第61話 仮面夫婦

「私達は、仮面夫婦を演じるのよ!!」


 ソフィアがゆきひとに放った言葉である。

 

 十一月の三日。夜の十一時。

 日本SWHの部長室。その狭い部屋で、ゆきひととソフィアは適度な距離を保ち視線の火花を散らしていた。

 その火花の間に、目には見えない川が流れている。まさに川中島の戦い。

 方や上杉謙信扮するゆきひと。

 方や武田信玄扮するソフィア。

 戦国武将らは微動だにせず、相手の出方を伺っている。

 気を抜けばヤられる。そんな空気が張りつめていた。

 ゆきひとの次の結婚相手は、第二回メンズ・オークションに入札者として参加していたソフィアに決定済みで、ゆきひととソフィアは夫婦になっていた。本来、十一月一日から結婚生活をスタートする予定だったが、マネージャーアイドル「M」の打ち上げパーティの飲み会、二次会、後始末等々で二日遅れてしまった。

 予定はてんやわんやで、アイドル活動を必死にこなし人気絶頂で引退したゆきひとの精神は落ち着いていなかった。

 

 そんな元アイドルのゆきひとは、直立不動で汗をたらしていた。

 ソフィアに反論したら、何を言われるかわからない。まずここは様子見。

 ちなみに言えば、ソフィアはヴィーナの妹。

 ゆきひと自身、ヴィーナに対して恋愛感情を持っているという自覚はある……と言っても、多分という範疇。本気で異性に恋心を持った事が無かったので、これが本気なのかどうなのか判断出来ていない。


 部長室にいる二人の警戒は解かれない。

 ゆきひとは未だにソフィアの思考が読めないのだ。

 アイドル活動中はいい感じに接する事が出来たのだが、いざ結婚生活が始まると、不機嫌な彼女、不機嫌な部長が目の前にいる。ソフィアが姉のヴィーナを好きだという事は理解している。ゆきひともヴィーナの事が多分好き。出来ればヴィーナと結婚生活を送りたかった。そうすればこんな状況には……と、ゆきひとは思っている。今の思考をソフィアに悟られたらヤバイ。それだけは言える。

 いや、待て。

 待て待て待て。

 ゆきひとは気がついた。

 もしや今、恋敵と夫婦関係になってるー?


 そんな冷や汗をたらしているゆきひとを、冷たい目線で攻撃しているソフィア。

 実際に「冷たい眼差し」という攻撃コマンドを使用している。ソフィア的に。

 「冷たい眼差し」のコマンドの次は「部長ビーム」を放つつもりだ。

 

 ソフィアのセクシャリティを知る者は少ない。

 姉のヴィーナでさえ知らない。

 知っているのは親友のパステルだけ。

 ソフィアがビアンよりのバイセクシャルだと自覚したのは十代の後半。

 自分を見つめ直した十五歳ぐらいの頃。

 そんな時期に、姉と共に日本に渡った。

 姉のヴィーナはその頃元気のなかったソフィアの身を案じて、日本行きを計画を立てたのだ。母親のストックに相談した所、即OKが出た。ストックは日本好きで、将来日本SWHの代表取締役はヴィーナにしようとしていた。つまり日本行きはそれぞれに都合がよかった。

 そこでソフィアは日本の「腐れ」文化に触れ、自分のセクシャリティを自覚する事になるのだ。

 

 「ボーイズラブ」、嫌いではない。

 薄い本と呼ばれる同人誌は、十八を過ぎた頃に購入。

 SNSで盛り上がっている女子達のような感情は沸き上がらない。

 確かにこれはこれで萌えるのだが。

 

 「ガールズラブ」、嫌いではない。

 女と女の愛は素晴らしいし美しい。

 これもこれで萌えるのだが、やはり何か物足りない。

 

 そして出会ったのが「ノーマルラブ」。

 それはもう奇跡の出会いだった。

 薄い本が分厚く輝く。

 本を持つ手が止まってしまう。

 

 むさ苦しいオジサンと、麗しき乙女の逃避行。不釣り合いに見える二人の日常。それは小汚い木造住宅の家。枯れた男の家に上がり込む若い乙女。敷きっぱなしの布団は湿っていそう。体臭が染み込んでいそう。読み終えた小説が重なり散らかっている。そんな事は気にせず、若い乙女は枯れた男に寄り添う。この二人の恋は他者には理解できない。登場しない家族に阻まれているのだろう。

 そんな感じが切ない。

 この二人に共通点はない。

 逆にその凸凹さが、いい。

 薄い本の中の二人は、寄り添い、愛を育む。

 丸みを帯びた筋肉と白雪の肌が重なり……。

 アァー!!

