第73話 F王子はジェンダーレス

 フランス行きに同行したクレイの親戚は、LGBTに理解がある人でも嫌悪する人でもない無関心な人。クレイにとってはそれが気楽で一番良かった。

 初めて赴くフランス。

 浮かないよう赤いワンピースを着て少女の様な格好にした。

 交通機関を乗り継ぎ景色を楽しみながら王族の邸宅へと向かう。美しい緑溢れる自然。カラフルでハイカラな街並み。涼しく穏やかな気候。年中暑いバンコクとは違う爽やかで清々しい空気。何処か心の中で重いものを抱えていたクレイの気持ちを浄化してゆく。初めて来た国のはずなのに何処か懐かしさも覚える。

 クレイは旅を楽しんでいた。


 邸宅は白を基調としたレンガ調の屋敷で、広い庭からは小鳥のさえずりが聞こえてくる。古き良き歴史的建造技術が大切にされていのは、フランスだけではなくバンコクでも同じこと。最先端の建築技術などは、都市部、海上埋めてて施設、元々さら地だった場所で活かされていた。


 呼び鈴を鳴らすと、少年の様な声と共にドタバタと足音が聞こえてきた。ガチャンと扉が開き、満面の笑みを浮かべた子供が現れた。


「君がクレイだねっ! 僕の名前はフリージオ! よろしくねっ!」


 フリージオは勢いよくクレイの手を掴み、何度も上下に握った手を揺らした。

 騒々しい。それがフリージオの第一印象だった。


「初めましてクレイモアルと申します。クレイとお呼び下さい。これから暫くの間お世話になります。フリーシア王女」


「だーかーら、フリージオなんだってばぁ!」


 フリージオという名前は男装時の名前。

 本名はフリーシア・エトワール。

 王子の存在にあまり関心のなかったクレイだが、多少の下調べはしていた。

 光り輝く天使の羽のような白い髪で、少し癖のあるミディアムヘア。瞳は吸い込まれるような青。ベルベット素材のジャケットを羽織り完全に男子という見た目。年は同い年の十二歳。天真爛漫な子供は天使そのものだ。

