第8話 囚われの少年

 不意に遠くで強力な魔力の気配を感じた。

 何だろう、何処かで大きな戦闘でも起こっているのだろうか?

 だが有り得ない。

 度重なる魔物との戦いで多くの命が失われ、今ではこの施設の関係者である200人程度の人員しか生きている人間は存在しないはずだ。

 それに、魔物と戦う武器を有する部隊は全てニューヨーク周辺の都市防衛のために集められており、ここに魔物とまともに戦えるような戦力が残っているわけが無い。


 この施設に私が連れて来られて既に8年以上は経過しているはずだが、その時の私はまだ3つか4つの幼子であったためにまともな記憶など残っていない。

 そのため、誰も私の本当の名前も把握しておらず、自分が何処で生まれた何と言った名の少年であったのかも今では定かで無い。

 そのため、今の私はこの施設で呼ばれているコードネーム、アダムと言う名しか持ち合わせていない。


 私の力が見つけ出されたのは偶然だった。

 両親に連れられて搭乗した飛行機が事故により墜落。

 記録にはその事故で乗り合わせた438人全ての乗客が命を落としたとされているが、私だけが一命を取り留めたのだ。


 だが、別にそれは奇跡でも何でも無かった。


 事故の瞬間、私はただ単純に生き残りたい一心で己の身を守ろうと必死だった。

 その結果、私は私の中に眠る力、神器『ロンゴミニアド』を覚醒させたのだ。


 それにより、魔力によって展開した防壁と魔力による身体能力の向上、そして治癒力の向上が重なって辛うじて命を拾ったのだ。

 だが、その未知の力にいち早く気付いた政府は私の生存を秘匿し、直ぐさまその身を軍事研究施設に隔離した。

 そして、万が一にも私に行う実験が発覚しないように私の身をハワイ諸島に存在する無数の小島の1つ、絶対に人目に触れる事の無い隠された研究施設へと移送した。


 それから始まった新たな生活はまるで実験動物になったような気分だった。

 来る日も来る日も訳の解らない身体実験を行われ、数を数えるのも馬鹿らしくなるほどの投薬実験を繰り返される。

 そして、万が一にも私が力を使って脱走などを行わないよう、極端な食事の制限と肉体的苦痛で極限まで気力を奪われ続けた。


 その結果、研究者達は魔力という新たな力の可能性を見出し、他の国には極秘に魔術を用いた兵器の開発も進んでいく。

 正直、私の力を研究して力を手に入れていた影響で2年前、世界に魔物が溢れた時にも主要都市への壊滅的な被害が押さえられ、多くの国が滅ぶ現在の状況下であってもアメリカは数少ない国家基盤を失わずに済んだ国となった。

 まあ、数が少ないと言うか、政府機関が未だ健在なのはアメリカと中国のみだとすら言われているのだが。


 だがそれでも、数に勝る魔物の脅威が完全に取り除かれたわけでは無く、更には未だ兵器として活用されている魔術の出力は弱く十分な量産体制が確保出来ているわけでは無い。

 それに、私の遺伝子を使って同じ力を持つクローンを量産する計画も上手く行かず、私のような超人を生み出すメカニズムも解明していないことから私が今の生活から解放される兆しは未だ見えない。


 そして、更に私が特別だとされているもう1つの理由に、4年前の実験中に偶然発現したもう1つの力の影響もある。


 その日の実験は私への負荷実験、簡単に言えばどの程度の外的衝撃でも生きていられるのかを計る実験の為に体に電流を流されていた時、機器の故障により発せられる電流の調整が利かなくなるアクシデントが発生した。

 流石にあの時は研究者達も私が死んでしまうのでは無いかと、至急装置を止めるために必死の形相を浮かべていた。

 まあ、決して尊い命を守るなんて考えでは無く、貴重なサンプルが喪失してしまうことに焦っていたのだろうが。


 だが、私はその時も死ななかった。


 肉体が限界を迎えようとした瞬間、私の脳裏に浮かんでいたのは『これで楽になれる』と言う安堵だった。

 死を目前にして、この辛い日々で何故自分が生にしがみついていたのか分からなくなり、いっそここで楽になればこれ以上苦しまずに済むと考えたのだ。


 だがこの諦めがもう一つの力を呼び起こす引き金となる。


 全てを諦めて何もかもを投げ出した瞬間、不思議な事に今まで感じたことの無い程の強大な力が私の奥底から湧き上がってくるのを感じると、次の瞬間には私を中心に膨れ上がった力により私を拘束していた戒めも私の肉体に脅威を振るっていた装置も尽くが消し飛んだ。

