童話の世界に紛れ、チェシャ猫の役割を与えられた少年、異世界に転生して再びアリスと出会う
楓原 こうた【書籍6シリーズ発売中】
プロローグ
燃え盛る戦火。国境側にある平野に転がるは無数の亡骸に無数のこぼれた剣。
亡骸の山という山を築き上げた少年は一人、その瞳に涙を浮かべていた。
「ごめんねぇ……私、ドジっちゃったや……」
蹲る少年。茶色い髪には赤の血が飛び散っており、黒を基調とした服も髪同様に血で汚れている。
そんな少年の腕には一人の少女。ゴシックな白のドレスに黄金を連想させる髪はまるで人形のようだ。
愛嬌のある顔立ちに小柄な体躯。
琥珀色の双眸が捉える元気を運ぶ彼女の笑顔は、現在も尚続いている。
────しかし、どこか力なく、無理して作っているのだろうと思わせてしまうのは、きっと口と腹部から流れる血の所為なのかもしれない。
「馬鹿っ! 喋るなアリス! 今すぐにここから抜け出して医者の元に────」
「……い、いよ。チェシャくん……私、もう無理……だから」
少女は分かっている。
自分がこれからどうなってしまうかぐらい。
腹部に空いた穴と、そこから流れ出る血で嫌というほど理解してしまうのだ。
「チェシャくん……逃げ、てね? 私、チェシャくんまで死んじゃったら……い、やだよ?」
全身に力が入らない。喋るのがやっと。
それでも、少女は最後とも呼べるチカラを振り絞って少年の手を払おうとする。
だが、少年は決して離さない。
「お前……国に帰るんじゃなかったのかよ!? 帰りたいって……そう願ったから、俺はここまで立ってこれたのに!」
少年は叫ぶ。
溢れ出る涙を拭おうともせず、少女に向かって泣き叫ぶ。
その姿が悲しすぎて。少女は、少年の腕の温もりを感じながら零れそうな涙を堪える。
「ごめん、ね……私の我儘に……付き、合わせちゃったよね……。もう、大丈夫……だから」
何が大丈夫なのか、少年には分からない。
燃え盛る戦火の先にはまだ敵はいる。彼女の腹部には大きな風穴が空いている。
……全くを持って、大丈夫ではないのだ。
「お、俺は! 絶対に諦めねぇ……ッ! アリスを、自国へ帰してやるんだッ!!!」
少年は少女を背負い、先に見える国境へと足を進める。
目的地まで後数km先、今から走ればもしかして、あるいは────
「やめ、てよ……チェシャくん……」
だけど、少女は背負う少年の背中を叩く。
その声は徐々に涙声へと変わり、堪える涙は防波堤という壁を壊して外へと流れ出た。
「わ、たしは……死んじゃ、う……からぁ……! 最後ぐら……い、笑顔でいさ、せてよぉ……ッ!」
「ッ!」
その言葉が、どれほど悲痛なものだったのか。それは二人にしか分からない。
少女は涙を流し、少年も涙を流す。
後少しというところまで来ているのに、目的も約束も────果たせない。
少年は少女を降ろし、再びその腕で少女を抱きしめる。
「え、へへっ……やっぱり、チェシャくんは優しいなぁ……」
少女は、涙を流しながら笑う。
「わ、たし……チェシャくんに、ありが、とうって言わなきゃ……」
口から血を吐き出そうとも、少女は口を開き続ける。
「あの時、私を見つ、けてくれてありがとう……私を、一人にしないでくれて、ありがとう……わた、しの側にい続けてくれて……ありがとう……」
「…………」
「いっぱい、いっぱい……ありがとう……ッ!」
少年はその言葉を受け止める。
言葉も何も与える事はせず、ただただ少女の言葉を胸に刻むように。
「私、国に帰りた、かったなぁ……」
先にある少女の母国。生まれ故郷、思い出の地。
その言葉を成し遂げる一歩────ほんの一歩近くまで来ているというのに……少女の願望は、叶えられなかった。
「……お母さん達に、会って……お家、買って……大好き、なチェシャくんに……好きって言って……結婚、したかった……」
「……あぁ、俺も……してやりたかった」
「……っていう、事は……私達、両想い……だったんだね……ええへっ……嬉しいなぁ……」
少年の顔を見ながら、少女は嬉しそうにはにかむ。
サラリとした金髪に涙が溢れようとも、本当に嬉しいそうに笑い続けた。
「私の……名前、アリス・リンフォード……って、言います……」
「俺の名前は……鷺森綾人って言います」
「ふふっ……猫、ないんだね。チェシャくん……なのに……」
ゴフッ、と。少女の口から大量の血が吐き出された。
きっと、もはや少女に残された時間は僅かなのだろう。
その現実に、少年は唇を噛み締めた。
それでも────
「も、し……別の世界で出会った、ら……わ、たしと……結婚してくれませんか?」
人生で初めて紡ぐプロポーズの言葉。
人生で初めて受けるプロポーズの言葉。
周りは灼熱に染まり、愛する人は血で染っており、プロポーズにしては場違いだ。そんなのは分かってる。
それでも────
「こんな俺で良かったら……喜んで……ッ!」
少年は、笑みを浮かべて受け取った。
「えへへっ……嬉し、いなぁ……それ、に────」
少女は、泣く少年の顔に手を当てる。
血で汚れていようとも、最後に触れる温もりだから。
「チェシャくん……の、笑ってる顔、好きだよ……本当に、大好き……こんな最後でも、笑ってくれて……ありがとう……チェシャくん、は……ちゃんと笑って、生きて、ね……」
だけど、その手も直ぐに地面に落ちる。
瞼は閉じ、愛する声も聞こえず、温もりは冷たく、動く気配は全くを感じない。
分かってる。
少女は死んだのだ。
己の不甲斐なさと力の無さによって、少女は息を引き取ったのだ。
「最後まで、本当に……アリス、だったなぁ……」
だけど────
「大好きって、ちゃんと言えば良かった……ッ!」
少年は、涙を流しながらも嗤う。
それが、チェシャ猫である己の役割だからだ。
(あぁ……神様。もし、叶うのであれば……こんな俺を好きで、支えてくれて、温かみをくれたアリスと……また、会わせてください……)
少年は腰に携えた剣を引き抜く。
思い出すのは少女と過ごした日々。
時に一緒になって歩き、涙し、怒り、喧嘩し、追われる身でありながらも明るく温かみをくれた少女の────笑顔。
「俺はチェシャ猫だ……最後の最後も、ちゃんと笑ってやる……」
その言葉を残し、少年は首を切った。
最後の最後まで────嗤ったまま。
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