第二十話 ピヨピヨ父、籠城に失敗する

「もっしもーし、北川きたがわ先生、そろそろ出てきませんかぁー?」


 どうして私が、実家のトイレ前でこんな声かけをしているかと言えば、個室に父親が閉じこもっているからだ。今回は誰かをつれていくとは言わずに、ただ「お休み取れたから帰るね」と知らせただけなのに、なぜか野生のカンが働いたらしい。普段は、爪の先ほどもカンなんて働かせたことなんてないのに、どうしてこんな時に限って?


「俺は出ないぞ、断じて出ない」

「またそんなこと言っておとなげない。バカみたいに閉じこもってないで、早く出てきてよ」

「誰がなんと言おうと、絶対に出ないからな」

「貸切トイレじゃないのよ、ここ」

「行きたければ医院のトイレに行け」


 まったくらちがあかない。どうしたものか……。



+++++



「お疲れ様でした、一足先に休みに入らせてもらいます。どうか今年は大トラが現れませんように!!」


 帰りじたくをした後、もう一度、病棟の患者さん達の様子を見て回ってから、明日も仕事の先生や看護師さんに挨拶をして、お互いにナムナムと拝み合いながら、病院の外に出る。外ではいつものように、南山みなみやまさんが待っていた。当然のことながら、背広姿ではなく私服だ。


「今年一年お疲れさま」

「年明けからしか休めないと思っていたから、なんだか調子が狂っちゃいました」

「それって贅沢ぜいたくな愚痴だね」

「そうとも言いますね。だって普通なら、こんな時期に休めるはずがないんだもの。川北かわきた先生に感謝かな」


 私が担当している患者さんは、元々は川北先生が主治医としてている人達がほとんどだ。そして病状が安定している人達は、先生が外泊の許可を出して、今ごろはきっと久し振りの家族団らんの時をすごしているはず。つまり、先生が外泊許可を患者さん達に出さなければ、こんな風に休めなかっただろうということ。


「ところで明日の予定は?」

「明日? とりあえずは、部屋の大掃除でもしようかなって。どうして?」

「本当なら年が明けてからにしようと思っていたんだけど、雛子ひなこさんの休みが一日までだからさ。もし忙しくないようなら、御両親に挨拶をしておこうと思って」

「そんなあらたまったことしなくても。私だってまだ、南山さんの御両親には挨拶もしてないんですよ?」


 正確には、南山さんが入院していた時にお会いしてはいるけど、そういうことを言っているわけじゃないのよね? 私の言葉に南山さんは、少しだけ困ったような面白がっているような顔をする。


「なんて言うか、今のうちに、きちんと宣言しておいた方が良さそうな気がするんだ。後々のために」

「後々?」

「だってこの前の時だって、雛子さんのお父さん、トイレに閉じこもって出てきてくれなかっただろ? 今度こそ、きちんと顔を合わせて挨拶しておかないと。一年数ヶ月後にはちゃんと、娘さんを手放してくださいねって」

「一年数ヶ月って、私の覚悟を確かめる期間じゃなかったの?」

「まあそうだけど、長い期間待ったのに、その後にごねられたら困るだろ?」


 別に私は、父親がその場でジタバタして泣こうがわめこうが、自分の決めた道を行くって決めているけれど、南山さんとしては、きちんとしておきたいポイントらしい。こういうところは、本当に真面目なんだなと思う。


「じゃあ明日は、南山さんが行くとは言わずに、私だけ実家に帰るって連絡をしておきます。そうすれば父親も、前もってトイレに籠城とかバカなことはしないだろうから」

「うん、そうしてくれると助かる。だけど父親のカンもバカにできないからなあ、また籠城されたりして」

「まさか~。うちの父親は典型的な文明人で、野生の欠片かけらさえない人ですから」


 まさかまさかと笑いながら手を振った。


「だと良いんだけどね。さてと今夜はどこに食事に行こうか? 明日はお休みだから、少しぐらいアルコールが入っても大丈夫なのかな?」

「じゃあ、前に話していた湯豆腐と日本酒がおいしいって言ってたお店!」

「そう来ると思った。ちゃんと予約は入れてある」

「やった♪」


 そんなわけで、二人でノンビリと忘年会をすることになった。そしてその日は結局アパートには戻らず、南山さんのお宅にお邪魔することになってしまったんだけど、ここでも結局アヒル奪取は成功しなかった。



+++++



 とまあ、その時はまさかまさかと笑っていたんだけど、まさか本当に籠城しちゃうとは。


「お父さん、子供じゃないんだから、いい加減に出てきてよ」

「俺はヤツが帰るまでここにいる」

「ヤツって失礼ね。南山さんってちゃんと名前があるんだからね」

「やかましい、知ったことか」


 まったく我が父ながらあきれる。


「まったくもう……」


 とは言え、南山さんはすでに応接室で、祖父と母親と打ち解けて仲良く歓談中。父親が今さらなにを言っても、事態は変わらないんだけどな。


―― しかたがない、あの手を使うか…… ――


「……ねえ、お父さん。いつまでも出てこないと、南山さんがあきれちゃうよ? もしかしたらこんなに父親が反対するなら、雛子さんとのことを、考え直さなきゃいけないかもって言い出しちゃうかも。私、ふられちゃうのかなあ……」


 ちょっと甘えた口調で言ってみる。それから父親には見えないけれど、ドアにのの字を書いてみたり。


「なんでだ、こんなにいい子を振るなんて有り得んだろ!!」


 即座に鬼の形相をした父親が飛び出してきた。やった、大成功。なんて言うか娘LOVEなのは分かるけど、ちょっと極端すぎるのも正直どうかと思いますよ、お父さん?