 そして、気付いた時には私の背には漆黒の翼が出現し、その日から私の瞳は金色の輝きを放つようになっていた。

 それと同時に、私の胸の内には今まで感じたことの無い程の虚無が広がり、それから私はただ研究者達の言いなりに動く心無い操り人形へと変じていた。


 何もかもがどうでも良い。

 何も考えたくない。

 何も感じたくない。

 何もやりたくない。

 もはや死ぬのも面倒くさい。

 そもそもそう言った人間らしい思考すら煩わしい。


 そうして気付けば私は生きた屍のように生き、求められるままにどのような実験でも受け、命じられるままに力を振るった。

 正直、今の私の力を使えばこのような施設を脱走する事など容易いのだと事も、今の私を止められるような力を研究者達が有していないのだと言う事も理解はしていたが、それでも私にはどうでも良かった。


 何故それでも私は生きているのか?


 そんな疑問を感じることも煩わしく、気付けば私はほとんど思考を行うことも忘れていたように思う。


 そうして生き続け、何故か先程感じた強力な魔力の気配に私は何時以来か思考を取り戻したようにも思う。


 それは何故?


 そんな疑問が微かに浮かぶが、それでも久々の思考に煩わしさを感じて再び思考を閉じようと瞳を閉じる。


 しかし、そんな私に誰かが声を掛けた気がする。

 それは、一度も聞いたことの無い声色で『本当にそれで良いのかい?』と言う疑問の言葉を掛けられたように思う。

 だが今は私の周りに声を掛けるような人影は無く、それがいったい誰の声であったのかもはっきりとしない。

 だけど、確かに今始めて聞いたはずのその声の主を私は知っているような不思議な感覚に襲われる。


 そうすると、とうの昔に捨て去ったはずの心の欠片と人間らしい思考の断片が何処からか顔を覗かせる。


 何故私はこのタイミングで思考を取り戻したのか?


 勿論それは先程の大きな魔力に反応して、だ。


 それではあの魔力はいったい何なのか?


 おそらく、この施設で囚われている限り私には知り得ない事だろう。


 ではどうすればその正体を掴むことが出来る?


 自らその魔力を感じる原因を探れば良い。


 ではどうする?


 そうやって自己問答を続けながら、気付けば私の背には4年前のあの日のように漆黒の翼が出現していた。

 そして、手足を縛る鋼鉄の戒めを無造作に引き千切ると、ゆっくりと扉に向けてその足を動かしていた。


 幾つかの扉を抜け、外へと繋がる通路へと辿り着いた時、いつの間にか私の目の前には武装した数人の警備兵が立ち塞がっていた。

 それらは私に向かって何事かを叫んでいるが、言葉を理解する手間すら面倒に感じた私は無視して歩みを進める。

 すると、立ち塞がった男達の1人が武器の引き金に指を掛ける。


 それを確認した瞬間、自然と私は長年使われなかったことで掠れた音しか出ない喉から言葉を発する。


「術式展開。我が名において『怠惰』の力をここに解き放つ。我が『怠惰』なる世界に誘え、来たれ《ベルフェゴール》」


 その言葉を告げるとほぼ同時、男の持つ武器から魔術により強化された弾丸が放たれる。

 しかし、目にも止まらぬ超高速で放たれたはずのその弾丸は、放たれた瞬間から次第にその速度を落とし、私と2メートルほどの距離に近付いた頃には人がゆっくりと歩くようなスピードで宙を進んでいた。


 その光景をボンヤリと眺めながら、私は普段と変わらないスピードでその弾丸を避けながら歩みを進める。

 だが、目の前の男達はそんな私の姿に反応を返すことは無く、未だ弾丸を放った瞬間の姿から動くことは無い。

 だから私はその横を特に走るでも無くゆっくりと通り過ぎ、男達と少し距離を取ったところで《ベルフェゴール》を解除する。


 刹那、非常に緩やかに流れていた世界の時間が元に戻る。


 そして、暫くの間を置いて後方の男達が驚愕の声を上げるが、それをどうでも良いと判断した私はただ悠然と出口を目指して歩みを進めるのだった。

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