鮫滅の鋸 アンリミテッド・シャーク・ワークス

第3話 鮫滅隊登場

　サメから逃げる人々……その流れをかき分けるように、緑と黒の市松模様の羽織を身に着けた人物が、長い黒髪を風になびかせながら海に向かっていた。中学生ぐらいの背丈であろうこの人物の手には、華奢な体躯に不釣り合いとも思えるチェーンソーが提げられている。

「おい、その羽織は色々やべぇよやめろ！」

　背中から声が聞こえたが、この者は無視した。その足取りは段々と速まり、やがて足を水に浸しながら走り出した。

　そしてこの人物は、助走によって勢いをつけ、思い切り跳躍した。艶やかな長い黒髪が、空気を受けて羽織とともにふわりと揺れた。

「総身集中……」

　空気を取り込んだ彼の肺が膨らむ。全身の筋肉が活性を増し、眠っていた力が引き出される。

「鮫の呼吸、壱ノ鰓（えら）……大顎！」

　その目下には、一心不乱に砂浜目指して泳ぐ水泳部員と、それを追う背びれがあった。もう、背びれは水泳部員たちのすぐ背後に迫っている。あと二、三秒ほどで、大きな口が彼らに食らいつくであろう。

　この者はチェーンソーを下向きに構え、サメの進路目掛けて降下した。

　そのサメに追いかけられていた水泳部員は、不意に自分を追う者の気配が消えたのを感じた。恐る恐る後ろを見てみると、確かにもう追ってくる背びれはそこにない。

「なっ……」

　水泳部員は、言葉を失った。自分を追っていたと思しきサメは、何かに食いちぎられたかのように頭部をなくし、力なく水面に腹を晒して浮かんでいたのだ。残った胴体にも、何かの噛み痕のような傷が無数につけられていた。

「だ、誰が……？」

　周囲を見渡してみると、その下手人はすぐ見つかった。

　緑と黒の市松模様の羽織を身に着けた何者かが、別のサメに跨っていたのだ。サメはまるでスラローム走行のようにジグザグに泳ぎながら上に乗った人物を振り落とそうとするが、両脚でしっかりとサメの脇腹を絞められており、なかなか振り落とせないでいる。その様子は、さながらロデオのようであった。

　そして、チェーンソーの刃が、サメの背に突き込まれた。唸りを上げるチェーンソーの刃が、サメの背を裂き鮮血を噴出させる。

　返り血にまみれたその人物は、サメの背を蹴って大きく跳躍し、水の浅い場所に着地したのであった。明らかに、常人離れした身体能力であった。

　こうして、乱入した謎の人物によって、四匹のサメの内二匹が仕留められた。しかし、残る二匹は未だに人間の背を追って浅瀬に向かい突き進んでいる。

　チェーンソーを構え、再び海の方を睨む謎の人物。その左側を、そう変わらない背格好の何者かが走り抜けていった。

「その獲物オレがもらった！ 全速前進！」

　筋肉質な上半身を晒しているその人物は、奇妙なことにシャチの被り物を被っていた。その奇天烈極まる人物が両腕を左右に広げながら、ばしゃばしゃと音を立てて浅瀬を走っていく。

「爆破の呼吸！ 壱ノ弾（たま）！ 爆連撃！」

　そう叫びながら、両手に持っていた黒い物体をサメに向かって立て続けに放り投げた。

　耳をつんざくような、けたたましい音が響き渡った。円筒状の水しぶきが上がり、そこから赤い肉片が幾つも落下し海中に没していった。

　――このシャチ頭が放り投げたのは、爆弾であった。

「よっしゃやったぜ！」

「いやいや、呼吸とか関係ないでしょそれ！」

　背後から男性の声がしたが、このシャチ頭は何の反応もしなかった。　

「まだだ、射地助（しゃちすけ）。あと一匹残ってる」

　市松模様の羽織の人物が指差した方には、サメの背びれが立っていた。射地助と呼ばれたシャチ頭は、ウエストポーチから取り出した爆弾を手にそちらへ向かう。

　射地助が向かった先では、浅瀬にたどり着いた男性客数人が走っていた。だが、射地助は意に介さず、背びれに向かって爆弾を放り投げた。またしても爆音が鳴り響き、水しぶきが高らかに上がる。

「何やってんだ！ まだ海に人がいるんだぞ！」

　砂浜側から彼を咎める大人の男性の声がしたが、射地助はやはり無視した。

「ちっ！ 生きてやがる。」

　残る一匹のサメは、浅瀬で腹這いになっていた。射地助は悔しさで歯をギリギリと噛み締めている。

「あれは……鮫滅隊（さめつたい）だ！」

「あいつら強引すぎる！」

　咎めるような口調で、群衆の中から声が発せらた。

　海水浴客の避難は、ほどなくして完了した。もう海には人一人いない。ただ一匹のサメだけが、背びれを突き出して岸に向かっている。

「砂浜に逃げりゃ追ってこないだろ」

　何とか逃げ延びた水泳部員の一人が呟く。その発言を耳に入れた市松模様の羽織の人物が、水泳部員の方を向いた。

「甘い。サメは陸にも来る」

　羽織の人物が、水泳部員を睨んで一言、言い放った。一見すれば男とも女ともつかない中性的な美貌をたたえている。加えて声の雰囲気も宝塚の男役のように聞こえて、性別の特定を阻害してくる。

　この者の眼差しは、氷のような冷徹さを持っていた。水泳部員は一瞬、ぞくりを身を震わせたが、そのすぐ後には破顔一笑した。

「ははは、バカだろサメが陸に上がるかよ」

　サメは陸にも来る……真面目な表情から荒唐無稽な発言が飛び出たことに、おかしみを感じざるを得なかったのである。そもそも、サメは海の生き物だ。それは万人の共有する常識であり、陸に上がるなどということは天地がひっくり返ってもありえない。

　だが、その常識が破壊されることもまた、既定路線であった。

「うわあああ！ 来るぞ！」

　蛇のように体をくねらせながら、一匹のサメが波打ち際に迫ってきていた。