第2話

 約三十分後――


 サクラは校舎の廊下に歩を進めながら先輩に言った。


「先輩、凄いですね。人間に憑依して身体を乗っ取ることができるなんて。悪霊みたいです」

「悪霊とはなんだい。人聞きの悪い」

「おもしろそうだから、今度私にも憑依の仕方を教えてください」

「うむ、それは構わないが、半分幽霊の僕にできて、完全幽霊の君がなぜできないんだい?」

「悪霊じゃないからです」

「君もしつこいな。僕は悪霊ではないよ。そもそも死んでもいないしね」


 先輩の胸から白い糸が出ている。生きているあかしの糸だ。


「その糸ってどこまで伸びるんでしょうね」


 病院を出て学校にやってきても、糸は先輩の胸から伸びていた。


「さてね、僕もどこまで伸びるか知りたいよ」


 先輩は自分の胸を見ながらそう答えた。


 やがて、ある教室の前に着いた。中では英語の補習が行われているという。扉の前で立ち止まった先輩にサクラは訊いた。


「ほんとにこの中に先輩を襲った犯人がいるんですか?」


 先輩は犯人に目星がついているらしかった。その目星を確信にするために学校にやってきた。


「僕の推測が正しければ犯人はこの中にいる」


 先輩はそう答えると、扉をすり抜けて教室に入っていった。サクラもそれに倣って扉をすり抜けた。


 教室では若い男性教師が見守る中、五人の男子生徒が補習を受けていた。うちひとりはオカルト研究部の幽霊部員だった。何度か部室で顔を見たことがある。今はその生徒を含めた全員がテストに取り組んでおり、時計の秒針だけがチッチッチッと呟いている。


 先輩の話によると、犯人の目的は物取りではないという。先輩を襲ってすぐに逃げ去ったからだ。物取りが目的であれば先輩の持ち物に手をつけている。


「犯人の目的は僕自身だよ。なんらかの理由があって僕を殺害しようとしたんだろう」


 先輩は恐ろしくて物騒なことをサラッと言ってのけた。


「犯人の動機は今のところ不明だが、誰に襲われたかは検討がついている。君はどうだい? この中の誰だかわかるかい?」

「んー……わかりません。ヒントをください」

「うむ、ヒントか……」


 一瞬の間があった。


「僕はあの神社にオカルト研究部の活動の一環として出かけた。そして、その帰りに襲われた。そこをよく考えてみれば犯人に行き当たる」


 先輩の話をふまえて五人の生徒に改めて目をやる。サクラは自信満々にひとりの生徒を指差した。

 

「あの人!」

 

 神社の調査はオカルト研究部の活動。であれば、オカルト研究部の幽霊部員であるあの生徒があやしい。他の生徒はオカルト研究部とまったくの無関係だ。


 だが、先輩は「いいや」と首を横に振った。


「ええ、つまんない……」

「いいかい、犯人は学校とかかわりのない神社の近くで僕を狙い撃ちした。それができるのは、あの日、僕が神社に出向くと知っていた人物だ。つまり、あの人だよ」


 先輩は教室の一番前を指差した。そこにいるのは生徒ではなく先生だった。


「さっきも言ったとおり、僕はオカルト研究部の活動として神社に出向いた。部の顧問に一応は連絡しておかないといけない。僕の行動を知っていたのは顧問であるあの先生だけだ」


 先輩の推理は正しいかもしれない。だが、サクラは別のことに衝撃を受けた。


「まさか、オカルト研究部に顧問の先生がいたなんて……」

「いや、驚くのはそこじゃないだろう」

「驚きますよ。顧問がいるなんて。でも、本当にあの先生が犯人なんですか?」


 部に顧問がいるのというの信じられなかったが、あの先生が犯人というのも信じられなかった。だって、あの先生は――


「凄いイケメンですよ? 背も高くてオシャレだし。そんな人が犯人だなんて」


 甘いルックスに細身のスタイル。スーツやネクタイのセンスもいい。先生は稀に見るイケメンなのだ。モデルだと言われても疑わないだろう。


「外見に騙されすぎだよ。中身は見た目じゃわからない」

「だって、イケメンは正義ですよ」

「ひどい理屈だね。けど、まあ、あの先生が犯人というのは僕の勝手な推測だ。まだ犯人と決まったわけではない」

「ほら、やっぱりイケメンは悪いことしませんて」

「イケメンかどうかは関係ないさ。とにかく、あの先生に憑依してみる。そうすれば真相がわかるからね」


 サクラは首を傾げた。


「憑依したら真相がわかるんですか?」

「サクサクさんは憑依できないから知らなかったね。憑依すると身体を乗っ取ることができるうえに、相手の記憶が全部こっちに流れこんでくるんだ。その人物のなにもかもがわかるって寸法さ」


     ◇


「間違いない。顧問のあの先生が犯人だ」


 先輩はしばらく先生に憑依したあと、サクラのもとに戻ってきてそう断言した。


「そんなあ、あのイケメン先生が……先輩のほうが悪いとかないです? 殺されても仕方ないようなことをしたとか」

「君はよくよく失礼だな。僕を襲った理由はだね――」


 先輩の説明によるとこうだった。


 教職に就く者としてあるまじき行為だが、イケメン先生はとある女子生徒と交際していた。その女子生徒というのが地獄の説教を食らったあの子だった。先輩に喫煙が見つかって長時間の説教を食らった女子だ。


「あいつ、ほんとムカツク。私に二時間も説教したんだよ」


 女子生徒は先生に愚痴ってから、こう続けた。


「そういやあのバカ、私たちのことを知ってるみたい。校長に告げ口するとか言ってた。なんとかしないとヤバくない?」


 けれど、先輩は交際のことなど知らなかった。おそらく、女子生徒は怒りに任せて先生に嘘をついたのだ。焦った先生が先輩になにかする。ようするに、先生をうまく利用して鬱憤を晴らそうとした。


 女子生徒も先輩の命を脅かすことまでは望んでいなかったかもしれない。しかし、先生は思いのほか焦った。生徒との関係が学校側に知られると職を失うのは避けられない。今後の人生にも大きく影響する。あげく、先輩を襲って口封じをはかった。


 先輩はそんな説明をしながらしきりに自分の胸を触っていた。だから、サクラもそれに気がついた。


「あれ、先輩、胸の糸がなくなってますけど?」

「うむ、病院にいる僕が死んだみたいだ」

「へえ……」


 ぼんやりと応じたサクラは、次の瞬間、「えええ!」と驚きの声をあげた。






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