これでも付き合いは長い
「……っぅ」
ノワールは頭に痛みを感じながら目を覚ます。どうやら気を失っていたらしい。
ノワールは自分の身体を覆い隠すようにして圧し掛かっていた瓦礫を退けて、立ち上がる。服は至る箇所が焼け焦げ破れ、随分とみすぼらしくなっている。服に付いた埃や砂片を払ってから、ポケットに入っているスマホを取り出す。が、電源を入れようとしても、画面は真っ暗のまま変わらない。
「壊れたか……」
まぁあれだけの衝撃を受けたのだから仕方ない。ノワールは壊れたスマホをポケットに戻すと、正面の壁に視線を向ける。目の前の壁には大きく派手に穴を空けるように破壊されていた。そしてその穴の先に見える通路沿いの壁にも同じような風穴が空いている。質量のある物体が衝突し、崩れ壊れたような穿孔だ。
さらにその穴の先には、入り口周辺が溶けたように破壊され壁が無くなっており、内装が晒されている部屋があった。真っ白な石タイルが敷き詰められた、広々とした何もない空間。ノワールとリリアーナが戦闘を行っていた部屋である。
リリアーナが放った灼熱の火炎魔術を喰らう瀬戸際、ノワールは焦っていなかった。ただでさえ魔術に耐性がほとんどないノワールがあの強烈な魔術を直撃すれば死ぬことは間違いなかった。
それでも、ノワールは落ち着いていた。こんなもの、ルージュとの修行に比べれば訳もないと、そう思っていた。ルージュと出会ってからの一年の間、彼女との修行では何度死にかけたか数えきれない。これより危ない場面などいくらでもあった。むしろルージュの方が危ない。
ノワールは燃え盛る火炎が迫る直前、その大きな炎で自分の身体がリリアーナの死角に入った刹那に行動を始めた。まず眼前いっぱいに広がる炎を魔剣で斬り裂き、コンマ数秒、直撃までの猶予を伸ばした。その間隙を縫ってノワールは背後、入り口を厚く塞いでいた魔術壁を両断したのだ。
魔力によって
そうして、斬り裂きこじ開けた穴を抜け、さらに続く二枚の扉を両断してから通路に飛び出した——そのタイミングで、火炎魔術が膨れ上がり爆発したのだった。
何とか炎の直撃は避けたノワールだったが、魔術の余波は予想以上に大きかった。落ち着き払って最善の対応をしたつもりだったが、まだ足りなかったらしい。それだけリリアーナのチカラが常軌を逸していたとも言えるし、ノワールにも慢心があったと言える。
結果的に、ノワールは壁越しに爆風を受けて弾き飛ばされ、二枚の壁をぶち抜いた所で瓦礫に埋もれて気絶していたという訳だ。
瓦礫が散らばっている地帯から抜け出そうと足を踏み出した所で、ノワールは目の前であんぐり口を開けて目を丸くしている女性と目が合った。見た所、この魔術大学の学生である。見るも無残なこの現場でボロボロの服を着ているノワールは、どうみても不審だった。しかし、事態は一刻を争う。
ノワールは石のように固まっている女性に「すみせん、急いでいるので」と一言声を掛けてから、その隣を通り過ぎる。そして次第に歩みを速めて駆け出して、この建物の外に飛び出す。
既に太陽は沈み始め、空は夕焼け色に染まっている。どうやらそれなりに長い間気を失っていたらしい。
リリアーナはルージュが本当の目的であるような事を言っていた。一体、ルージュに何を仕掛けようとしているのかは分からないが、早く知らせた方がいいだろう。そう思って、ノワールは乗って来た車を停めた場所に向かったのだが、車は修復不可能なまでに破壊されていた。
「まいったな……借りてる奴なのに」
誰の仕業であるかは大方想像がつく。ノワールが邪魔者だと言っていたリリアーナが、万が一ノワールが逃げ出した時のために予め壊しておいたのだろう。
思えば、ずっと後をつけられていたのだと思う。リリアーナの《奇跡》を利用すれば、尾行も、偶然遭遇した風を装うことも容易いだろう。おそらくノワールが一人で行動を始めた時から狙われていたのだ。
まぁしかし、あのルージュが誰かに殺されるという事はあり得ないので、思い直せばそこまで急ぐ事態でもない。
ということで、ノワールは軽く走って屋敷まで戻ることにした。
日も落ち始めたせいか、街中から人の気配が消えている。聞けばここ二日の間、魔術師が異様な殺され方をするという事件は起こっていないらしいが、それでも犯人が捕まらない限り街人にとっては脅威に違いないのだろう。
夜風を受け、足を前に進めながらノワールは考える、リリアーナという少女のことを。
リリアーナは《奇跡》を持っていた。それも転移系の能力を使える『
それなら、街で起こっていた血と心臓を全て抜かれる怪事件を起こしていたのは彼女ということか……?
