第60話 クリームソーダスイート
午後六時。開演。
ソフィアは深呼吸をしてステージに駆けて行く。
「皆さん、こんばんわぁ!」
ソフィアは観客席に向かって大声を出す。すると「こんばんわー!」と、やまびこのように返事が戻ってくる。満員御礼の女性客の熱量は、司会進行のソフィアに一点集中する。アイドルユニットのファン達の人数の多さ、その迫力に、ソフィアは固まってしまいそうになる。モニターを見ながら会場に放送を入れるのとは訳が違う。胸の鼓動が止まらない。アイドル二人と違って、ソフィアは元々目立ちたいタイプではない。でも今回は大事な大舞台。親友の為にひと肌脱いだのだ。第三回メンズ・オークション時に司会進行をしていたパステルを必死に思い出して司会進行に挑んでいる。
「今日のステージは今夜限りの特別なステージです。皆さん、存分に楽しんでいって下さいね!」
嵐のような歓声。それと同時に凄まじい勢いのスチームが、ステージ両サイドに放たれる。そのスチームが合図となり、ゆきひととパステルはステージ中央に飛び出して行く。そして爆音のアニソンが会場全体に轟いてゆく。曲目は一九九〇年から二〇二〇年代のアニソンで構成されており、ラストにゆきひととパステルのオリジナル曲となる。
最初に上限突破ジゲンマガンの「虹色デイリー」から始まり、キレラキレの「アルタイル」、パケットモンスターの「ジェネレーションギャップ」と続いていく。基本的に歌いやすい曲、盛り上がる曲を選んだ。アイドル二人はダンスをしながら華麗にステップを踏む。飛び散る汗がライトに照らされ、その一粒一粒が七色に輝いた。観客達も、赤、黄、青、緑と、変幻自在に変色するサイリウムを激しく揺らして会場を盛り上げた。
曲目の半分が終わった所で二人の挨拶が入る。
それが終わると、観客席から指笛が聞こえて笑いが起きる。
ゆきひとは指笛の聞こえる方向を見た。そこには着物のヴィーナと紅葉浴衣の萌香がいた。異彩を放つ和装の二人は演奏を楽しむ天女のようで、とてもよく目立っていた。二人を見たゆきひとは嬉しくなってテンションが上がってしまう。
「皆、盛り上がっているかー!」
「キャー!」と黄色い歓声が沸く。ゆきひとは舞台慣れしている。パステルの視界にはそう映った。相棒には負けられない。
「私達のユニット、マネージャーアイドル「M」は今日が最初で最後です。奇跡のライブを楽しんでいって下さい! それでなんですが、後半を始める前に一緒にポーズを取ってほしいんです。私達がマネージャーアイドルッ! ……って言ったら、二つのサイリウムで山を作って「M!」って、大声で叫んでほしいんです。いいですか?」
星の瞬くかの如く、サイリウムが上下に激しく揺れる。
OKのサインだ。
「俺達!」
「私達は!」
パステルとゆきひとは、互いの目を見てタイミングを合わせる。
「マネージャーアイドルッ!」
「M!」
掛け声は会場全体に響く。
アイドル二人は自分の両手を握り合わせて天上に突き出し、二人で合わせてⅯのマークを作った。観客達もサイリウムで山を作り、長く連なるMの模様を作る。この一体感はライブ会場ならでは。笑いのガヤは絶えない。
パステルは連なるMを目に焼き付ける。このライブに来ている人達は一時のショウを楽しむ為に来ているんだ。叩かれることを怖がるなんてナンセンス。最高のライブにして皆を楽しませたい。強く、強く、そう思ってしまう。
ステージで死ねたら本望。そんな女優や歌手がいたっけか。今ならそんな気持ちがわかる気がした。
楽曲は後半に突入して、更にヒートアップ。Aのチタンギンガの「Aの転校」、魔法幼女マジカマジダの「セレクト」、そしてゆきひとが好きだと言っていた楽曲「希望を信じて」も披露された。後半は切ない系の歌が増え、会場はしっとりとした空気に包まれる。
そしてラストはオリジナル曲である「マネージメント」。管理や面倒を見てくれた人に対しての感謝の気持ちを込めた歌詞になっている。アップテンポで切ない系のメロディ。パステルはお世話になったマネージャーのパノラに対して気持ちを込めた。そもそもこの曲はパノラの為に書いた歌詞。パノラと紅白を乗り切った時の事を思い出す。あの時は二人三脚で激しい大海原を乗り越えた。もっと自分がパノラの声を聞いていれば、関係が崩れさることはなかったかもしれない。
