黒い少年の奇跡



 ノワールが目覚めた《奇跡》は、〝魔剣〟を現代で〝唯一〟使いこなすチカラである。

 【魔剣の盟友ブラックアームズメイト】——、それが魔力をほとんど持たずに生まれた黒い少年に与えられた《奇跡》であり、そんな彼が振るう刀剣の名は、『魔剣 虚夢うつろゆめ』。

 その性質は、魔力によって創造つくられたモノ、そして魔力を帯びたモノを斬り裂くことに尽きる。


 ノワールは血の巨人が繰り出す豪胆な攻撃を躱し、時に刀で敵の四肢を斬り飛ばし、受け流しながらどうにか無傷で血の巨人の猛攻を凌いでいた。

 チラリとルージュの方を見ると、彼女は肩をすくめて何やら呟いていたが、命がけで血の巨人の攻撃を回避し続けているノワールに、その台詞は聞き取れなかった。

 どうやら本当に手助けしてくれる気配のないルージュに、ノワールは彼女を当てにするのはやめて、血の巨人に向き直る。少なくとも、リールやあの魔術師たちへの被害はルージュが喰い止めてくれるのなら、ノワールは目の前のこの血の化物に集中すればいい訳だ。

——今はコイツをどうにかすることだけ考えよう。ルージュへの文句はその後だ。

 ノワールは上から大槌ハンマーのように振り下ろされた血の拳を、背後に飛んで避け、飛び散って来た血の雫を刀で斬り払う。

 そして、片手で握った刀の切っ先を、こちらに無感動な眼窩を向けて見下ろしてくる血の巨人の額に向ける。ノワールの表情は苦しく、その顔には汗が浮かんでいた。

 一体どうすれば、この血の化物を止めることができるのか。敵の弱点を探るようにノワールは血の巨人を睨みつけ、思考をフル回転させる。

 未だ無傷のノワールに、血の巨人が吠える。顔面の一部に線が走ってパックリと口腔のように開き、その奥に潜む赤黒い闇の底から咆哮が漏れている。大気が震え、ビリビリとした圧がノワールを包み込んだ。

 血の巨人は両手を振り上げ、ノワールの両脇の逃げ道を塞ぐように叩き下ろすと、その頭部を直接ノワールに近づけ始めた。顔面に空いた大穴がノワールを呑み込もうと迫る。そんな血の巨人を見つめ上げながら、ノワールは魔剣を横にズラした。

 血の巨人の首元に斬撃が駆け抜け、ポトリのその頭部が落ちる。その首が床に衝突する前に、またノワールが二度刀を振った。

 どうにか人の頭の形を成していると分かる血塊に十字の線が重なって走り、血の巨人の頭部が四つに分かれて床に叩きつけられる。血が弾け飛び、その内の比較的大きな血の雫が指向性を持って弾丸のようにノワールへ向かう。

 ノワールは地面を蹴って、自分に向かって突き進んでくる血飛沫を回避し、躱しきれないモノは刀で斬り飛ばしながら、血の巨人の横側に回り込む。

 首を失った血の巨人が、無くなった頭部を確かめるように、そこに両手をやりながら蠢いていた。その時、ノワールはある違和感を覚える。

 血の巨人の胸部に穴が空いているのだ。それは、先ほど黒衣の魔術師の一人が放った雷撃が貫いた傷口である。

 腕や足を斬り飛ばされてもすぐに再生する血の巨人が、その部分だけを再生していないことが気にかかった。そして、その部分に視線を巡らせ、あることに気付いた。

 穴が空いている部分のすぐ側に、小さな人影があったのだ。小さな人影と言っても、血の巨人の巨体に比べればという話で、その大きさは一般的な成人男性程度。

 ちょうど血液に呑み込まれたガニアスと同じくらいの大きさだ。

「あれか」

 ノワールはちょうど心臓部の辺り、血の塊の向こうにうっすらと映っている人影を、この血の化物の弱点だと定めた。

 問題は、およそ地上十メートルにあるその場所に、血の巨人の攻撃を掻い潜りながらこの魔剣を届かせることが至難だということ。

 ノワールが自分一人では無理だと感じて、助けを求めるようにルージュたちがいる方向を見やる。黒衣の魔術師たちの表情は、動揺と困惑、そして恐怖。リールはルージュのドレスにしがみついて、触れてはいけない何かに触れてしまった時のような恐怖をその幼い顔に張り付けている。当のルージュ自身は、涼しい顔でノワールを見ている。まるでノワールがこの血の化物を下すと確信して疑ってすらいない表情。

 不意に、彼女の赤水晶ルビーのような瞳が向く先と、ノワールの視線が重なり、見つめ合う。

 不意にノワールの脳裏で再生されるのは、今さっき聞いたルージュの言葉。


『——ノワールなら大丈夫よ』

 

 そんなルージュの台詞と、彼女の赤水晶ルビーのように澄んだ瞳を思い返した途端、ノワールは落ち着きを得た。シンと世界が静けさに包まれ、胸に火傷しそうな熱が広がる。


 ——今なら何でもやれる気がする、と。ノワールはそう思った。

 

「——————————」


 感覚が限界まで研ぎ澄まされたことを自覚し、ノワールは大きく息を吸い込みながら瞼を閉じる。

 左手に漆黒の鞘を顕現させ、そこにス——ッと黒の魔剣を納めた。


 ノワールに魔術は使えない。

 生まれ持った魔力の量は極端に少なく、その僅かを扱う技術すら得られなかったからだ。

 だから魔術で身体の強度を底上げするような周囲の者たちに、大きな後れを取ることになった。

 そんなノワールが、簡潔に言って〝規格外〟なルージュの隣に立つためには、魔剣の《奇跡》だけでは到底足りない。だから、死ぬほど鍛えた。

 本来、人間が理性的に引き出せる力の限界は三割程度と言われているソレを、十割以上に引き出せるように。

 