転移系の《奇跡》なんて代物を有している人物がそう何人もいるとは思えないし、彼女ほどの実力があればそれも可能かもしれない。
が、違和感は拭い切れない。いくらどんなに飛び抜けた実力を持つ魔術師でも、同じ魔術師を一切抵抗の痕跡を残すことなく殺すことが、そう何度も可能なのか。
そもそもリリアーナが事件の犯人だったとして、何が目的なのか。
彼女は世界を変える魔術——〝魔法〟を望んでいると言っていた。そのための実験材料として、わざわざ魔術師をあんな目立つ形で殺したのか……? イマイチ得心がいかない。
いや待て、リリアーナの言葉から察するに、彼女の本当の目的がルージュにあるのは間違いないだろう。だとすれば——、
ノワールが思考をぐるぐると回して、彼女の真意を推察していると、正面から物凄い速さで何かがやってくるのが分かった。
「なんだ……?」
音速に迫り、風を切り裂いていくようなスピード。段々とこちらに近づいて来るその小さな人影が、吸血鬼の少女リールであると気付いた時には、ノワールの腹にリールの頭が突き刺さっていた。
「——ッッゥ!?」
まるで大砲のような勢いで突進されて、押しつぶされたノワールの肺から空気が漏れる。弾けるような衝撃と激痛。並みの人間であればこの一撃で背骨が折れてもおかしくない。
勢いに押され後ろにひっくり返ったノワールはどうか受け身の体勢をとりながら、地面を滑るように転がる。その腹にリールがしがみついて、わんわんと泣きじゃくっている。
「うわぁぁぁあんっ! ぁぁぁっ! る、ルー、ジュが! ルージュが! うわあぁぁぁああああん!」
「ルージュが、ルージュが」と繰り返しながら大泣きするリールに、地面の上を転がって砂埃まみれになったノワールはゲホゲホとせき込んで呼吸を整えながら、冷静に声を掛ける。
「落ち着いて、リール」
鼻水と涙でノワールの服をベトベトにしているリールの顔を両手で挟むようにして持ち上げ、無理やり目を合わせる。
「大丈夫だから」
そんなノワールの顔を見て、リールがグスッと鼻を鳴らす。少し落ち着いた様子のリールを見て、ノワールは小さく微笑むと、改めて口を開く。
「ルージュがどうしたんですか?」
リールは泣き腫らした目をノワールに向け、震える声で話し始める。
「る、ルージュが……ね、リールをかばって……、つ、連れて行かれちゃったの……」
「連れて行かれた……?」
「う、うん……」
リールが頷き、ぐすぐすと洟をすする。
にわかには信じがたいと、ノワールは思った。
あのルージュが、例えリールをかばった結果とはいえ、そう簡単に『連れて行かれる』なんて事態が起こるはずがない。
「もう少し詳しく聞いてもいいですか?」
落ち着かせるようにリールの頭を撫でながら、ノワールが言う。リールはコクリと頷くと、何度か大きく深呼吸しながら何があったのかを話し始めた。
リール曰く、彼女はルージュと一緒にノワールを探すために屋敷を出たらしい。その途中で現れたのが、リリアーナという少女を筆頭にした約二十人の魔術師。
その魔術師たちはルージュを拘束しようとした、と。
しかし、ルージュはそれだけ多くの敵を前にしても一切怯むことなく、悠々と立ちまわった。魔術による怒涛の集中砲火を、嵐のような連撃を、ルージュは踊るように躱し、呼吸でもするようにあっさりと、流れるように敵の意識を刈り取っていった。
が、その最中、劣勢だと判断した魔術師たちがリールを人質に取り、ルージュの動きを封じたのだ。
そこでルージュが魔術師たちに提案する。「リールを開放するなら、私は大人しくするわ」と。
圧倒的な数の優位があったにも関わらず、ルージュに苦戦を強いられたリリアーナをはじめとする魔術師たちは、それを受け入れた。ルージュの身さえ拘束できるのなら、吸血鬼の子供一人の存在はどうでもいいと、要求通りにリールを開放した。その時、ルージュはリールに向けてこう言った。
「ノワールの所に行きなさい」
魔術師たちの突然の襲来で命の危機まで感じて混乱していたリールは、ルージュのその言葉に押し出されるようにしてその場から逃げ出した。
そして、それに縋るようにノワールの〝におい〟を感じ取り——、
「それで、僕の所に来たんですね」
「う、うん……」
涙を瞳に溜めて、洟をすすりながらリールが語った内容を受け、ノワールは難しい表情を浮かべる。
どうにも違和感がぬぐい切れなかった。あのルージュが人質を取られた程度で、負けを認めるにも等しい提案をするなど考えられない。
だとすれば——、
「よし、分かりました。それではとりあえずルージュの所に行きましょうか」
地面の上に座り込んでいたノワールがリールをだっこしながら立ち上がって、リールを立たせる。
「で、でも、ルージュがどこに連れて行かれたのか、リール、知らない……」
気弱に、負い目を感じるように細々と言ったリールの頭に手を置いて、ノワールは言う。
「大丈夫ですよ。リールは、ルージュと別れた場所に案内してください。きっと、そこにいけば何か分かるので」
「そ、そうなの……? なんでわかるの……?」
不安げにノワールを見上げるリールを見て、ノワールは苦笑する。
「これでもルージュとの付き合いは長いので」
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