「じゃあ、ちゃんと挨拶してくれる?」


 まだ安心できないので、もう一押ししておこう。上目づかいの甘え口調でダメ押し。二十も半ばのいい大人がなにをしているんだろうと悲しくなるけど、相手がこの父親なんだからしかたがない。まったく……幼稚園の時からなーんにも変わっていないんだから、この人は。大好きだけど。


「分かった。ちゃんと挨拶する」


 今さら威厳のある顔をしてもムダなのよ?とツッコミを入れたいところだけど、ここでヘソを曲げられても困るので我慢をする。


「南山さん、あっちで待ってるから。お願いします」


 そう言いながら、シャツについた糸くずをとるマネをする。そして父親の背中を押しながら、応接室に向かった。もちろん背中を押して進んだのは、気が変わって「やっぱり会わん」と言い出して、再びトイレにUターンするのを防ぐため。


「やっとお出ましか」


 応接室に入ると、祖父が笑ってこっちを見た。南山さんはソファから立ち上がって、丁寧にお辞儀をする。


「初めまして。南山と申します」

「……雛子の父です」

「なにを突っ立っておる。こっちに来て座らんか。雛子は南山さんの隣に座りなさい」

「はい」


 私が南山さんの隣に座ると、父親はなんとも複雑な顔をしてみせた。そして父親は、祖父と母親の間に腰を落ち着けた。両サイドをガッチリ固められて、逃亡できない状態になっていることに、気がついているのかな?


「お前がさっさと出てこないから、裕章ひろあき君には、また同じ説明をしてもらわないといけないじゃないか。これのワガママで二度手間をかけさせて、申し訳ないね」

「いえ、かまいません」


 南山さんはそう言うと、私とは自分の入院がきっかけでお付き合いを始めたこと(アヒルのボールペンを人質にしたことは省略)、自分が来年度から海外赴任の予定なこと、そして私の研修が終了したら自分について来てもらうつもりでいること、私の医者としてのキャリアは、あちらでも問題なく継続できるように取り計らうことを説明した。


「それはつまり、雛子を嫁にしてつれて行くと?」

「雛子さんが、私の妻になってくれる決心がついたらの話ですが」


 そこまで具体的な話をされるとは思っていなかったらしく、父親はショックを受けている様子。この顔からして恐らく、結婚を前提としたお付き合いをさせてもらっています、ぐらいの話だと思っていたようだ。


「雛子はそれで良いのか? こっちで医者としてのキャリアを積むことが、できなくなるんだぞ?」

「私はすぐにでも一緒に行きたいって言ったんだけど、南山さんが研修はきちんと終わらせるべきだって言うの。そうすれば、あっちに行っても医者として勉強ができるでしょ? たしかに医局でのキャリアは積めなくなるけど、それだけが医者の道じゃないし」

「雛子が研修をしている病院は、すでに人事交流を兼ねて、海外に医者を何人か留学させているだろ? それと同じだと考えれば、なにも問題はあるまい。ただし……」


 祖父がニヤッと笑って私を見た。


「雛子、英語が苦手とかそういうことは言っていられなくなるぞ?」

「ああ、それね……そこだけが問題なの」


 自慢じゃないけど私は英語が苦手だ。南米ともなれば、きっと英語だけではすまなくなる。その点だけが憂鬱ゆううつの種なのだ。


「大丈夫ですよ。この一年数ヶ月間で僕がなんとかします。今はインターネットでのやり取りもできますし、雛子さんには頑張って勉強してもらいますから」

「え、マジですか?」

「そうしないと困るのは雛子さんだからね。少なくとも必要最低限の語学力がつくように教えるから、安心して任せてくれ」

「……お願いします」


 ってことは、これから一年ちょっとは南山さんと物理的には会えないけれど、ネットを通しての勉強では交流できるってことだ。ただこの語学先生、なかなか厳しそうだから、喜んでばかりはいられないだろうけど。


「そういうわけですので、雛子さんを一年三ヶ月後にもらいうけに参ります。お父さん、手放す心づもりをしておいてください」


 南山さんは、父親に向けてニッコリと微笑む。当然のことながら、父親の「雛子の決心がついたらの話だろ?」という抗議の呟きは、完全に無視される形となった。


 それから母親の提案で、皆で夕飯をとることに。そして食事の途中で話題に出た、南山さんの赴任先の医療現状に医者として興味がわいたらしく、父親はあれこれと質問をして南山さんと意見を交わし始める。そのおかげか食事が終わる頃には、父親と南山さんとの間のぎこちなさはいくぶんか解消されていた。とは言え解消されたのはその点だけで「娘を嫁にやる父親」としては、まだ納得していない様子だったけれど。


「お父さん、気の毒だったかな」


 家を出て帰る途中、南山さんがポツリと呟いた。


「どうして?」

「だって雛子さんは一人娘なんだろ? もしかしたらお父さんの中では、婿養子をむかえて、親子三代の開業医を夢見ていたのかもしれないじゃないか」

「そんなこと一度も口にしたことはないけど」

「父親のささやかな夢だったのかもね」

「じゃあ、私をつれていくのはあきらめる?」

「まさか。雛子さんの決心が揺るがない限りは一緒に来てもらう。奥さんとしてね」


 ニッコリと微笑んだ南山さんは、そう言いながら私の手を握った。


 南山さんが病院に運び込まれてから七ヶ月。まさかこんな話をするような関係になるとは、あの時は思いもしなかった。人生って本当に驚きで満ちている。


「ねえ」

「ん?」

「それでアヒルは、いつ返してもらえるの?」

「さあ、どうしようか……」

「ちょっと、それどういう意味?」


 そして私のアヒルは、まだまだ返ってきそうにない。

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