赤い少女




 ——あ、これ死ぬな。


 血の巨人を両断した後、空中で身動きが取れなくなったノワールは重力に引っ張られ、地上約十メートルの高さから垂直に落下していた。

 ノワールが使った技『虚限きょげん』は、人間が生来備えているリミッターを無理やり解除して、一時的に限界を超えた身体能力を発揮するというものだ。

 その代償として、活動エネルギーの枯渇、全身の筋肉の断裂、思考速度の低下が返ってくる。この技を使った後のノワールは、ノミより役に立たない。

 一切身体を動かすことが出来ず、モヤがかかった思考の中で、ただ落ちているという感覚があった。

 何もここまでしなくても、同じように血の巨人を両断することはできたろうが、無駄に気合いが入ってしまった。今のノワールに一切余力はない、

 死んだらルージュを呪ってやろうと考えていたノワールが地面に衝突する直前——、ふんわりと、まるで穏やかな風で編みこまれたクッションに包まれるように、ノワールはゆるやかに失速し、そっと誰かに受け止められた。

 視界の端で、鮮血のように艶めいた赤髪が揺れたのを捉え、ノワールは自分がルージュに助けられたことを悟った。

「……これで満足ですか、ルージュ」

 こちらを覗き込むようにして満足げに微笑んでいるルージュを見上げ、ノワールは力なく言った。

「上出来よ、ノワール」

「そうですか……」

 ほんの少し視線を動かし、ノワールは血の化物だったものが溶け、ただの赤い液体となり地面を真っ赤に染めているのを確認する。もう再生する気配はない。

「の、ノワール……、大丈夫……?」

 ルージュの背中に負ぶさるようにしがみついているリールが、ルージュの肩から顔を覗かせてノワールを心配そうに見つめていた。

「大丈夫、ですよ……。しばらくは一切動けそうにないですが」

「そ、そっか……、よ、よかった……」

 どこかホッとした表情を見せるリール。しかしそこに、血の巨人の脅威が去った事と、ノワールが無事だったことに対する安心以外の、別の感情が混ざっていることにノワールは気付いた。

 しかしその違和が何なのか考える前に、大勢の足音がこちらに近づいて来るのをノワールは感じ取った。

 その足音の一つに、聞き覚えがある。これは——、

「ライガンが率いる警衛たちね。全く、全部が終わってからやって来るなんて、相変わらずだわ」

 明らかに嘲りの意図が含まれた台詞をこぼして、ルージュはこの空間に繋がっている唯一の通路の方を見やる。ノワールとリールが通って来た、屋敷と繋がっている通路だ。

「ここに来る前、僕がサラに通報するように頼んでいたので、恐らくそれを聞いて来たのかと」

「なるほどね。そういうことなら、面倒な後処理はライガンたちにやってもらいましょう」

 するとルージュはクスリと笑って、ノワールをお姫様抱っこの形で抱え、リールを背中に背負ったまま、警衛騎士団の足音が迫ってくる通路に向かって駆け出す。その去り際、ルージュは未だ困惑と恐怖の表情を色濃く残している二十人あまりの黒衣の魔術師たちを見て、声をかけた。

「状況の説明はあなたたちに任せたわ。それじゃあ元気でね! あとアモス! あなたはアリアとミリアを心配させた責任を取って、彼女たちに優しくするのよ!」

 そして、ルージュはノワールとリール二人分の体重など物ともしない軽やかさで、暗がりの通路に突入する。

 通路に入ってすぐに、向かい側に複数の光が輝いているのが見えた。ぼんやりと浮かび上がるのは、警衛騎士団の団服を身に纏い、腰に洋刀を挿したおおよそ三十人の警衛騎士団員たち。その先頭に立っていたライガンが、ルージュたちの姿を視認すると、腰の洋刀サーベルを抜き放ちながら怒号のような大声を上げた。