マネージャーのパノラとの別れは、後悔してもしきれない。ソフィアとも、ゆきひととも、パノラが芸能界に導いてくれなければ、出会う事は出来なかった。
もう一度再会することが叶うのならば、その時は感謝の気持ちを伝えたい。
全ての演目を終えたパステルは震えた声で話す。
「この曲は元々相棒のソロ曲でした。歌詞は勝手に私の気持ちを込めて書いたのですが、まさか自分で歌うことになるとは思いませんでした。……私は、過去にビアンを装っていました。その事が原因でマネージャーと喧嘩別れをしました。私は彼女に甘え、感情の全てをぶつけてしまいました。謝っても謝り切れません。全て私が悪いです。いつか直接会って気持ちを伝えられたら……」
「聞いてたよ!」
パステルはハッとして観客席を見渡す。
「パノラさん? ……もしかして来てるの?」
ヴィーナの隣の席(萌香の反対側)がスポットライトで照らされる。
そこにはパステルのマネージャーをしていたパノラがいた。
「パステル……やっぱり、貴女は素敵だった!」
パステルは口を抑える。信じられない。まさかパノラがこのライブに来ていたなんて。そんな気持ちが溢れて止まらなくなり、目に涙が滲んでいく。
「ごめんなさい……私……」
「私の方こそごめんなさい! ……ずっと、謝りたかったの」
「何で、パノラさんが謝るの?」
「貴女が大変な時に、寄り添ってあげられなかった……。私、貴女と別れた後、鬱病が悪化して……」
「そう、だったんだ……」
「貴女のマネージャーになる前から、鬱病の治療をずっとしていたの。……なかなか立ち直れない時期に、貴女の歌に出会った。貴女の動画を見て元気を貰えたの。きっとその歌に元気づけられた人は多いと思う」
一階の観客席の脇(非常口付近)にいるイベントスタッフ三人に、スポットライトが当たる。
その内の一人がパステルに手を振る。
「パステルー。私のこと覚えてるー?」
「あっ……覚えてる! 名前を思い出せない!」
「友人Aのセイラだよ! ひどいけど、パステルらしいね。まぁ、私も人の名前、あんまり覚えないけど。私、パステルの好きなアイドル、セイカちゃんと一字違いの名前だったんだよー」
「ゴメンゴメン」
セイラはのほほーんと笑う。
「中学生の時、一緒に幕張メルシアで、ステップフェスタに遊びに行った思い出、今でも忘れてないよー。本当に懐かしいよ。ちなみに今は五歳になる娘がいます。名前はセイカにしたぞい。……ずっと陰ながら応援しておりました。パステルは自覚がないかもだけど、私にとっては伝説のパケモン級アイドルです!」
「セイラ、ありがとう!」
セイラの言葉に拍手が湧く。
そしてセイラは隣のボーイッシュな女性にマイクを渡す。
「……せ、先輩!」
「パステル、久しぶり! 幕張の児童施設で同室だった先輩Aのフリーダです。バスケの試合で悩んでる時は、パステルのアルバムを聞いて元気を頂いておりました。ちなみに当時、アタシは……パステルのことが、好きでした!」
「ヒューヒュー」と声が湧く。
「過去形かい!」
フリーダはパステルの知らない隣の女性の肩を抱く。
二人は薬指のリングを見せつける。
それはとても幸せそうに。
「でも昨年、彼女と結婚しました!」
「……!? フリーダ先輩、結婚おめでとうございます! でもアイドルユニットは明日離婚します!」
会場全体で笑いが起きる。
フリーダ先輩とその彼女もケラケラ笑う。
「パステル……今までレズビアンだと隠しててゴメン。パステルもファッションレズとかで色々あったとは思うけど……アタシみたいに気にしてない人も多いから、これからも頑張って下さい。先輩からは以上です!」
「先輩、ありがとうございます!」
「では最後にパノラさん、お願いします」
拍手と共に、スポットライトがパノラに戻る。
「……今、私は貴女の一ファンなの。先月の動画の文字覚えてる? パステルのアイドル活動がみたいって書いたのは……私」
パステルは、ただ黙ってうなずく。
瞳から雫がぽたぽたと落ちていく。
「……叩かれても、批判されても、立ち上がる貴女に元気と勇気を貰えた。だから、ずっと走り続けて! アイドルじゃなくても! リポーターじゃなくても! 私がいなくても……輝き続けて! パステルは女性のトップアイドルのライブステージを見たいという私の夢を叶えてくれた。本当にありがとう! 私はずっとずっと貴女のファンです!」
