リールの奇跡



 人気のない夜の街並みをリールが駆けて、その後にノワールが続く。風を切るような速さ。並みの人物では、走る二人をまともに捉えることすらできないだろう。

 リールが向かう先は、どんどんと街主ガニアスの屋敷に近づいて行き、ふとその途中でリールが鼻を押さえて立ち止まった。

「うっ……」

 リールが両手で鼻を覆いながら顔をしかめているのを見て、同じように立ち止まったノワールが首を傾げる。

「リール、どうしました?」

「に、においが……」

「におい?」

「る、ルージュの血の、においが……する……」

 鼻を押さえつけたまま甲高い声で言ったリールに、ノワールは尋ねる。

「そのにおいがどこから来てるのか分かりますか?」

「う、うん……、こっち……」

 涙目になりながらそう言ったリールは、ノワールを案内するように脇道に入って、開けた通りに跳び出した。

 ガニアスの屋敷の正面入り口にも繋がる通りである。

 その道の中央付近に、小さな血だまりがあるのを見て、リールが息を呑んだ。

「こ、これ……」

 ノワールの服の裾を握りしめて、震え声を発するリール。

「これがルージュの血、ということですか?」

「う、う、ん……、こんなに〝濃い血〟……、ルージュの血だと、思う」

 ノワールは血だまりの側にしゃがみ込んで、指先で血をすくう。さらさらとした液状の血。まだこの血だまりができて、そう時間は経っていないとノワールは悟る。

 よく見ると、その血だまりから少し離れた所にも同じように血の跡があり、屋敷に向かうようにして点々と赤い血液が続いていた。

 それを見て、リールが何かに気付いたように、ノワールを見た。

「どうしました? リール」

 しかし、何か言いたげな表情をしたリールは一瞬何かを言いかけた後、ふるふると首を振ると、おそらく言いかけた何かとは別の事をノワールに問う。

「ね、ねぇ……ノワール、る、ルージュ、大丈夫……かな」

 青ざめたリールの不安が滲んだ声によって、ノワールは立ち上がる。そして、プルプル震えているリールを見下ろし、一つ確かめるように言った。

「一つ確認したいのですが、リールが最後にルージュを見た時点で、彼女は怪我らしい怪我を負っていましたか?」

「う……ううん、そんなことは、ないと、思う……。リールが、捕まるまで、ルージュは全然苦戦、してなかったから……」

「なるほど」

 リールの話のだと、ルージュはその後、素直に拘束を受け入れたはずだ。だとするとこの血は、ルージュの故意によるものか?

 そこまで思考を進めてから、ノワールは安心させるようにリールに笑いかける。

「——大丈夫ですよ。この程度の血の量なら大した怪我は負ってないないでしょうし、話を聞く分に彼らにルージュを殺すつもりはないようです。それに……、」

「そ、それに?」

「そんな簡単にルージュを殺せたら、苦労はしませんよ」

 どこか諦観の入り混じった苦笑を漏らすノワールを見て、リールは不思議そうに首を傾げるのだった。


◇◆◇◆


 ノワールとリールは十分な警戒を払いながら、血だまりから続く血の跡を追って屋敷に入る。屋敷の敷地内に入る辺りの所で、血の跡は無くなっていた。そして、いつもなら常駐しているはずの門番もいなかった。

 所々に感じる異変にノワールは気を引き締めて、荘厳な雰囲気を醸す両開きの扉を押し開けて、屋敷の中に入る。

 屋敷の中は特に変わった様子もなく、朝ノワールが見た時と何も変わらない。

 リールを背後に置いて、ノワールは屋敷の中の気配を探る。リリアーナが敵であると分かった以上、屋敷の中に罠が張ってあってもおかしくない。昨夜の襲撃の事もある。十全に警戒してしかるべきである。

 しかし気になるのが、昨夜の襲撃者は、明らかにルージュを殺すつもりだったという点だ。一方で、リリアーナはあくまでルージュの〝拘束〟に拘っている。

 それにもし昨日の襲撃者が、魔術師にして『奇跡者アクシスタ』であるリリアーナなら、あんな成功する確率の低いナイフの投擲という手段を使うことに違和感がある。

 ——昨日、僕たちの部屋に来たのは、誰だ……?