「おいルージュたちてめぇ! この先で何をやらかしてきた!? 止まれぇッ‼」

「何をしたかと聞かれれば、今回の事件を解決してきたわ! 感謝なさい」

「なら止まってその説明をしろ!」

 ライガンから制止の声を受けてもなおも止まる気配を見せず、ノワールを抱え、リールを背負ったまま加速するルージュ。

「説明ならこの先にいる〝この事件の被害者〟たちから聞いてちょうだい!」

「訳の分からないこと言うんじゃねぇ! ふざけてんのか!?」

「ふざけてないわ。私はいつだって真面目そのものよ」

「だったら止まって説明しろと言ってるんだオレは!」

「いやよ、だって面倒だもの」

「てめぇはそうやっていつも——ッ! 今日こそ後悔させてやる‼」

 ライガンは額に青筋を浮かべて怒号を上げ、「あいつらを捕縛しろ」と後方の団員たちに指示を出した。

 ——やめておけばいいのに……。

 と、ルージュにお姫様抱っこをされたまま、この恥ずかしい状態に異を唱える気力もないノワールは思った。

 ルージュの前に立ちふさがるのは、ライガンを始めとした警衛騎士団員三十人あまり。帝国直属の警衛騎士団に入れるという時点で、その団員たちは彼らの人生で〝戦闘の天才〟と周りに褒めそやされてきた者たちである。その中でもさらに一握りのトップが、団長であるライガン。そんな者たちがこの狭い通路を完全に封鎖する中、ルージュはノワールを両手で抱え、背中にリールを背負ったまま愚直に駆ける。

 まず、ルージュとライガンがぶつかる。

 ライガンはルージュに向かって洋刀を振り下ろす。一見乱暴に見える振り下ろしだが、その実的確にルージュの進行方向を塞いでいた。

 斬撃に行く手を阻まれたルージュが一瞬停止する。その隙を突いて、ライガンは暴風のような勢いでルージュを押し倒そうとした。

 物理的に、現実的に考えて、そのライガンの鍛え上げられた鋼のような肉体を、ルージュが避けることは不可能。——しかし、まるでその場の時空間が歪んだように、ルージュの姿がブレ、彼女はライガンの背後に立っていた。


「————ッ」


 その間僅か数瞬。一体何が起こったのか、脳が理解を得る前に、ライガンは本能的に魔術を編む。


「——【ウェントス】ッッ!」


 彼が片手で握る羊刀に刻まれた双竜の意匠が輝きを放ち、魔術が発動する。風が発動する対象は、自分自身。叩きつけるような暴風の力を受け、骨が軋むのを感じながら、ライガンは身体の向きを強引に変えた。

 そのまま風から得た勢いを殺さず、ライガンは洋刀の峰をルージュに向けて叩きつけるように横合いに払った。が、それがルージュに命中する寸前——、ライガンの身体を謎の痺れが襲った。

 単なる〝偶然〟の身体異常と言ってしまえば、それまで。しかし、明らかに都合が〝良すぎる〟痺れが腕を中心に弾け、ライガンは顔をしかめる。剣速が僅かに落ちた。

 身体を逸らすようにして、回避を謀ったルージュは紙一重でライガンの洋刀を鼻先に見送ると、再び身体を起こし、直進する。


「それじゃあねライガン! またきっと会いましょう!」


 楽しげに笑うルージュの背中に、ライガンが叫ぶ。


「テメ゛ェ! 次会った時はタダじゃおかねぇからなッ!」


「楽しみにしているわ!」


 ルージュはクスリと微笑み、目の前に立ち塞がる大勢の警衛騎士団員たちを一瞥すると、両手で抱えていたノワールを正面斜め上方向に向かって投げ飛ばした。


「——ルージュっ‼」


 成すすべもなく宙を舞って、放物線を描き始めるノワールが怒りの声を上げたのもつかの間、ルージュはリールを背負いなおすと、タッと地面を蹴って大きく加速した。

 団員たちによる怒涛の剣撃や体術、魔術の数々を、そよ風に舞う花びらのような動きで踊るように回避し、この狭い通路にひしめき合っている人海の僅かな間隙を縫うように進んでいく。

 結果、ものの数秒で三十人あまりの人の波を突破したルージュは、上から落ちてくるノワールをふんわりと抱き留め、その赤水晶ルビーのような双眸を〝背後こちら〟に向けた。鮮血のような赤い髪が舞い上がる。

 

「あなたたちに望みはあるかしら? きっとあるわよね、だって人間だもの。人は夢見る生き物よ。あなたが欲しい〝幸せ〟を届けましょう。あなたの望む〝夢〟を叶えましょう。お代はお気持ちで結構よ。何かあればこの私たち——【赤い幸せ屋】をご贔屓に」


 パチリと片眼を閉じてふんわり微笑むと、赤い少女は呆然と固まっている彼らを置いて、その場を後にするのだった。

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