夢と世界の中心



 隠し扉の先にあったのは、地下に掘られたと思われる細長い通路だった。薄暗がりの中で、ノワールとリールは一歩一歩慎重に進む。差し込む光はほとんどなく、並みの人間であれば視界の確保は難しかっただろう。しかし、夜眼を効かせる訓練をしているノワールと、夜闇を生きる吸血鬼であるリールの瞳は、この細く長く続く通路の様相をハッキリと捉えていた。

 通路の床や壁は、この通路を塞いでいた隠し扉と同じ金属で作られているようで、もしここで何かが起こっても、壁や天井に穴を空けて逃げるのは厳しいと分かる。

金属製の床をカツン、カツンと靴が叩くだけの軽い音が静かに響く。生き物の気配はなく、空気は冷たい。まるで別次元に入り込み、二度と戻れなくなってしまったような錯覚をした。

 この異様な雰囲気に耐えかねたのか、ノワールの背中に張り付いているリールが声を上げる。

「ね、ねぇ……、ルージュって、なにもの、なの……?」

 ノワールはリールの問いかけを受けても、しばらく無言で歩き続ける。歩きながら、なんと言うべきか悩んだ後、ためらいがちに言った。

「〝世界の中心〟、ですかね」

「ど、どういうこと……?」

「要するに、偶然や巡り合わせはルージュにとって必然で、この世の流れはルージュにとって都合が良い方に流れるんです」

 例えば、個人の物語セカイはその個人を中心にして回っている。しかし、その個人の中心は、決して世界の中心では無い。個人は個人でしかなく、人の数だけ物語セカイはある。しかし、ルージュに限って言えば、そうではない。

彼女にとっての物語セカイはこの世界そのものであり——、〝彼女〟はこの世界で〝唯一〟、その中心に位置する存在であると、つまりはそういうことだ。

「……?」

 増々訳が分からなくなったというように、首を傾げるリール。後ろに振り返ってそんなリールを見たノワールは、少し申し訳なさそうな表情を浮かべる。

——ちょっと意地悪な説明だったかな……。

 しかし、ルージュと知り合って二年が経つノワールでさえ、未だルージュと言う少女を掴み切れていないのだ。

 どのように説明しても、この感覚は実際にルージュの側に居て、共に時間を過ごさない限り分かってもらえないだろう。

 納得いかない様子のリールが、再び口を開け何かを訪ねようとするが、ノワールはその口を静かに塞ぐ。

 通路の先に、今までとは違う変化が見られたからだ。ずっと光がほとんど無い薄暗がりだった空間に、淡い光が差している。この細く長い通路の出口かもしれない。

 一瞬もごもごと口を動かしていたリールも、その異変に気付いてハッと黙り込む。

 ノワールは虚空から魔剣を引き抜いて、限界まで気配を殺しながら、光が差している方へ向かう。

 そこに近付くにつれ、通路の先にポッカリと穴が空いていることが分かった。

 不意に、ノワールの耳に聞きなれた声が届く。


「さて————、」



◇◆◇◆



 ぽっかりと開いたドーム状の空間があった。

空間の端には、ズラリと寝台が並べられ、その上に寝かされているのはギリギリ人の形を保っていると判断できる赤々しい肉体。目も鼻も口もなく、ただ〝人型〟の肉塊が十数ほど並んでいた。

一方、空間の中央には、大の大人が何十人も余裕で収まりそうな巨大な透明ボトルが設置されている。チカチカと点滅する光を放っている機械が複雑に入り組みながらそれを取り囲み、かすかな機械音を立てながら、ボトルに繋がれたチューブに血液が流れる。チューブを流れる血液は、ボトルの中に注がれ、少しずつ血液の水位が上がっている様子が見られる。

血液が流れてくるチューブの元を辿ると、一人の少女の首元に太い針が突き刺さっているのが確かめられる。

鮮血のように明るく鮮やかな赤い髪、美の神に愛されたとしか思えない完成された容貌となめらかな肢体、赤水晶ルビーを想起させる輝いた瞳。口元に薄い笑みを湛えた一人の少女が、はりつけにされていた。

両手と両足を厳重に拘束され、絢爛な赤いドレスは所々破れてほつれ、血に汚れている。そんな無残な姿になってなお、少女の表情に恐怖や不安の色は一切無く、むしろこの状況を楽しんでいるようである。


「随分と楽しそうですね、ルージュ様」


 一人の少女の声が響いた。口調は軽く、一見余裕が見られるが、声音の裏に潜んだ目の前の異様な赤い少女に対する困惑が隠しきれていない。

磔にされた赤い少女の正面に立っているのは、上品な魔術師用のローブを身に纏い、薄桃色のショートヘアーが特徴的な少女——リリアーナだ。彼女は冷淡な瞳で赤い少女を見据え、その背後には、一様に黒いローブを着てフードを目深に被った人物が、おおよそ二十人ズラリと並んでいた。

磔にされ、大勢の視線を一身に浴びる赤い少女——ルージュは、目の前にいる彼女らを軽く見渡してから、くすくすと笑う。

「えぇ、とても楽しいわ。両手両足をしっかり縛られて、動けなくなった私にこんなたくさんの熱い視線が集まってるんですもの。まったく人気者はつらいわね、って感じよ」

 まるで動じることなく、世間話でもするような気軽さで言うルージュ。その間にも、彼女の首筋に刺さった針を通してドクドクと血液が抜かれおり、チューブを通りボトルに注がれている。

 毛の先ほども危機感を感じていない様子のルージュに、リリアーナの頬がわずかに引きつる。しかし彼女は一度目を瞑って、不遜な笑みを浮かべると、威圧的な視線をルージュに飛ばす。

