは僕の前髪をくしゃりと撫でる。

 顔を傾けると、彼は僕の頬も緩く触れる。優しすぎて風に撫でられているみたいだった。

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