第72話 トランス少年C
クレイはタイ・バンコクの一等地にて、親戚達に囲まれながら「生活には」不自由なく健やかに育った。物心がつく頃から自分は「男」だと感じながらも、お嬢様達の通う小学校でそれを告げることなく上手に生きてきた。少なくともクレイ本人はそう思っている。
クレイがトランスジェンダーという言葉を知ったのは、年齢が二桁になった頃で、学校に通っていた時期は心と体に違和を持ちながらも、他の【プーイン】と同じように過ごしていた。
自分は「男」だと言う感覚はあっても、それを公言することはしない。
理由は周りの反応が面倒だったからだ。
タイはLGBTに寛容な国だと言われているが、それでも全く差別がない訳ではなかった。クレイの家系は男子が望まれていた為、男装に関して文句を言う人は少なかったが、それでも多くの親戚の中には抵抗を示す人も少なからずいたのだ。
他者のLGBTに寛容でも身内だとそうはいかない。
子供心にクレイは気づいていた。
基本的に少女らしい格好をし、少女らしく振る舞う。好きな趣味は「宝塚」と少女漫画の「ベルばら」「クリスタルの仮面」に固定した。少年漫画の話題を出すとお嬢様学校の女子達が話題についてこれないのだ。周囲を観察し自分の態度を考える。それは周りの反応を出来るだけ抑える為。別に苦痛に感じる程ではない。何より面倒なのは茶化される事だ。クレイにとってはそれが何よりも苦痛だった。交友関係で苦痛に感じることがあれば一人が好きという考え方になる。バンコクの一等地裏のスラム街に行き、一人で屋台巡りをする。田舎風の穏やかな人の流れが気持ちを安らかにし、食で乱れた心を発散した。それでも気持ちが落ち着かない時はワット・アルンという寺院まで足を運ぶ。バンコクにおける絶景ポイントの一つで、映画の舞台になるほど有名な寺院。チャオプラヤー川を眺めながら心を静めた。
そんなクレイ少年にはお手本としていた「男」がいた。
その男とは高祖父の「バスタード・ストリティックエンダーロール」という名の男。ニックネームは「バス」。
バスはクレイが十二歳の時点で百三十四歳。世界最高齢のギネス記録保持者だ。地上で生存している最後の男であり、ストリティックエンダーロール一族の長でもある。高齢の為寝たきりだが、ナノマシンによる通信の会話は可能で、心はまだまだ現役だった。バスの存在はストリティックエンダーロール一族の中で死活問題に関わるほどに大きく、クレイ達が富裕層でいられるのもバスの存在あっての事だった。「男」というだけで特別な時代な為、国からの補助が出る上に、ギネス記録保持者で有名という事もあり、世界各国から支援金が送られてくる。バスが生きているだけで一生遊んで暮らせるほどのお金が一族に入ってくるのである。
クレイは高祖父のいるバルムーンラード病院に週三の頻度で通っていた。タイ・バンコクにおける代表的な病院で、高級ホテル並に施設が整っており、富裕層でなければ入りにくい雰囲気だった。クレイは吹き抜けで見通しの良い高貴な空間を抜け、高祖父のいる病室へと向かった。
高祖父のバスは女好きで知られ、病室には見知らぬ女性が引っ切り無しと見舞いに来ていた。クレイは誰も来ない時間を狙った……というより、クレイの来る時間には来客のないようバスにお願いをしていた。これは男と男の約束であり、女好きのバスではあったが、玄孫のクレイとの約束は必ず守っていた。
クレイは聞き役に徹し、バスの自慢話や異性との恋愛話しなどをナノマシン通話で黙って聞いていた。本来自慢話は苦手だったが(特にお嬢様同士の自慢)、バスの話は心や胸が躍るようで心地が良かった。カリブ海の大海原における冒険談の様な、そんな広がりを見せ想像が膨らんでゆくのだ。
そんな夢物語の中にも現実的な話が交じる事があった。
それは最後の世代の男達に勧誘された時の話。
バスが百歳を超えた辺りから、中年期の男性二人が度々バスの元を訪れ「コールドスリープ化計画」の話を持って来る様になった。その二人は大企業のCEOと富豪の科学者で、それはそれはしつこい勧誘だったらしい。コールドスリープとは人体を低体温にし時間経過による老化を防ぐ装置。「男性社会が戻るまでコールドスリープで眠りましょう」とか「寝ている間も欲求を満たせます」などなど、バスへの説得は続いた。つまり「コールドスリープ化計画」とは、男性優位な社会が復活するまでコールドスリープで眠りましょうという計画だった。あまりのしつこさに、バスはその二人を嫌い険悪な仲になっていったのだと言う。
最後の世代の男達の「コールドスリープ化計画」は、当時世界の注目の的で、センセーショナルな話題だった。世界の人口の九分九厘が女性になった事で、男性向けのサービスやトイレが無くなり、もはや男達がまともな生活を送れる環境ではなくなっていた。それもやむなしというのが世間的な見方で、彼らの「コールドスリープ化計画」は着実に進んでいった。アメリカのニューヨークの地下深くにコールドスリープ安置所「ガイア・ノア」が建設され、彼らの眠りの時まで刻々と迫っていたのである。バスからしてみれば「何でお前らみたいなむさ苦しい男達と一緒に眠らなきゃいけねぇんだ」といった感じで、最後まで中年期の男性二人に抵抗し「コールドスリープ化計画」には乗らなかった。
バスは女達の生きる時代で死ぬ事を選んだのだ。
この話を聞いたクレイに与えた影響。それは同族嫌悪。
バスの話に出て来た中年期の男達の話に加え、お嬢様達の見栄の張り合いも苦手で、貴族、富裕層に対しての嫌悪感はより強いものになっていった。
同族嫌悪はLGBTに対してもあり、クレイはLGBTにおけるデモ行進などのネットニュースが嫌いだった。SNSでそのことについて小競り合いが始まれば、LGBTは怖いなどと書かれ、腫物みたいな扱いになる。何よりデモの様子を見た所でクレイの気が晴れる訳ではなく、より気を重くした事に対して憤りを覚えるほどだった。
クレイに転機が訪れたのは十二歳の時。
バスに「フランスに行ってみないか?」と問われ、何にも考えずに条件反射で「はい」と言った事が原因だった。「はい」と言ってしまったのは、フランスが「ベルばら」の聖地だったからかもしれない。トントン拍子にフランス行きの話が進んでいき、訳の分からない内にフランスへの出発日時になってしまった。
クレイは出発前にバスに挨拶をした。
その時バスから送られた言葉は「面白い王子がいるから会ってこい」だった。
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