 ふとその時、廊下を走り、ノワールの元へ接近する気配があった。

 それを感じ取ったノワールは、虚空から魔剣を引き抜くと、近づいて来る人影に切っ先を向ける。

「——っ」

 パタパタとした足音を鳴らしながらノワールの前に現れたのは、屋敷内でルージュやノワールの世話係を担当してくれていた犬耳メイド少女、サラであった。

「サラ……?」

「ひゃぁぁっっ!?!?」

 廊下の角を曲がって、顔を出した途端、目の前に刀剣の切っ先を突き付けられたサラは、絹を裂いたような悲鳴を上げて跳び上がり、両手を上げながらヘナヘナとその場に座り込む。

「ご、ごごごごめんさいい……っ、わ、わたし、なっ、ななななにか至らなかったでしょうかぁぁ‼ ぁぁぁああっ」

 瞳に目一杯涙を浮かべながら声を震わせているサラを見て、ノワールは刀を下ろした。

「すみません、サラ。敵の可能性があったものですから」

「へ……?」

 ポカンとした表情を浮かべるサラ。イマイチ状況を理解できていないという様子だ。

「敵……? こ、この屋敷に侵入者が出た……ということでしょうか」

 未だ上げたままの手を下ろすのも忘れて、サラが震え声で言う。

 そんなサラの顔をノワールはジッと見つめる。目と目が合い、数秒の沈黙。やがて耐え切れなくなったかのように顔を赤くしたサラが視線を逸らした所で、ノワールはサラに向ける警戒を解いた。

——ウソをついてるわけではなさそうだな。

 そしてこの様子だと、屋敷で明らかな異変が起こっているという訳でもないらしい。

「サラ、一つお願いをしても良いでしょうか」

「は、はい……」

 戸惑い交じりに返事をするサラ。

「今、携帯はもってますか?」

「はい、ここに……」

 そう言って、サラはエプロンドレスのポケットからスマホを取り出す。

「では、それで警衛を呼んでください」

「け、警衛……ですか? この屋敷に……?」

「ええ、できればライガンという人物に繋いで、ルージュの名前を出せばきっと文句を言いながらも来てくれる筈です。その後は、なるべく自分が安全と思う部屋にこもって避難しておいてください」

「え、ええと、申し訳ありません。わたし、よく意味が……」

 困惑した様子のサラ。そんなサラの瞳を見つめて、ノワールは言う。

「まあ必要ないかもしれませんが、念のためです。とにかく、お願いします」

「わ、わかりました」

 ノワールの強い意思を感じ取ったのか、それ以上聞き返すことなくサラは首肯し、スマホを持って番号を打ち込み始める。

 それを見て、ノワールは「ありがとうございます」とサラに礼を言って、リールに声をかける。

「においでルージュの居場所を探れますか?」

「で、できると思う。ルージュの血は、濃いから……」

「それじゃあ、お願いします」

「う、うん、こっち」

 リールは数秒目を瞑って鼻先をひくつかせると、瞼を開きノワールを先導する。

 確信めいた足取りで屋敷内を駆けるリールと、それに続くノワール。時折すれ違う屋敷内の使用人たちが、そんなノワールたちに胡乱げな視線を向ける。中にはノワールたちを引き留めようとする者もいたが、その時には既に、ノワールとリールはその場を過ぎ去っている。

