ノワールvs・・・
ノワールの背中に、目には見ない重い力が圧し掛かっていた。その凄まじい重量に、ノワールは立ち上がることが出来ない。頭上からは魔獣の唸り声が聞こえる。目の前にボタボタと生臭い唾液が流れ落ちている。むせ返るような血臭がその場に漂っていた。
「わたしに協力すると言うなら、まだ間に合いますが」
リリアーナの冷淡な声が聞こえる。ノワールはそれを無視して、どうにか床を蹴りつけると横に転がった。その瞬間、ノワールのすぐ横を魔獣の鋭い牙が掠める。
「……くっ」
未だに圧し掛かる重量は消えない。しかし、ノワールはその力を押しのけるように強引に膝立ちになると、腕を振った。その動作に合わせ、ドス黒いモヤが手元に収束し、一振りの刀剣を形作った。
ノワールはそのまま魔剣を何もない頭上の虚空に向けて振りかぶる。が、しかし、確かに何かを斬り裂いた感覚があった。すると、圧し掛かっていた重苦しい力が消える。
重圧から解放されたノワールが顔を上げた先には、二匹の魔獣の赤い口内を見せつけるように構えていた。人体など簡単に貫いてしまいそうな牙が左右から迫る。
ノワールはそれを迎え撃つように、その刀剣を水平に振った。魔獣の目には留まらぬ速さ。刀が動いたと気付いた時には、もう断ち切れている。そういう研ぎ澄まされた斬撃だった。
確実に捉えたとノワール自身も思った。——が、手ごたえは無く、刃は空を切る。
「甘いですよ、ノワール様」
ハッと正面を見ると、リリアーナが腕を上げていた。その両隣には、唸りを上げる魔獣がいる。たった今、ノワールの目の前にいた魔獣たちだ。
「《奇跡》ですか」
ノワールが確信を持って言う。《奇跡》のチカラで魔獣を瞬間移動させたのだ。
「ええ、そうです。そう簡単に行くと思わない方がいいですよ」
リリアーナが指を鳴らす。次の瞬間、リリアーナの右隣にいた魔獣が消え、背後から唸り声がした。
「っ!」
ノワールがタンッとその場でターンし、背後の魔獣を捉え——、刀を向ける。しかし刀を振ろうとした所で、背後からもう一体の魔獣が跳びかかって来るのが分かった。
危ういと感じたノワールは床を蹴りつけ、横合いに跳ぶ。そのまま駆けて、ノワールはこの部屋の壁に自分の背中を預けた。これで背後を取られる心配はない。
魔剣を握った手を持ち上げ、息を整えながらリリアーナを見据えた。
「なるほど、いい判断です。ですが、同時に逃げ場が減っていることにはお気づきですか」
リリアーナがまた指を鳴らすと、二匹の魔獣がノワールの前に現れた。魔獣たちは、自分が瞬間移動していることに戸惑っている様子はない。完全にリリアーナの支配下にある。これではリリアーナに近づくことが出来ない。
二匹の魔獣はノワールをさらに部屋の隅に追いやるように鋭敏な牙と爪を向ける。ノワールは軽い身のこなしでそれらの攻撃を避け、避け切れないものは刀で受け止める。しかし、隙を突いて斬撃を当てようとすると、リリアーナによって移動させられてしまう。
その一方的な連携の取れた攻撃に、ノワールの疲労が溜まる。
部屋の片隅、唯一の出入り口があった場所に追い詰められた所でノワールは立ち止まった。扉は、リリアーナの魔術によって完全に覆い隠され塞がれてしまっている。
逃げ場を失ったノワールを見て、リリアーナが嘲るように言う。
「ただ逃げるだけですか。つまらないですね、あのルージュ様の付添人というからには、もう少し何かあると期待していたのですが」
リリアーナが冷めた目でノワールを見る。
「それとも何か狙っているのでしょうか。使うのはその黒い刀剣ばかりで、魔術を使う様子もありませんし」
「ははっ……」
それを聞いたノワールは自嘲気味に笑う。
「なにか可笑しいことでもありましたか」
「いえ、別に……。ただそうですね。安心はしてもらっていいですよ。僕が使うのはコレだけですから」
そう言って、ノワールは片手で持った魔剣の切っ先をリリアーナの目線に重なるように持ち上げた。
「どういうことでしょう」
リリアーナの顔は、得心がいなかいといった様子だ。
