第2話 シャーク・パニック!!
東京都・
この島の南岸の船着き場に、一隻の船が到着した。東京本土とこの島とを結ぶ定期船である。
「南国って感じ。ハブとかいそう」
「向こうの斜面に見えるの何?」
「ソーラーパネルっしょあれ」
船から降りた少年たち五人が、取り留めもなくお喋りしている。彼らを牽引する若い男は、それを背中で聞きながらぬるいため息を吐いた。
少年たちを引率している、眉毛の濃い精悍な顔つきの若い男は、中学校教員の
男の大きな背中は力なく丸まっており、男の内心の暗雲を表出させている。雲一つない青空とは裏腹に、男の表情は曇り切っていた。
その理由は、水泳部の置かれた状況に由来している。
先月、三人の部員が他校生と喧嘩して相手を負傷させた。そのことで、水泳部の夏の大会への出場が辞退となってしまったのだ。
この処分によって、目標をなくした残りの部員たちは完全にふてくされてしまった。以前のような意欲をなくし、練習でもどこか締まらない雰囲気が漂い始めたのである。それだけでなく不自然な病欠――仮病を使っているのかも知れないが、証拠がない以上何も言うことはできない――が増え、練習に部員が揃うことさえ稀になってしまった。
それゆえに、夏の合宿も何だか物見遊山のような雰囲気になってしまった。顧問の雪丘はまだ若く、彼らを引き締めるにはいささか教師としての経験や威厳が不足している。
水泳部が宿泊するのは、南岸の海水浴場にほど近い旅館であった。旅館の白い外壁は日に焼けて褪せたかのように黄色がかった色合いをしており、この建物の年季の入りようを言外に語っている。
「
「いやいや、何もない島ですが、ゆっくりしていってくだされ」
応接間のような部屋で、雪丘は白髪の老人と向かい合う形で座りながら話していた。この白髪の老人こそ、旅館のオーナー二頭である。
「今年の水泳部はどうですかな。事件のことは聞き及んでおりますが」
「はい……その後も色々ありまして……」
この旅館はずっと前から水泳部と懇意の間柄であり、歴代の水泳部員たちは皆二頭とこの旅館の世話になってきた。二頭はまさに水泳部の歴史の生き証人とも言うべき人物である。
「まぁ、気を落としなさるな。わたしも来てくれて嬉しいですよ。こんなご時世ですし、
「ああ、娘さん……」
二頭には二人の息子と一人の娘がいたが、娘は二年前に行方知れずとなってしまい、未だに発見されていない。妻にも先立たれ、息子二人も島外暮らしの今、この老人が孤独に沈んでいるであろうことは想像に難くない。
***
さてその頃、部員たちはどうであったか。彼らはすでに旅館の客室にはいなかった。
「やったぜ海だ!」
「あそこの水着の姉ちゃんエロくね?」
一旦、旅館の部屋に腰を落ち着けた水泳部であったが、案の定、旅館に着いた水泳部員たちは羽目を外した。強化合宿という目的も忘れて、海パン姿で海水浴場へと繰り出してしまったのである。
南岸の砂浜には、多くの海水浴場が思い思いに遊興していた。海水に身を浸す者もいれば、浜辺で寝そべり日光に体を晒す者もいる。
五人の水泳部員は、そのまま一直線に海へと突入した。嗅ぎ慣れない磯の匂いが、先ほどにも増して彼らの鼻をついた。
「もっと向こう行こうぜ!」
部員の一人が、沖の方を指差した。陸から離れる機会が中々ない内陸育ちの彼らは、海水に身を浸したことで完全に調子づいていた。
その一言が、部員たち全員を陸地から引き離した。彼らは競うように、沖を目指して泳ぎ出したのである。
彼らは元々内陸育ちであり、海というのは縁遠いものであった。だからこそ、海のもたらす非日常感が、強い興奮をもたらした。
「遅いぞ、こっち来いよ」
先ほど他の部員を煽った部員が、後ろを向いて尚も仲間を煽っている。二年生である彼は、部員の中では一番有望視されていた。だからこそ、自分に何の責任もない事件のために出場停止処分を受けたことは彼を大きく落胆させたし、彼の意欲を大きくそぎ落とした。仲間を砂浜に誘って勝手に旅館を抜け出すよう先導したのは彼であったが、それは彼なりの鬱憤晴らしのようなものであった。
だがこの時、彼は気づいていなかった。それらが、水をかき分けながら忍び寄っていることに……
「……ん?」
急に、背中を大きな波が襲った。それは全く突然のことであった。
水を被った頭を震わせながら、おもむろに後ろを向く。その時ようやく、彼は接近するそれらを視認した。
「さ、サメだ!」
水面から背びれを立てながら、四匹のそれらが一直線に向かってきていた。その正体が何であるかは、海を見たことのないこの少年でも理解できる。
視界に収めた時はまだ二十メートルほど離れたところにいたそれらは、あっという間に距離を縮めた。
「え、サメ!?」
「マジだ!?」
水泳部員たちは、一斉に岸に向けて泳ぎ出した。けれども彼らが水泳部員とて、陸の生き物が海の王者に泳ぎで勝てるはずもない。水泳部員とサメ、両者の距離は瞬く間に縮まった。浜辺はまだ遠く、海水をかき分けて急接近するサメから逃れることはほぼ絶望的だ。
「がっ……」
仲間を煽った部員が、カエルの潰れたようなうめき声を虚空に残して海中に没していった。
他の四人の部員たちは、後ろを一切振り返らずに泳ぎ続けた。彼らの耳には、手で水を裂く音に混じって、大勢による悲鳴が聞こえている。サメが迫ってきている――そのことは、水泳部以外の海水浴客にも知れ渡ったのであろう。
事実、海水浴場はパニックに陥っていた。迫りくるサメから逃れようと、人々は一目散に浜辺へと駆けていく。
海から陸へ……その人の流れに逆行する、一つの人影があった。
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