 クレイはフリージオの容姿を見て直感的に感じ取った。

 高祖父のバスがフリージオに引き合わせた理由を。


 クレイはフリージオに手を引かれて、衣裳部屋まで連れていかれた。

 一部屋が丸々ウォークインクローゼットの空間は、男子用の服が九割を占めていた。フリージオは取っ替え引っ替えに服を選び、クレイの体に合わせていった。


「何のおつもりですか?」


「何もこうも、クレイは絶対男子服の方が似合うよ」


「私は今の服で十分です。お気遣い不要です」


「何で何でー?」


 何でって……と、クレイは顔をしかめた。

 男装は高祖父の誕生会で披露した事がある。

 似合うと言ってくれた親戚もいれば、馬鹿にしたように笑う親戚もいた。別に馬鹿笑いに悪意はなかったのだろう。だがこの事がクレイの心に影を落とす要因となったのだ。

 男装はしっくりくるが、しなくても生活に支障はない。

 生きていく上で必要のない行為だ。


「私は男装が嫌いです」


「ゼーッタイウソ! だって顔に書いてるもん」


 クレイはつい顔を触ってしまう。

 言葉の意味を知っていたが、反射的に動いてしまった。


「やっぱり、本当は男装したいんでしょー」


 フリージオと話しているとペースが狂う。

 お嬢様学校で相手をしていた女子達とは違う。

 クレイはフリージオに対して苦手意識を持ちながら、興味も一緒に持ちはじめていた。


 結局、男装をしてしまったクレイ。

 フランス衛兵隊の軍服(子供服バージョン)に身を包んだ。

 男装というよりコスプレ。

 しかし恥ずかしさより胸の高鳴りの方が勝っていた。

 クレイは鏡を見て自分の容姿を確認する。

 漫画で見た「ベルばら」の主人公っぽい少年がそこに立っていた。

 フリージオはクレイの肩に手をかける。


「似合ってるよ」


「……ありがとうございます」


「誰かに似てるよねー少女漫画の主人公の……」


「その漫画は私も知ってます」


「ほら、ラスカル」


「それはアライグマです」


 クレイは照れくささを表に出さないように堪えた。


 男装をした二人はテラスでハーブティを楽しむ。

 緑に包まれ、穏やかな風に吹かれ、ハーブの仄かな香りを楽しむ。

 心地いい。

 何とも言えない感情が、クレイの心に、体に広がってゆく。


「フリーシ……ジオ王子は何時頃から男装を?」


「物心ついた頃から男の子のファッションが好きだったかなー」


 やはりトランスジェンダーなのだろうかと会話の勢いで聞く事にした。


「王子はトランスジェンダーなのですか?」


 フリージオは口に人差し指をついて考えている。

 悩んでいるというより、言葉が出て来ないのか。

 少し間を置いて王子は口を開いた。


「そう言う人もいるけど、僕はねージェンダーレスだよっ!」


 ジェンダーレス?

 クレイの知らない言葉だった。

 それを察知したのかフリージオは話を続ける。


「ジェンダーレスって言うのは「男女の性差をなくそう」って考え方で、ファッション業界では、男性用女性用関係なくファッションを楽しむって感じの、ジェンダーレスファッションっていうのがあるの。ジェンダーレスはLGBTから外れた見方をされることが多くて、Q(クエスチョニング)に近い所があるかなーって思ってる」


 クレイは真顔になる。

 話についていけない。

 LGBTという知識だけで、セクシャルマイノリティを知った気でいたのだ。


「僕は性自認とか何方でもいいかなーって。男装をしてる方が目立つし楽しいから、そっちの方が好きなんだけど」


 セクシャルマイノリティをファッションで片付けられたら堪ったものではないが、嫌悪感よりフリージオの考え方に驚きを隠せなかった。十二歳の思考回路とは思えない。すでに自分のセクシャルと向き合い答えを出している。男装をする事に何の躊躇いもなく、周囲の視線を気にしない。初印象はただの無邪気な子供だった。話せば話すほど、関われば関わるほど、フリージオがただの子供ではない事が、この短時間でもわかったのだ。

 他の富裕層や貴族と同じように、見栄を張り、権力を振りかざし、周囲の人間を見下した存在だと、クレイは思っていた。

 だが違う。

 知識をひけらかしているのではない。

 フリージオにとっては、洪水のように溢れる知識の一部でささいな情報に過ぎないのだ。その無邪気な表情の中に圧倒的な何かが潜んでいる。

 クレイにはそう思えた。


「それとクレイは自分の生まれた国については知ってる?」


「タイ・バンコクのバルムーンラード病院ですが」


「それは違うよ!」


「……?」


「君も、ここフランスで生まれたのさっ!」


 クレイの目が泳いだ。

 高祖父のバスからそんな話を聞いたことがない

 だがフランスの空気感に何処となく懐かしさは覚えていた。

 フリージオの発言をデタラメだとは言い切れない。


「仮にそうだとして、何故フリージオ王子がその事を知っているのですか?」


「うーん、教えてあげてもいいけど……条件があるなー」


「条件とは?」


「君が僕の仲間なってくれたら教えてもいいよ!」


 ますます訳がわからない。

 王族の人間が何故仲間を必要としているのか。仲間にするなら自国の人間だけを集めればいい。外部の人間を入れれば情報漏洩の危険性がある。そのリスクを冒してまで、仲間に引き入れたいという事なのだろうか。質問攻めにする手もあるが「仲間になる」を選択した方が恐らく早い。

 謎めいた話からほとばしる危険性。

 早くフリージオの知性に近づきたいという思いも意識に芽生えている。

 王子の傍にいれば、きっと心に潜むフラストレーションを解き放てる。

 クレイの決意が固まった。

 

「わかりました。私は王子の仲間になりましょう」


「じゃぁ決まりだね! 役職は、僕の友達兼ボディガードって事でっ!」


 クレイのボディガードライフの始まりだった。

 独学で鍛錬を積みながら、フリージオの友人として共に過ごしていく事に。

 クレイの妹「セラ」が生まれたのはこの約一年後。

 この「セラ」の存在が、クレイの人生やフリージオとの関係性をより複雑なものへと変えていったのである。

 

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