魔術大学にて



 建物内から出て来たリリアーナは、ノワールの存在に気付くと立ち止まって軽く頭を下げる。

「ノワール様、おはようございます。……ルージュ様はどちらに?」

 リリアーナはノワールが一人でいることに疑問を覚えたような顔をつくる。

「ルージュは……まだ屋敷で寝てます」

呆れ混じりに吐息してノワールがそう言うと、リリアーナは何かを察したのかそれ以上はルージュのことを聞いて来なかった。

「ノワール様は、調査ですか?」

「ええ、はい。ここで最初に殺された魔術師が見つかったようなので。何か分かることがあるかと」

 まぁ既に大抵のことは警衛騎士団が調べているし、そのデータは手元にあるのだが、やはり実際に訪れてみるのも大事だと思ったのだ。

「リリアーナは、なぜこちらに?」

 ノワールが尋ねる。

「わたしはこの大学の研究生ですので。ガニアス様に仕えている身ですが、仕事がない時はここで魔術の研究をしております」

「なるほど」

 ノワールはリリアーナの言葉に納得した。しかしながら、齢十六にして魔術師の資格を持ち、街主に仕える仕事と魔術研究を並行して行っているリリーナは、本当に優秀なのだろう。

「よかったら中を案内しましょうか? おそらく、学外の方が中に入っても何も分からないと思うので」

「それはありがたいですが、時間は大丈夫ですか?」

「ええ、今日は特に急ぐ用事もないので」

「それなら、ここ以外にも見ていきたい場所があるのですが」

「どこでしょう?」

「この大学の、附属病院です」

「ええ、構いませんよ。あとで案内しましょう」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 頭を下げるノワールに、リリアーナは「はい」と言って微笑んだ。


◇◆◇◆


 建物の中は複雑に入り組んでいた。入ってすぐ複数の通路に分かれ、進んだその先も通路が分かれている。通路の壁には多くの扉が並んでおり、その一つ一つが研究室になっているのだろうと思われる。

 ノワールはリリアーナの後を付いて行くようにしながら、関心深く周囲を観察していた。

 途中、何人かの学生と思われる人物がすれ違う際に、リリアーナにお辞儀をして通っていく。リリアーナもまたそれに軽く頭を下げる。

「こんな事件が起こっているのに、みんな外に出てきているんですね」

 ノワールがそう言うと、リリアーナは少しきまりが悪いような顔になる。

「これでも普段よりはずっと少ないんですけどね。今この大学にいるのは、自分の命よりも魔術の研究が大事という人ばかりです」

 それは言外に自分自身もそうであると言っているように思えた。リリアーナは続ける。

「危険な魔術実験を敢行しての事故死などもありますし、危ないと警告されても魔術の研究に没頭して殺されたり……本当に魔術師はバカですよ」

 そう言ってから、「もちろんそういう人達は一部ですけどね」とリリアーナは誤魔化すように悲しそうに笑って付け加える。魔術の研究に没頭して殺されたり、というのは、今この街で起こっている事件の被害にあった魔術師のことを言っているのだろう。

「いえ、何となく分かりますよ」

 ノワールは言う。

 ルージュだってそうだ。彼女は、自分が望むことのためならどんなことも厭わない。他人の迷惑も、自分の命さえも。ただ、ルージュが誰かに殺されるようなことにはならないだろうけど、とノワールは思った。ルージュも自分が特別だと自覚しているからこそ、傍若無人に振舞っている節がある。まるでそれが宿命であるかのように。

「最初にここで死んだ彼——トリスも、そういう人でした。魔術を研究するのが大好きで、いつも魔術で世界を変えて見せると豪語してました」

——魔術で世界を変えるか……。

 既に、この世界は魔術の上に成り立っている。今、人間たちの周りにある利器は魔術技術を存分に活用させたものだ。もう魔術で世界は変わっていると言える。それをさらに一変させようとしていたのだとしたら、大変なことだ。

