第7話 嘘と現実の境界線

 ちらちらと僕を見ては、何か言いたげに口を開きかける。

 研究中、こんな仕草をずっとされては、気になって集中できやしない。

「何かご用ですか?」

 仕方なしに聞いてみると、生徒の一人がよくぞ聞いてくれましたとばかりに身を乗り出す。

「昨日、諏訪准教授と藤裔君って一緒にいました?」

 目の前の巻物を引きちぎるところだった。ちょっとだけくしゃっとなってしまったが、誤差だと思い込むことにしよう。

「ええ、いましたよ」

 さらりと答える諏訪准教授。意外と嘘をつけるタイプなのか。

「やっぱり。ふたりでハンバーガーのお店にいましたよね?」

「はい。ちょっと彼にご用があって」

「ふたりきりで?」

 静寂が心に突き刺さる。大学内で教授とふたりになる機会はあったりするが、あきらかにプライベートな時間だった。

「実は、僕も北海道に行くことになりました」

「ええ? 戻ってこないんですか?」

「いえいえ、佐藤教授と入れ違いです。発掘調査もあるので、優秀な生徒も助手として連れてきてほしいと言われていたんです。そのご相談を、彼にしていたんですよ」

 そんな話は聞いていない。けれど諏訪准教授の様子を見るに、あながち嘘でもなさそうだ。ここは話を合わせるに限る。

「僕も行きます」

「えっ……本当に?」

 なぜそこで諏訪准教授が驚くのか。嘘が上手いのか下手なのか、微妙なところだ。

「ダメですか? 発掘調査には興味があったんですが」

「いえ、まさか、ダメってことは……昨日の今日だし、そんな早くに決めなくても……」

「少し待ってほしいとは話しましたが、心は決まっていました」

「そっそうですか……」

 どもりながら、諏訪准教授は身振り手振り動きが怪しい。やっぱりこの人は嘘が下手だ。

 校内の放送で、諏訪准教授に呼び出しがかかる。片付けは僕らに任せて、研究室を後にした。

 他の生徒は何か聞きたそうに顔を向けてくるが、僕は知らないふりをしたまま片付けに没頭した。

 今日はアルバイトの日だ。さっさと片付けて、家に戻るに限る。

 玄関を開けると、いつも迎えに来てくれる船木さんがいない。リビングに顔を出すと、彼女はちょうど誰かと電話をしている最中だった。

「お帰りなさいませ。今日はアルバイトでしたよね?」

「はい。夕食は軽めに頂きます」

「すぐにご用意しますね」

 いそいそとキッチンへ向かう彼女を見ていると、そういえばプライベートは何も知らないと思い始める。住み込みで働いているため、家族のことや何が好きなど、ほとんどさっぱりだ。義父なら知っているのかもしれないが、突然聞いてもいいものか。

「おかえりー。帰ってたのね」

「うん。ただいま」

 子供を抱いた母を見て、ちょうどいいとばかりに僕はまくし立てた。

「助手として北海道に行くことになったから」

「北海道?」

 母の目は大きくなる。まるまるだ。今朝食べた目玉焼きのよう。

「いつかは分からないけど、多分……数日から数週間くらい?」

「大変ね。頑張ってきてね」

「うん」

 止めてほしいとは思っていないが、話が早くて助かる。

 赤ん坊はまたしても僕に手を伸ばしてくる。気づかなかったふりをして、自室に戻り、アルバイトの準備を始めた。

 仕事に行く前に端末を見るが、誰からもメールは来ていない。諏訪准教授に連絡をするべきかどうか。北海道の件は嘘ではないはずだが、向かい合って話をするべきだ。

 玄関の扉を開けたと同時に、子供の泣き声が聞こえてくる。あやす声の主は母と船木さん。僕がいないと、船木さんはああやって声をかけているらしい。つい扉を閉める音が強くなり、半開きになってしまった。慌てて閉じると、さっさと家を出た。

 家よりアルバイトが落ち着くなんてどうかしている。おもいっきりため息をついたら、店長に驚かれてしまった。

「あまり感情を出さないのに珍しい」

「ときどき、あーっあーって大声出したくなります。そういう年頃です」

「残念ながらそれは年のせいじゃないね。俺くらいになってもよくある」

 これからの僕も叫びたくなるらしい。確定。

 気分的に、藍色の浴衣を選んだ。地味と取るか大人っぽいと取るか、本日の旦那様の感覚に任せよう。そういえば、誰なのか聞いていない。

 薺の間を開けると、まさかまさかの人物が待ち受けていた。

「……………………」

「…………どうも」

「…………こんにちは」

 間が心に突き刺さる。なぜ諏訪さんが正座をしているのか。

 念のため一度廊下に出て、襖を確認した。間違いなく『薺の間』だ。さらにたたみかけるように、中から一言「合っています」。

「諏訪さん、なぜここに」

「えーと、えーと……なずな君と話がしたくて……。来ちゃいました」

「大変失礼致しました、旦那様。会いに来て下さったのですね」

「止めて下さい。今日はそんなつもりじゃないんです」

 諏訪さんは身振りを交えて説明をする。

「北海道の件で、謝罪とお願いをしに来ました」

「謝罪?」

「勝手にあんな話を持ち出してしまい、いきなりで驚きましたよね……」

「驚きはしましたけど……」

「助手を連れていく件は嘘ではないんです。僕がすっかり忘れてしまっていて……。優秀な助手を連れていくというのは、北海道の大学からのお願いでもありました。客観的に見ても君はとても真面目で、物に対する扱い方や考え方が大人顔負けです。声をかけてみようと思ったのは、嘘じゃないんです」