 収まらない感情があふれ出す。

 頭の中が、はわわわわわわわわわ。何て素晴らしいんだ。

 枯れた男は敵わぬ恋を胸に秘め、麗しき乙女の体を包み込む。

 きっと乙女は伝説の匂い「カレイシュウ」を感じとっているのだろう。

 「カレイシュウ」ってどんな匂いがするのだろう。まるで想像ができない。

 クリームシチューみたいな匂い? きっとそう。

 ノーマルラブは、神。尊い。

 ベットで薄い本を抱きしめる。

 自分が恋愛してる姿を想像すると吐き気を催すが、生まれ変わったらこんな恋愛をしてみたい。

 ため息をゆっくり吐く。

 そしてノーマルラブの沼にまたハマっていく。

 バイセクシャルのソフィアはノーマルラブが大好物だった。


 部長室の二人に話を戻す。

 ソフィアはゆきひとを見て、自分の感情を整理できないでいた。ソフィアは姉のヴィーナが大好きで大好きで大好きだ。姉は少女時代から華があり、百年に一人の美少女だと言われていた。同性からバレンタインデーのチョコを貰ったり、ラブレターを貰ったり、告白されたりと、誰からも慕われる自慢の姉だった。

 それをイケメンのワイルドマッチョに奪われようとしている。

 許せない。

 燃え上がる嫉妬心。

 リムジンに盗聴器まで仕掛けた。

 今、その姉を略奪するかもしれない男と結婚している。

 ソフィアは気がついた。

 もしや今、恋敵と夫婦関係になってるー!?


 いや……問題はそこではない。

 ゆきひとも、その点には気がついているだろう。

 本当に気がつかれてはいけないのは、夫と姉で薄い本展開を構築しそうになっているということだ。

 ソフィアは決して男が嫌いな訳ではない。

 異性とどう接していいのかわからず、ツンケンな態度をとってしまうのだ。

 わざと好きな女の子をイジメる男の子のような近さはある。

 そういう態度をとる相手は、嫌いな相手ではなく、寧ろ好みの見た目。

 三日前のアイドルライブの打ち上げ中、楽しそうに話しているゆきひととヴィーナを見て「ちょっといいかも」と思ってしまった。

 写真を隠れて撮る。

 筋骨隆々の優男と百年に一人の美女のツーショット。

 二人は薄い本の主人公のよう。

 これをガクブチに入れて飾りたい。

 誰か、このシチューレーションで薄い本を描いてくれ。

 ボーイズラブが主流なこの時代、ノーマルラブの薄い本はかなり少ない。

 ソフィアの好きなジャンルのイラストは「ピクラブ」でも投稿数が少ないのだ。「ピクラブ」とは、フリーで投稿、観覧が出来るイラストサイトで、通称「羅部」と呼ばれている。補足を入れると18禁は「裸部」になる。マイナージャンルだから仕方ない……とはいえ、自分の好みのイラストがないかを探し続けてしまうような魔力がある。お願いだから、もっと、もっと、私好みのイラストを誰でもいい……描いてくれ。パステルは自分の心の中でノーマルラブを叫んだ。

 こんな事を夫のゆきひとに悟られる訳にはいかない。

 嫉妬と萌えと激情と愛情とカレイシュウと尊みが入り混じり、ソフィアの感情ダムは洪水の水圧で崩壊寸前だった。

 マッチョを身近に置くのは、危険だ。

 

「つまり俺にどうしろと?」


「何がよ」


「仮面夫婦を演じるって……」


 ソフィアはテンパり過ぎて自分の発言を忘れていた。


「……私に、関わらないで! アイドルライブの影響で仕事が山積みなの。アンタに構っている暇なんてないわ。一万円あげるから適当に済ませて……」


 ソフィアは「部長パワー」のスキルを使い、装備アイテム「財布」から「一万円」を取り出し、ゆきひとに差し出した。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 スーツ一式のゆきひとはソフィアから「一万円」を手に入れた。

 「フッ、一万円ぐらいくれてヤらぁ」と、ソフィアの不敵な笑みが光る。

 その不気味な笑顔はゆきひとに「恐怖効果」を与えた。

 ソフィアの「銭投げ」攻撃はゆきひとに対して効果覿面だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る