「とても聡明な人で、ガニアス様とも仲がよかったです。きっと天才同士通じ合うものがあったのでしょう。よくガニアス様と魔術の研究について話しているのを見かけました」

 リリアーナ曰く、この魔術大学の理事長でもあるガニアスは、その多忙さにも関わらずよく構内に顔を出していたらしい。

「でも、一週間と少し前、ですね。トリスが研究室で死んでいるのが見つかったんです。心臓と血が全て抜け落ちた状態で、死んでいる彼が」

 その言葉を聞いて、ノワールは少し違和感を覚えた。ガニアスから貰ったデータには、魔術大学内の研究所の一室にて、遺体が発見されたと記されていた。確かに今リリアーナから聞いた話と一致している。

 しているのだが、今までの話を聞いた上だと、

「あの、リリアーナ。一ついいですか」

「はい、なんでしょう」

「その彼が、事故死したという可能性はないのでしょうか。その、魔術の研究に失敗して……」

「あぁ、事故死ではないですよ。もちろんその線での調査はしっかり行いました。彼の遺体が見つかった研究室の状況も、彼の遺体もよく調べましたが、その上でその線はないと断言しましょう」

「そうなんですか……」

 やけにハッキリと断定されたことに小さくない違和感を覚えつつも、ノワールは頷く。

「こちらです」

 そして、リリアーナが一つの扉の前で立ち止まって、中に入って行った。扉に、『魔術学的封じ込めレベル5』と書かれたステッカーがでかでかと張られている。ノワールもそれに続き、三つほどの扉を連続して通り抜けて、ようやく部屋の中に入った。それぞれの扉に、おそらく結界魔術の系統と思しき魔術陣が刻まれているのが分かった。

 部屋の中は、随分と広々としていた。白い石のタイルが敷き詰められており、他に何も物がない。本当に研究所の一室なのかと疑うほど、物がなかった。

 ただ広々とした何もない密室空間。広さ的には一辺が五十メートルほどもある正方形の部屋。ふと視線を上に向けてみると、天井付近の壁にガラス張りの窓があった。その向こうにも小さな部屋があり、そこには色々な雑貨や機械が置いてるのが見える。

——なんだこの空間……? これじゃあまるで。

 まるで、危険な何かをここに放置して、ガラス張り窓の向こうの部屋から観察するためにあるような場所。明らかに異質だ。

「ここでそのトリスという方の遺体が見つかったんですね」

 ノワールがリリアーナにそう聞くと、彼女は穏やかに笑って言う。

「いいえ、違いますよ。彼の遺体が見つかったのは別の部屋です」

「では、なぜ……」


「ノワール様は、この世界のことをどう思いますか?」


「え?」

 急な話題の転換に、ノワールは戸惑う。

「今わたしたちが住んでいる世界は、昔と比べて随分と便利になったと聞きます。魔術技術の発展により、人々は遠くに居ても会話をし、情報のやり取りをし、小さな板切れに膨大な情報を詰めて運び、わざわざ歩かなくても乗り物を使えば短時間で遠くまで移動をすることも、暑い日も寒い日も快適な室内で過ごすことができます。ですが、言ってしまえば〝それだけ〟です」

 顔を伏せたリリアーナは言葉を続ける。彼女が今どんな表情をしているのか分からなかった。

「魔術が発展していくら便利になったところで、人は変わりません。少しでも不安があれば明日は我が身とばかりに閉じこもり排他し、自分が被害を受けないと分かれば他人事のように嘲る。力があるのに慈悲を与えず、弱者を見下し、好き勝手に生きる。自分にとって都合の良いことしか考えない。自分が良ければそれでいい。そんな愚かな生き物が人間なのです」

 リリア―ナが顔を上げる。その口元は笑っていた。しかしノワールを見つめるその瞳は、酷く冷淡だ。

「だから、魔術で——、〝魔法〟で世界を変えるんです。こんな浅はかな人間たちしかいない、くだらない世界を。素晴らしい話だとは思いませんか? ノワール様」

「リリアーナ……? 一体どういうつもりですか」

 ノワールはリリアーナを警戒して、一歩下がり、いつでも〝魔剣〟を引き抜けるように構える。

そんなノワールをよそに、リリアーナは懐から一枚のカードを取り出すと、それを指に挟んで入って来た扉に向けた。

「——【パリエース】」

 カードに刻まれた魔術陣に光が走り、カードが灰となって崩れ落ちる。それと同時、床の石がボコボコと盛り上がり、膨張して広がり、唯一の出入り口を覆い隠すように塞いでしまった。

 完全に密室になったこの空間を見て、リリアーナが満足げに微笑む。

「実はノワール様に、協力してもらいたいことがあるんです」

「……なんですか?」

「ノワール様が持っている《奇跡》を、調べさせて欲しいのです。ノワール様のような《奇跡》は、初めて見ました。今まで見たどの《奇跡》とも違う気配を感じました。きっとあなたの《奇跡》を研究すれば、また一つ〝魔法〟に近づけるはずです。これからの新しい世界のためになれる。素晴らしいことだと思うんです!」

 リリアーナの口調が次第に興奮し、声量が大きくなっていく。リリアーナは両手を広げて赤い口腔を見せながらノワールを見据えた。

「悪いようにはしません。ノワール様、わたしに協力してくれませんか?」

「すみませんが、お断りさせていただきます。僕には他にやることがあるので」

「そう……ですか。残念です」

 リリアーナの口元から笑みが消え失せる。彼女は静かに腕を持ち上げると、指を鳴らした。

 パチンと渇いた音が密室に響き、次の瞬間、大きな質量を持った何か複数が現れた。その重量によりドスンと石の床が揺れ、グルルルと低い地響きのような唸り声が重なって響き渡る。 

 そこに居たのは、屈強な魔獣だった。それも一体じゃない。二体の鋭い牙を覗かせる魔獣が、血走った双眼をギラギラと光らせてノワールをにらんでいる。通常の個体よりも遥かに大きな体躯を有するソレらは、明らかに異常と言えた。

 真っ赤な口腔の端からダラダラと涎を流している二体の魔獣を見て、ノワールは既視感を覚えた。

 種類こそ違うが、あの時、この街に車で移動する際に突如として道を塞いだ魔獣、血走った眼と巨大な体躯で襲い掛かって来たエニグタイガーと同じ気配を感じる。

 そして、今確かに、リリアーナの手によってこの魔獣たちは何もない所から呼び寄せられた。魔術を使った様子もない。つまり、このリリアーナという少女は————、

「リリアーナ、あなたも『奇跡者アクシスタ』だったんですね」

「はい、そうですね。私の《奇跡》は離れた空間と空間を繋ぎ合わせることが出来る能力チカラ。【離空間接続リルームコネクト】です」

「……じゃあ、あの時僕が殺した魔獣は」

 あの、あまりにもタイミングよく現れた異常な魔獣は、

「ええ、そうですね。あれはルージュ様のチカラを測るために謀った事でしたが、結果的にはノワール様のチカラを見ることができてよかったです」

 単なる事実を確認するように淡々と言い放ち、リリアーナはさらに魔術陣が刻まれたカードを取り出す。

「協力してくれると言うなら、まだ一考の余地はありましたが、こうなっては仕方ありません。ハッキリ言わせていただくとあなたの存在は邪魔なんですよ」

「僕が邪魔……ですか」

「はい。本来、この街に来ていただくのはルージュ様一人の予定でしたので。……ただの付添人ならば問題ありませんでしたが、『奇跡者アクシスタ』ともなると話は別。ですので、丁度いい時に一人になっていただいて助かりました」

 そうして、リリアーナは魔術陣が刻まれたカードの面をノワールに突き付け、口を開く。

「貴重な『奇跡者アクシスタ』、できれば手荒な真似はしたくありませんでしたが……」

 瞬間、リリアーナが指に挟んだカードが発光すると同時に崩れ落ち、ノワールの身体が見えない力に押しつぶされるように床に叩きつけられた。

——……っ!? これは……っ!

 予想を遥かに超えた強大な力。あの時、エニグタイガーを相手取ってリリアーナが行使した魔術は、手加減されていたのだと理解した。このレベルの魔術を扱えるなら、あの程度の魔獣に苦戦するはずがない。

 リリアーナはルージュの力を見るためだと言っていた。わざと苦戦を演じ、自然にルージュの手を借りようとしたのだろう。

 だが、一体何のために……?

 リリアーナが語った理想は、魔術を越えた〝魔法〟を得て、この世界を変えること。

——そのためにルージュを……? じゃあ、今街で起こっている事件は……っ。

 その時、硬い床に縫い付けられるように地面に倒れているノワールの頭上から、獲物を求める魔獣の唸り声がした。



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