パノラの熱意は会場全体に拡散され、長い長い拍手を促した。
パステルはその様子を見ようにも、光の粒が光沢となり虹色が溶け合って見えている。クリームソーダのアイスクリームが溶けてグラスの中で炭酸が弾けているかのように。
パステルは思った。
本来アイドルとはファンに夢を与える職業なのだと。ソロで売れることに拘り、他のアイドルとの人気格差に嫉妬し、ファンを省みることをしなかった。ずっと伝説のアイドルである松井セイカに憧れて走り続けていたが、根本的に大事なものをパステルは見落としていたのだ。こんな自分が松井セイカのようになれる訳がなかった。気が付くのが遅すぎた。いや、やっと気がついたのだ。それはファンのお蔭、皆のお蔭だ。
「パノラさん! セイラやフリーダ先輩も……皆、皆、大好き!」
パノラは手を叩く。
「アンコール! アンコール!」
パノラの声にファン達やイベントスタッフも乗せられる。
友人のセイラや先輩のフリーダ。そのフリーダのワイフ。
当時嫉妬していた元CM子役のヴィーナ。
第三回メンズ・オークションのお客様だった萌香。
相棒のボディガードのクレイ。
相棒の世話役のセラ。
そして親友のソフィアまでも。
アンコールの声が大きくなっていく。
その大声援で、観客達の目当てがゆきひとだけではないと、パステルはやっと気がついた。
実際の所、このライブに来ていた女性達は第三回メンズ・オークションでパステルの存在を知り、過去に配信していたアイドルソングやアニメソング動画に魅せられた新規ファンや、パステルのアイドル時代を支えたファンで埋め尽くされていたのである。
アンコール曲を用意していなかったパステルは止まらない涙を拭っていた。
そんなパステルにソフィアは声をかける。
「アンコール曲は私が演奏するから、それに合わせて歌ってほしい」
ステージにエレクトーンが出現する。
「私……歌えない。またミリオンピーチみたいになっちゃう」
パステルが思い出すのは第二回メンズ・オークションで失敗したステージ。歌詞のマシンガンに打ち砕かれてしまった苦い思い出。それもあるが、この涙の止まらない状況ではまともに歌を歌えたものではない。
「大丈夫。この曲なら歌えるから」
ソフィアはパステルの手を強く握って励ます。
「相棒! 俺にラストステージを見せてくれ!」
ゆきひとは拳を上げて声援を送る。
「ほら、アイツもああ言ってる」
「もうぅ……仕方ないなぁ」
パステルは涙を誤魔化して笑う。
その涙にソフィアはもらい泣きをしてしまう。
涙をもらったソフィアはそのままエレクトーン席に着く。深呼吸をして、静かに鍵盤を弾く。
心に波紋が広がるようなピアノの音。
優しいシンバルの音。
パステルは序奏を聞いて、その曲が何の曲なのかをすぐに理解した。
その曲は松井セイカの「赤いレットイットビー」だった。
パステルはマイクを握りしめて声を出そうとする。しかし歌おうとしても声が震えて上手く歌えない。それでもファンに思いは伝わっていた。その震えた歌声は確実にファンの心に届いていた。
音楽には当時の事柄や懐かしさを呼び起こす効果がある。学生時代、がむしゃらに過ごした思い出。恋愛などの甘酸っぱい思い出。社会人になり、働いて苦労した思い出。仲間との飲み会でハメを外して楽しんだ思い出。必ずしも今が最高で全てが上手くいっている訳ではない。今は日々の苦労を全て忘れているのだ。春を感じさせる優しい歌詞がエレクトーンの爽やかなメロディーに連なり、会場全体を暖かい空気に包んでいく。
それぞれの心に春が咲いていた。
「赤いレットイットビー」の歌詞にはスイートピーがよく登場する。
その花言葉は「私を忘れないで」。
パステルにはわかっていた。
これがアイドルとして最後の歌になることを。
後悔がなかったといえば嘘になる。
でもこんな最高のステージで終えることが出来るなんて、アイドルとしては幸せじゃない?
そう思えば泣き腫らした笑顔も輝くのだ。
我がアイドル人生ありがとう。
そして……さようなら。
ユニットのライブは暖かい涙に包まれて終演した。
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