 そんな調子で屋敷内を駆け、やがてリールは屋敷一階の隅にある小さな部屋の前で立ち止まった。

「こ、この中から……ルージュのにおいが、する……」

「ありがとうございます、リール」

 ノワールはリールを扉の前から一歩引かせると、自分が扉の前に立ち、ドアノブに手を掛けた。

 ドアノブは特に抵抗もなく捻ることができ、どうやら鍵はかかっていないらしい。ゆっくりとドアを開け、ノワールは部屋の中の様子をうかがう。

 見た所、中は物置のための空間の様で、使い古された調度品や家具などが所せましと置かれていた。人の気配はない。

「だ、だれも、いないの……?」

 リールはノワールの陰に隠れるようにして、首を伸ばし部屋の様子をうかがう。

「みたいですね」

 ノワールが部屋の中に足を踏み入れ、リールもノワールの背中にしがみつきながら恐る恐ると中に入る。

 ふとその時、リールが何かに気付いたように声を上げた。

「あっ」

「どうしました?」

「あ、あれ」

 リールが指差す先を見てみると、そこには大人四人は優に座れそうな大きなソファが無造作に置かれていた。さらにそのソファに注目すると、端のあたりに血の跡が付いている。

 ノワールがそっと血跡に触れると、指先に血液が付着する。まだ乾き切っていない。

「ここか……」

 ノワールはある種の確信を得ると、ソファを押すようにしてその場から退かした。すると、ちょうどソファがあった場所の真下に、金属製の隠し扉が現れる。

 取っ手に手を掛けてノワールは全力でその扉を引くが、ピクリとも動かない。

「——っ……」

「か、鍵がかかってるの……?」

「そのようです。リール、少し下がっててください」

「え、え、な、なにするの」

 ノワールはリールを手で制し、虚空から魔剣を抜き放つ。

「斬り開けます」

 そう言って、ノワールが刀剣を振った。一閃が瞬き、金属がこすれ合う甲高い音が響いて火花が散った。

 しかし、床の上にある隠し扉には浅い太刀筋が刻まれただけで、両断には程遠い。

「……ただの金属じゃないですね。それに、魔術で封じられているという訳でもなさそうです」

 魔術で封じられた扉なら、ノワールの魔剣で斬り裂けないはずがない。ノワールは眉をひそめ、苦しい表情を浮かべる。

——さて、どうしようか……。

 どうやってここを通ろうかと、難しい顔で扉を見下ろしていたノワールの袖を、リールが控えめに引く。

「ね、ねえ、これなら、リール、開けられるかもしれない」

「……ほんとですか?」

 ノワールがそう訊き返すと、リールはコクリと頷く。

「り、リールは、『奇跡者アクシスタ』だから、《奇跡》が使えるの」

 ノワールは、リールと最初に相対した時、彼女が特殊な力——《奇跡》を使ってきたことを思い出す。

 ノワールが受けた小さな切り傷を、手も触れずに大きく開いた能力。

「【亜咲ブルームベータ】、そ、それが、リールの《奇跡チカラ》。一度〝咲いた〟ことがあるものを、〝もう一度咲かせる〟奇跡……」

 そう言って、リールは扉の上に手を乗せると、こう呟く。

「——《咲け《ブルーム》》」

 その瞬間、弾けるような勢いでひとりでに扉が持ち上がった。

「ひゃぁっ!?」

 扉を覗き込むようにしていたリールが悲鳴を上げてひっくり返る。それを見ていたノワールは感心めいた吐息を漏らすと、リールの手を引いて立ち上がらせた。

「大丈夫ですか?」

「う、うん……びっくりしたけど、だ、大丈夫……」

 ノワールはリールの奇跡によって開かれた扉の先に広がる暗闇をジッと見つめる。

「リールの《奇跡》、すごいですね」

「そ、そう、かな……、えへ、へ」

 照れたようにはにかむリール。

《奇跡》というのは、この世の万物に適応される絶対不変の命令に近しい。例えば、同じ《奇跡》で封じられたものでない限り、リールはその全てを〝咲かせる〟ことが出来る。

《奇跡》は押し並べて常軌を逸したチカラであり、『奇跡者アクシスタ』である限り並みの人生を送ることは叶わない。

《奇跡》というのは、そういう類いのものだ。

 ノワールはリールに視線を向ける。

「僕はルージュを助けないといけないのでこの先に行きますが、リールはどうします?」

「え? ど、どういうこと……?」

「この先に行けば、何が起きるか分かりません。リールの命の保証もできません。まだ、ここに居た方が安全だと思います、と言う話です」

 リールの目を見て、淡々とした口調で告げるノワール。リールは一瞬迷うような素振りを見せたが、ぎゅっとノワールの服の裾を握りしめた。

「ひ、ひとりはもういや、リールも、行く……」

 ノワールを上目に見つめるリール。それを聞いたノワールは口元に小さく穏やかな笑みを浮かべると、言った。

「それじゃあ、一緒に行きましょう。僕の側から離れないようにしてくださいね」

「う、うんっ」

 コクコクと頷いて、リールはノワールの背中に張り付く。

「そこまでくっつかなくてもいいですよ」

 強く密着して離れようとしないリールに微苦笑を漏らしつつも、ノワールは開いた扉の向こうに続く薄暗がりに視線を落とし、ゆっくりとその先に足を踏み入れた。


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