「——虚限きょげん


 カチリと、ノワールの中で何かが切り替わる。生物として越えてはいけない一線を、足一歩分踏み越えた音。

 ノワールは鞘に収めた黒い魔剣を左腰に据え、タッ——と、地を蹴る。一度の跳躍で五メートル近くにまで浮上するが、まだ目標には届いていない。だから、もう一度——。

 タッ——と〝空〟を蹴り付け、居合い斬りの構えに入る。

 

 静かに目を開けると、正面には血に染まった巨人の胸部。そこに黒い人影が映っている。

 血の巨人の腕が、迎撃するようにノワールに向かって動いているが、その速さに追いついていない。

 

 ————一閃。


 音もなく抜かれた魔剣が、刹那の速さで対象を斬り裂いた。血の巨人の胸部、その黒い人影の首に線が走り、両断される。

 瞬間、鼓膜を劈くような声にならない悲鳴めいた雑音が響いた。


「———————————ッッ゛ッ゛ッ゛ゥ゛゛ゥ」

 

 ドロドロと血の巨人が形を失い溶けていく様を空中で確認しながら、ノワールは地面に向かって落下する。



 ◇◆◇◆



「ね、ねぇ、ルージュ……」

「なぁに、リール」

「今の言葉って、どういう意味……?」

 ノワールが血に染まった巨人と対峙し、大立ち回りを演じている傍ら、それを離れた位置から眺めているルージュに、彼女のドレスにしがみついているリールは尋ねた。

 リールが言っているのは、たった今ルージュがノワールに視線を向けて発した台詞——、


『この世で私をまともに殺せる可能性があるのは、あなたくらいしかいないんだから』


 ——についてだ。

「あら、聞いていたのね」

 ルージュは特に動揺した様子もなくそう言うと、「うーん」と一瞬ばかり考える素振りを見せてから、今なお戦闘を続けているノワールを見ながら口を開く。

「リールは、私の《奇跡》が何か、知っているかしら?」

「え……、無限の魔力……なんじゃ、ないの……?」

 リールがルージュと会った時、そう聞いた。実際に、ルージュの血に内包される魔力量が〝異常〟であることは、吸血鬼であるリール自身が確認している。

「そう、正解よ。ちゃんと覚えていてえらいわ、リール。でもね、それだけじゃないの」

「へ——?」

「ついさっき確認したでしょう。私には、直接的な魔術や《奇跡》が作用しないっていう〝異常〟もあるって」

「じゃ、じゃあ、それも……《奇跡》って、こと? 二つも、奇跡を持ってるの……?」

 リールには信じられなかった。《奇跡》を二つも持つ人間なんて、聞いたことが無い。選ばれし者が、たった一つ与えられる特殊なチカラ——それが《奇跡》だ。

「いいえ、二つ持っている訳じゃないわ。確かにその二つは私の《奇跡》だけど、もっと言えば私の《奇跡》の副次的な産物でしかないの」

 ただでさえ異常な《奇跡》の中でも、さらに異常。ルージュはそんなものすらも、大したことがないと言っているようにリールは聞こえた。

 リールは震える身体を押さえつけるようにしながら、ルージュを見た。まるでこの場所だけ、時空が歪んでいるような感覚があった。

 時空の狭間の向こうで、ノワールが血の巨人と戦っている。しかし——ついさっきまで、末恐ろしいと思っていたその血の化物すら、今目の前にいるルージュに比べたら、ちっぽけなモノに映る。

 リールはついさっきルージュが言っていた言葉を思い出す。


『だって、コレは私の血液から生まれたのよ? 厄介に決まってるじゃない。いくら私の血を取り込んだだけの劣化品とは言え、この完璧な私——〝ルージュ〟の劣化品。完全に制圧するのは面倒極まりないわ』


「ルージュの……本当の《奇跡》って……何?」

 

 リールの口から、その疑問がこぼれ落ちた。聞いてはいけないと本能が叫んでいたが、ふとこぼれ落ちた。

 こぼれ落ちたそれを、リールは必死に誤魔化そうとするも、クスリと笑ったルージュの声に、唇が凍り付き言葉が出なくなる。


「——【夢と世界の中心ルージュ・エクス・マキナ】、そんな風な名前を付けて貰っているわ。中々素敵な名前でしょう?」


 ルージュは楽しげな口調で、歌うように台詞を紡いだ。

 途端、リールの脳裏に過ぎるのは、ルージュを探してここに来る前、暗がりの通路でノワールと交わしたいくつかの言葉。


『ね、ねぇ……、ルージュって、なにもの、なの……?』

『世界の中心、ですかね』

『ど、どういうこと……?』

『要するに、偶然や巡り合わせはルージュにとって必然で、この世の流れはルージュにとって〝都合が良い〟方に流れるんです』


「————」


 それが一体どういう《奇跡》なのか。詳細をルージュに尋ねることはできなかった。


「でもね、ノワールだけは、〝虚構と現実の狭間〟にいるノワールだけは、この世界で〝唯一〟私にかけられた〝魔法〟を無視して〝剣〟を振るえるの。ノワールが持っているのは、そういう《奇跡》」


 ルージュは涼しい顔で、血の巨人と相対して、黒い鞘に剣を納めながら眼を閉じているノワールを見ている。


「だから〝もし〟、〝仮に〟の話よ? 私が〝あなたたち〟の敵に回った時、私を殺すことができるのは、ノワールしかいないって話。ただ、それだけの話よ」


 ルージュがそう言った次の瞬間、一筋の閃光のような黒い剣撃が瞬いて、血の巨人が両断された。



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