「強がりもここまで来ると評価したいものですね。よもやルージュ様、あなたともあろうお方が、自分の置かれた状況を理解できていないという訳でもないでしょう」

「あら、当たり前じゃない。私は身動きが取れなくて、魔術も封じられていて、体からどんどん血を抜かれている。このままだと、何もできないまま死んでしまうわ」

「なら、なぜそのような虚勢を? 理解しかねます」

「なぜでしょうね。けれど不思議なことに、まるで死ぬ気がしないのよ。私がこんなつまらないところで死ぬはずがないもの。そう思わない?」

「……」

 強がりや虚勢ではない。ルージュの口調と態度は、本気で自分が死ぬはずがないと確信している者のそれだった。その異様さに充てられ、リリアーナは口を噤む。

 その時、カツンカツンと床を鳴らす音と共に、近づいて来る人影があった。鋭い眼が特徴的な四十代ほどの長身男性。この街アムレートを所有する主である高位魔術師——街主のガニアスである。

「その通りさ、ルージュ。だって、君を殺すつもりはないからね。君は、私のためにここで永遠にその〝赤い血〟を創造つくり続けるのだから。そうだろう? ルージュ。さて、調子はどうかな」

 まるで散歩中に出会った知人に声をかけるような調子で、ガニアスはルージュに声をかけた。

「あらガニアス、調子はまずまずよ。それにしても、こうして合うのは最初に顔を合わせた時以来かしら?」

 ルージュもまた、いきなり現れたガニアスに特に驚いた様子もなく、極めて自然体に言葉を返した。

「そうだね、ノワールとは昨夜少し言葉を交わしたが、君とは直接依頼をお願いした時から会っていなかった。今彼はいないようだが、どうしているのかな」

「私にそれを聞くのは趣味が悪いわね。ノワールがどうなったかは、そこにいる優秀な彼女から聞いているんじゃないの?」

 ルージュがそう言うと、ガニアスは僅かに口端を持ち上げ、隣にいるリリアーナを横目に見てから、正面のルージュに視線を戻す。

「あぁ、そうだ。聞いている。ノワールはリリアが始末した、と。残念なことだよ。彼は極めて稀な『奇跡者アクシスタ』であるようだったのに、実に勿体ない。しかし、だ。それも、周到に君を手に入れるためには仕方なかったと思うよ。いくらリリアと言えど、ノワールと君を同時に相手にするのは、厳しかっただろうからね」

「それで? こうしてあなたは私を捕まえることに成功した訳だけれど、一体何を企んでいるのかしら?」

 するとガニアスは口元に笑みを刻み、大仰に両手を広げながら興奮した様子で言う。

「決まっているじゃないか! ルージュ、君も言っていただろう。〝魔法〟のためだ! この世の全てを越える絶対的な〝魔法〟を創造つくり上げるために、〝無限の魔力〟を持つという君の存在がどうしても必要だった!」

「あら記憶違いかしら。あなたと最初に話した時、あなたはまだ〝魔法〟には遠く及んでいない、と言っていたような気がするのだけれど」

「記憶違いではないさ、確かにそう言った。あの時点では、確かに私はまだまだ遠く及んでいなかった。だが、君を手に入れた今の私は、世界で最も〝魔法〟に近いと言っていいだろうね」

「大した自信ね?」

「あぁそうさ。自信はある。既に〝魔法〟に至るまでの完璧な理論は組み立ててあった。しかしながら、その理論を実行するためには無限に等しいエネルギーが必要だった。普通ならそこで断念したことだろう。でもね、それに気づいても私が絶望しなかったのは、君の存在を知っていたからだよ。無限の魔力を有する君の血液さえあれば、私の〝魔法〟は完成する!」

「つまり、最初から私が目的だったのね?」

「そうさ、そうだよルージュ! 君をこの街に呼んだのは、初めから君を手に入れることが目的だった。その為に色々画策した。こうして上手く行ってホッとしているよ」

「そう、それはよかったわね。でも、そんな上機嫌なあなたに一つ忠告してあげる。ヒトってね、勝利を確信している時が一番足を掬われやすいのよ?」

「はっはっはっ! 忠告痛み入るよ! だがもう君になすすべはない! もしや君の大事なお付き、ノワールが助けに来るのを期待しているのかもしれないが、彼が生き延びていたとしても、短時間でここにやって来るのは不可能だ! そして君の血さえ手に入れば、私は〝魔法〟を手に入れる! そうなればもう! 私に敵う者はいない! 私が世界の頂点! 私が絶対だ! この状況で、他に何を警戒すればいいだろうか」

 ギラギラと熱の籠った瞳でガニアスがルージュを見る。ルージュはその赤水晶ルビーのような双眸をガニアスに返すと、口元に楽しくてたまらないという笑みを湛えて言った。

「そう、あなたがそう思うなら好きにすればいいわ。でもガニアス、一度あなたの依頼を受けた以上、私はどんな手を使ってもその依頼を成し遂げるつもりよ。この意味が分かる?」

 ルージュのその言葉に、ガニアスが一瞬困惑の色を覗かせる。

「何を、言っている……?」

「あなた、私に依頼をしたでしょう? この街で起こってる怪事件を解決して欲しい、って。そこにどんな意図があったとは言え、依頼は依頼よ。だから私は『幸せ屋』として、クライアントの望みを叶えないといけない。待たせて悪かったわね」


 ルージュはその血のように赤い口元に深い笑みを刻むと、言う。


「——さて、〝フィナーレ〟と行きましょうか」


 その瞬間、一陣の風が吹いた。


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