「どういうことも何も、僕は魔術が使えないんです」
「は——?」
リリアーナの目が丸くなる。まさか『
「生まれ持った魔力量が、極端に少なかったんです。おまけに、その少ない魔力をまともに扱う技量さえ得られなかった。だから僕は例え、誰かが作成した魔術陣を利用しても、魔術が使えない」
だから親や弟妹、親族、級友、教諭たちからは使えない奴だと蔑まれた。あの『————』という名家の嫡男として生まれたにも関わらず、才能が皆無の情けない弱者だと。煩わしい毎日。
だから殺した。
この〝魔剣〟の《奇跡》を手に入れて、ルージュと出会い、『————』という自分自身を殺し、『ノワール』として生きていくことを決めたのだ。
「リリアーナ、確かにあなたが言うことは正しいかもしれない」
ノワールがほんの少しだけ口の端を持ち上げながら言ったその台詞に、リリアーナが固まる。そんな主に従うように、両隣の魔獣はノワールを血走った双眼で睨みつつも、襲い掛かって来ることはなかった。
それを見て、ノワールは続ける。
「この世界の人たちは、どうしようもない。くだらないことで人を責め、自分にとって価値がないと分かれば見捨て、保身に走る。利己的で、身勝手で、不毛な争いを繰り返し、それで痛い目を見ても懲りたりしない」
「なら、わたしと一緒に来たらいいじゃないですか。こんな仕様もない世界を一緒に変えませんか? 魔術が使えなくても『
「——けど、この世界にいるのは、〝そういう人たちだけじゃない〟。少なくとも僕はそれを知っている」
それの言葉を聞いたリリアーナが大きく目を見開き、耐え切れなくなったように笑い始める。
「ふふっ、ふふふふっ、あははははっ! 一体何を言うのかと思えば、本当につまらない綺麗事ですね。誰がどう取り繕ったとしても、人間の愚かしい本質は変わらない。〝わたしはそれを知っています〟」
リリアーナは懐から一枚のカードを取り出すと、大きなため息を吐き出しながら指を鳴らした。彼女の両脇にいた魔獣が、ノワールの逃げ道を塞ぐように左右に出現した。しかし襲い掛かってくることは無く、ただ鋭い牙を見せつけるように顎を開き、ノワールを逃がすまいと睨みつけている。
「とても残念です。あなたがここまでつまらない人だとは思いませんでした。もう必要ありません、邪魔くさいので死んでください。——【ペルグランデ・グランディス・フランマ】」
リリアーナが唱えると同時、指に挟んでいたカードに刻まれた魔術陣に光が駆け巡る。凄まじい光量が目まぐるしく魔術陣を駆け巡り、輝きを放つ。その一瞬後、カードが灰となって崩れ落ち、魔術が発動した。
ノワールの視界が、真っ白な火炎で埋まる。おおよそ、常識を超えた大きさの炎。リリアーナの頭上に展開されたその業火は、五十メートル四方のこの広い部屋においても、その大半を埋め尽くすように燃え盛っていた。まるで小さな太陽。ノワールに降り注ぐ熱線も、その炎が見せかけじゃないことを知らしめていた。肌がジリジリと焼かれ、目が眩む。
「では、さようなら」
リリアーナが指先を
「————っ‼」
逃げ場のないノワールに衝突する直前、その業火が渦巻く塊はカッと輝きを放ちながら爆発し、酷烈な熱風と爆風をまき散らした。途方もない熱気が大気を焦がし、暴風を生み出す。さっきまでノワールが立っていたはずの空間は、大きく無残に抉り取られていた。
ちょっとやそっとの衝撃や熱、魔術では傷一つ付かないこの魔術実験室の白石の壁や床が粉々になり、至る所にヒビが入っている。
ノワールの逃げ道を塞いでいた魔獣たちも巻き込まれ、遺骸すら残らない程に消し飛んでいる。ましてや直撃したノワールが生きている筈もない。
リリアーナは己の魔術によって破壊された残骸をジッと見つめた後、軽く息を吐き出して、爆風によって乱れた髪と服を整えながら呟く。
「さて、次はルージュ様ですね」
——次の時には、リリアーナの姿はパッと前触れも無く消え去っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます