第6話 ヒーローはどちらなのか
顔を真っ赤にしているヒーローはこちらに近づき、司馬さんと僕を見つめる。
「手を離して下さい。そういうのは、よくないです」
「そういうの? 君と俺は初対面だよね? 俺たちの関係は、君に関係があるの?」
「それは…………」
しどろもどろになる諏訪さんは、すみません、と小さく謝った。
「ホテルに入っていくところを見て……心配になってしまって……」
「ああ……それで。正義のヒーロー気取りだったわけか。楽しく食事をしていただけだよ? ね?」
優しく僕に語りかけるが、目の奥が笑っていなかった。
「食事を楽しんでいただけです。今、帰るところでしたから」
司馬さんは眉をひそめる。正直、助かった。逃げられる口実ができた。
「お気遣いありがとうございます。それじゃあ、司馬さん、ありがとうございました」
「うん。また店に行くよ」
「お待ちしています」
司馬さんを見えなくなるまで見送り、問題の彼に向かい合う。
大型犬は怒られると、小さくなる動画を観たことがある。まさに一致。
「……もしかして、一時間もここにいたんですか?」
「すみません……なずな君が、悲しそうに見えたので……。いても立ってもいられませんでした」
夏に近づいている今は、夜でも暑い。シャツは肌に張りつき、色が濃くなっていた。白い肌も、ほんのりと赤く汗ばんでいる。
「帰りは少し遅くなっても大丈夫ですか?」
「え? ええ……」
「どこか開いている店に寄りましょう。奢ります」
「そんなっ……なずな君に奢らせるなんて……」
「小銭くらいは持ってます。ほら、行きましょう。僕はデザートが食べたいですし」
「は、はい…………」
いつものファミレスは開いていない。となると、チェーン店のハンバーガーショップくらいしかなかった。
僕はチョコパイとシェイク、彼はコーヒーと限定のアイスクリームを頼んだ。
「……………………」
「無言ですね。早くしないとアイスが溶けますよ」
「いろいろと……言いたいことがあります。それを口にしていいものか悩んでいます」
「口にするのは先にアイスにして下さい」
「うう…………はい」
揚げたてのチョコパイは、中がとろりとしていて苦甘なチョコレートがパイ生地とよく合う。
ふたりで腹ごしらえをして、ようやく落ち着いた頃、諏訪さんは覚悟を決めたようだ。
「さっきは余計なことをしてしまって、すみません」
「余計なこと? 僕は助かりました。あのままホテルに誘われたらどうしようかと」
「さっ……誘われたんですか?」
「誘われるところでした。あまり好きな雰囲気ではなかったです。でも、グラタンは美味しかったです」
「ぐつぐつしていましたか?」
「はい、ぐつぐつしていました」
諏訪さんは可愛い人だと思う。言いたいことがあっても口にしない。出せない。勇気がない。どれかでも、ゆったりとした話し方や優しい物言いは落ち着くし気分が安らぐ。
「諏訪さん、さっきはありがとうございました。あなたはヒーローです。気取ってなんかいません。少なくとも、僕にとっては日曜日の朝に出てくるヒーローたちよりも立派で、恩人です」
「……人の役に立つことがなんなのか分からないんです」
諏訪さんは紙コップのコーヒーを覗き込む。もしかしたら、ココアが良かったと思っているのかもしれない。
「だから、君の役に立てて嬉しいです」
ほんのりと頬が染まっているのは、暑いからか照れているのか。
諏訪さんがそわそわすると、僕も落ち着かなくなる。チョコパイはもう食べてしまった。まだ残っているシェイクで、なんとか話題を避けられた。
そわそわ感が落ち着いてきた頃、コーヒーの横に置かれた端末に視線がいく。年季の入ったスマートフォンは、ものを大切にする彼を象徴している。
「ところで、なずな君は猫はお好きですか?」
「はい、好きです」
「お礼がしたいのですが、一緒に猫カフェに行きません?」
「今から? 開いている場所はあるんですか?」
「このくらいの時間ならわりとどこでも開いてますよ」
「では……一緒に」
「なずな君って、すごく丁寧な言葉遣いですけど、いつもそうなんですか?」
店での僕と比べているのだろう。諏訪さんは不思議そうに首を傾げている。
「元々っていう部分もありますけど、今の家は連れ子なんです。だからなんとなく丁寧に話さないといけない気がして、癖になりました」
「……連れ子」
「はい、連れ子です。藤裔家とは血が一切繋がってないんですよ」
いきなりこういう話をされても困らせるだけだ。けれど止められない。吐け、吐けと、また悪魔が囁いている。
「人の役に立つって難しいですよね。僕は、藤裔家に入ったことは役に立っていると思っています。そう……思い込んでます」
「どうして?」
あまりに優しい聞き方で、歯の奥に力を入れなければ、余計なものが溢れそうだった。
「少なくとも、愛した人と幸せになれた母は幸せです」
「なずな君は?」
「……僕に幸せかどうか聞いた方は、諏訪さんが初めてです」
「……名字も呼ばれるとどきっとします」
「京助さん」
「うわ……ピストルで心臓を撃ち抜かれた気分。小さな幸せなら、今からなずな君へプレゼントできます。さあ、行きましょうか」
猫、猫と三十路の男は可愛らしい。この人は可愛いしか出てこない。本当は自分が行きたいだけじゃないのか、とは呑み込んだ。僕も楽しみだったりする。
閉店間近の猫カフェは、大運動会が開催されていた。寝ている猫も可愛いが、どたばたしている猫も、ドストライク。好き。チーズとどちらが好きかと聞かれたら、悩ましいところ。
「この子は、なずな君に似ています」
「寝てる子じゃないですか」
「講義中のなずな君です」
「……起きるように努力します」
眠いときはなるべく端に座っていたはずなのに、しっかりチェックされている。
人をダメにする座布団の上で、丸くなって寝ている猫がいる。なずな君、と勝手に名前をつけて呼んでいるが、本当はなんて言うのだろう。
「この子はヒマワリちゃんですよ。ヒマワリの下で眠っていたんです」
店員がついでに保護猫だと明かす。まだ身体は小さく、新入りだ。
「猫飼いたいなあ」
「飼う予定はないんですか?」
「花にも悪戯するだろうし、多分ダメって言われます」
「なずな君は、花を活けたりできます?」
「少しだけですが、教えてもらいました」
「すごいすごい。華道にもいろんな種類があるんですよね」
「藤裔家は、咲き誇った花だけじゃなく、枯れ葉や虫食いの葉も使って活けるんです。びっくりですよね。初めて観たとき、これが日本の美かって思いました」
「なんだかすごい世界ですね。継ごうって思わないんですか?」
「才能がないので、ここにいます」
諏訪さんは吹き出し、なんとか抑えようと袖で口を塞ぐ。
こんなに笑う諏訪さんは、初めて見た。まだ笑っている。振動で寝ているヒマワリが起きた。諏訪さんを見ては大きな欠伸をし、再び寝る姿勢に入る。
「僕が活けた花は、何かに似てるなって思ってネットをいろいろ見て回ったんです。チュパカブラにそっくりでした」
「チュパカブラ?」
「ツチノコみたいな未確認生物です」
諏訪さんはさっそく端末で調べ始めた。
だいたいこれを検索した後は、うえ、という顔をするが、埴輪好きの諏訪さんは、ぶふっと笑いを堪えている。
「なずな君の才能を見抜けないのは、いささか問題があるように思います。僕はこれも天性のものだと感じますよ」
「ふふ……ありがとうございます。花でチュパカブラを再現できるのは世界中で僕だけです」
笑いのツボが面白い人だと思ったが、僕と少し似ていると気づいた。
ヒマワリは完全に目が覚め、諏訪さんのネクタイで遊んでいる。
諏訪さんはネクタイを解き、おもちゃにして遊びだした。おもちゃは貸してもらえるのに、私物を使うのに戸惑いがない。
「猫の毛がついたネクタイ……ふふ」
よく分からない独り言を呟いているが、楽しそうでなにより。諏訪さんが笑うと、僕も楽しい。
世界でも活躍する藤裔家の話になると、腫れ物と同じ扱いになるが、継ぐかどうか聞かれたのは初めてだった。連れ子だとなおさらだ。
彼は彼で家の事情が深い。前に勘当されたと言っていた。聞けば教えてくれそうだが、これも腫れ物扱いに当たる。
どうしようか迷い、質問してみることにした。
「諏訪さんは勘当されたと前に話していましたよね?」
「よく覚えていてくれましたね」
楽しい話でもないだろうに、諏訪さんは嬉しそうに笑う。
「家を出るって、どんな感じですか?」
「自由と制限がつきまといます」
「真逆なものがつきまとう……?」
「ええ。時間の自由はあります。その代わり、なんでも自分ひとりでしなければなりません。思っている以上に自由な時間はないです」
「ご飯作ったり、洗濯したり?」
「その通り。ひとり寂しくご飯を食べています」
とか言いつつも、自由を満喫しているという。
運動会中の猫たちは、何匹かネクタイに興味津々な様子で集まってきた。
「一人暮らしは興味がありますか? もしかしたら、君も僕と同じく自由を求めるタイプかもしれませんね」
「実家にいたときと、どちらが自由ですか?」
「間違いなく、今です」
困っているわけではなさそうなのに、諏訪さんは笑うと眉毛がハの字になる。それが可愛く感じて、つんと眉毛を人差し指で触れてみた。
猫も僕の腕につんと乗せる。面白くて可愛くて、ふたりで笑い合った。
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