「僕でいいんですか?」

「もちろんです。君が発見した巻物です。発見したときの状況も、ぜひ聞きたいらしいんです。交通費やら宿泊費やらは心配しなくても大丈夫ですよ」

「実は母に、北海道に行くと許可を取ってきたばかりなんです。こんな願ってもないチャンスですから、ぜひよろしくお願いします」

「良かった……。実は、ひとりで行くのが恐ろしかったんです。北海道は僕の出身地ですから」

「勘当されたって話ですか?」

 ついでに飲み物を注文したいと申し出た諏訪さんに、お品書きを渡す。

 ココアふたつと最中を迷わず注文する。甘いものにプラスして甘いものだ。

「怖かった、ではなく、恐ろしかった、ですか。似た言葉でも上位版に聞こえます」

「高校を出てから一度も帰っていませんから。しかも向かう大学は網走市で、僕の出身地です」

「ばったり会う可能性も、なくはないですね。会いたいとは思わないんですか?」

「……面と向かって聞いてくれたのは、なずな君が初めてです。腫れ物扱いで、傷つく場合もあるんですよね。はっきり聞いてくれた方が、僕は嬉しいです」

 諏訪さんは優しい笑みで微笑む。

「そうですね……僕には兄がいるんですが、会いたいなあとは思います。僕といつも一緒にいてくれた人で、ある日から、口を聞いてくれなくなりました。ご想像通り、ゲイだってばれちゃってからですね、はい」

 お運びさんがやってきた。諏訪さん自らお盆を受け取り、片方のカップを僕に渡した。

「僕の話は置いておいて、どうしてそんなに悲しい顔をしているんですか? なんだか今日のなずな君は、冴えない顔をしています」

「あまり表情は変わらないのに、よく分かりましたね」

「遠慮がちに表情が崩れるところがとっても……その、素敵です」

「私の話など、つまらないですよ」

「楽しいですよ。無理にとは言いませんが、せめて悲しそうな顔をなさっている理由を話して頂けませんか?」

 いくら隠していても、本来の性格は顔や話し方に表れる。まさに彼は代表者だ。

「諏訪さんは、タンポポの綿毛みたいです」

「綿毛ですか」

「ふわふわしています」

「祖母の家だった庭にも、春になるとたくさん咲いていました。大体の人は咲き誇る桜を好んで見上げていましたが、僕は目線を下げなければ見られないタンポポが好きでした」

「下を見ることも、とても大事なことだと思いますよ」

 諏訪さんと呼んでも僕と言っても、彼は気にしていないようだった。

 それどころか、あれだけ逃げ回っていたのに、諏訪さんは膝を抱えて僕の隣に寄り添う。

「弟がいるんです。ちょっとうまくいっていなくて」

「何歳差なんですか? 近いと喧嘩もするものですよね」

「ハイハイするようになりました」

 諏訪さんは驚愕し、声を失っている。それはそうだ。まさか言葉も分からない弟とうまくいかないなんて、想定外だと思う。

「巻物の謎を解くことよりも、難しそうですね」

 困ったな、でもそれは、ああそうか、と独り言をぶつぶつと呟く。大学で研究している姿と変わらなくて、笑ってしまった。

「すみません、困らせてしまいましたね」

「そうだ! ナズナ君にプレゼントを渡すことは、違法ですか?」

「それは規約に反しませんが……」

「ふふ、良いブツがあるんです」

 ちょっと得意げに、諏訪さんは笑う。

 財布からカードを出し、僕に見せた。端が折れ曲がっている、古びたカードだ。埴輪の絵が描いている。

「カプセルトイは知っていますか?」

「子供の頃はしたことがあります。お金を入れて取っ手を回すとカプセルが出てきて、中にはおもちゃが入っているんですよね」

「まさしくそれです。カードバージョンで、僕の兄とお揃いで買いました。遠い昔の記憶です。懐かしいなあ。お守り代わりに、ナズナ君にプレゼントします」

「お守りなんですよね? 大事なものなら……」

「持っていてほしいんです。ご利益があるんですよ。なんと、財布に入れるようになってから、宝くじが当たりました」

「ちなみに、いくらですか?」

 千円、とどや顔。秘密基地を見つけた小学生みたいだ。

「ナズナ君には、笑っていてほしいです」

「どうして……そこまで……」

「僕は、人を笑顔にさせたいです。昔、それができませんでしたから。ナズナ君は僕に笑顔や安らぎを下さいました。アルバイトだっていうことも差し引いても、嬉しくってたまらないです。承認欲求のためにしているわけじゃなく、一方的なものです」

「……ありがとうございます。あの、僕って……埴輪に似ていますか?」

「もしかして、生徒に言われたことを気にしているんですか?」

「死んだ魚と埴輪はどちらが似ているかなあって」

「そうですね……ナズナ君は、やっぱり猫です。講義の最中、うとうとしている猫そっくりです」

 見ますか、とこれまたどや顔で聞いてくる。ここで見たいと言わなければ、一生懸命振っている尻尾がしょんぼりしてしまう。

「ぜひ」

「ふふ。任せて下さい」

 小さな画面では、何匹もの猫が窓際で固まりになっていた。

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