《奇跡》の可能性
雲がかかった夜闇が頭上に広がっている。ぼんやりと浮かんだ月明かりの下で、ノワールとルージュはひと気を避けるようにして、屋敷に戻る道を行く。その道中で、リールという少女と言葉を交わしていた。
ルージュが言う。
「ねえリール、あなた『はぐれ吸血鬼』でしょう?」
ノワールとルージュと間に挟まれて、俯きながら歩いていたリールがその言葉を聞いてビクリと震える。
「はぐれ吸血鬼……ですか?」
ノワールが首を捻った。
「ええ、そうよ。ねえノワール、吸血鬼の種族がどこで暮らしているか知ってるかしら?」
「確か……ルベル帝国にある『ブルード山脈』の奥地、ですよね。特有の厚い雲が常に空を覆っていて、陽の光が差さない僻地。『アンソレーユ』でしたっけ」
「そうね、陽の無き街『アンソレーユ』。直射日光に弱い吸血鬼たちは、ほとんどがそこで暮らしているのよ。でも吸血鬼っていうのはとても厳格な種族でね、一族の間で決めた
「それがはぐれ吸血鬼ですか」
「ええ、そう。ノワールはまだ会ったことないと思うけど、私たちが住んでる街にも一人いるわよ」
「へえ、知りませんでした。それでルージュはリールがそのはぐれ吸血鬼だと?」
ノワールは地面を俯いてトボトボと歩いているリールを見下ろしながら言う。
「だと思っているのだけれど、リール、違ったかしら?」
「う……っ」
その時、リールの体がぐらりと揺れて、その場に倒れ込みそうになった。地面にぶつかる直前に、ノワールがリールを抱き留める。
「リール、大丈夫ですか……?」
ノワールがリールを覗き込んでそう言うと、リールがポロポロと涙を流しながら、嗚咽混じりに言う。
「うっ……う……っ、リール、おなかすいて、死んじゃいそう……うぇ……うぇえぇえ。血、リール、血が飲みたい……うぅえぇえ……っ」
「うーん、このままじゃ話になりそうにないわね。ノワール、ちょっと血を飲ませてあげなさい」
「い、いいの……っ!?」
それを聞いたリールがピタリと泣き止んで、期待の目でノワールを見つめた。先の尖った尻尾がピンと伸びる。
「なんで僕なんですか……」
ノワール自身、吸血鬼に血を吸われるというのはあまり気が乗らなかった。
「だって、私の血はたぶんこの子の口に合わないもの。試してみてもいいけれど……、飲んでみる?」
「の、のみ……たい!」
そう言ったリールに対して、ルージュは親指を立てると、爪で躊躇なく自分の腕肉を切り裂いた。タラリとルージュの腕から血液が流れ、ノワールに抱きかかえられているリールの口の中に落ちる。
瞬間、リールが目を見開くとバッと体を起こし、鼻と口を手で押さえた。
「——う、っっっっぅぅぅ…………っ!??!? ぶっ! っ、っっはっ、はぁ……ッ!?!?はぁ……っ! はぁ……っ! な——、なに……ぃ、これ……ッ」
「り、リール、大丈夫ですか……?」
そのリールの異常な反応に、ノワールは少し心配になる。本来、吸血鬼は生き物の血を栄養として取り込み生きている種族である。そんな吸血鬼が血を少し口に入れるだけで、ここまでの反応を見せるなんて。——いや、吸血鬼だからこそ、か。
「だ、だいじょ、うぶ……。ぅぶ……っ」
リールはまだ鼻と口を強く抑えて、涙目になっている。
「私の血、どうだったかしら」
ルージュのその問いかけに、リールはフラフラになりながら地面にペタンと座り込んで、まだ手で鼻を塞いだまま、潤んだ瞳でルージュとノワールを見上げた。
「こ、〝濃かった〟……っ、こんなに濃い血、飲んだこと、ない……。匂いも、嗅いでるだけで鼻血出そう……」
「ええ、そうでしょうね。私の血は、ちょっと他よりも特殊だから」
「そう、なの……?」
「魔術を使うために必要な魔力が血液の中に宿っているのは、知っているわよね。でも人によってその濃度は違うわ。濃度が薄い人は魔力量が少なく、濃い人は多い」
「う、うん……」
戸惑い交じりに頷いたリールに、ルージュが自分の胸に手を当てて誇らしげに言う。
「私はね、〝無限〟の魔力を持っているの」
「へ……?」
それを聞いて、リールがキョトンとした表情になる。
同時に、その言葉を聞いていたノワールは「やっぱり」と思う。
ルージュが無尽蔵の魔力量を有しているというのは事実だ。それがルージュという少女の〝異常性〟の〝一つ〟でもある。
そして吸血鬼は、生き物が有する血液液をその魔力ごと取り込んで糧とし、力を蓄える種族だ。つまりその吸血鬼にとって、ルージュの血は許容の範囲を大幅に超えてしまうのだろう。
「む、無限って……、無くならないってこと……?」
「ええそうよ、私はどんなに大きな魔術を何度使っても、魔力を切らしたりしないの。それが私の《奇跡》よ」
「で、でも、リール、そんな《奇跡》があるなんて、……聞いたことない」
リールが信じられないという顔でそう言うと、ルージュがくすりと笑った。そして、大仰に手を広げ、高々と言う。
「何を言っているのかしら。《奇跡》はこの世界における限りない可能性よ! この世に生きている人類、いえ、全ての生物の〝夢〟を叶える可能性が《奇跡》にはあるの。だから《奇跡》なのよ‼ どんな《奇跡》があっても不思議じゃないわ」
透き通るような声で謳われたその台詞に、リールは圧倒されたようにポカンと口を開けている。
「まぁ、それは一旦置いておきましょう。ひとまずリールはノワールから血を貰って、お腹を満たしなさい。それからあなたの話を聞かせてちょうだい」
そう言って、ルージュはノワールの方を見た。
そしてノワールは諦めたように頷く。
「分かりましたよ。リール、ここであなたに倒れられても困るので、僕の血を飲んでいいですよ」
「ほ、ほ、ほんとに、……い、いい、の?」
リールはハッと期待するように立ち上がって、ノワールを見た。その瞳が青色から金色に変わりかけていることに気付いた時には、リールはノワールに跳び付くように抱き着いて、首筋に噛み付いていた。
「……っ、ちょ、ちょっとリール……っ」
ノワールは自分の首筋から物凄い勢いで血液が吸い抜かれていくのを感じる。一切の息継ぎ無しで急激に血を抜かれ、意識に少しモヤがかかり始めた所で、流石にヤバいと思ってノワールはリールを引き剥がそうとするが、全力でノワールにしがみついているリールは離れようとしない。
——や、やばい……、死ぬかも……。
ノワールは首筋に吸い付いているリールの頬を強引に鷲掴みにすると、無理やり引っぺがす。
「殺す気かぁっ‼」
リールのほっぺたを押しつぶすように掴んで、ノワールはリールの鼻先で怒鳴りつけた。
すると、はぁはぁと狂気的に息を荒げていたリールの金色の瞳が、またスッと熱が引くように青色に変化した。それを見たノワールは、リールから手を放す。
リールはハッとした表情になって、ぶわっと瞳に涙を浮かべる。
「ご、ご、ごめん、なさい……っ、す、すごく、今まで飲んだことないくらい飲みやすい血だったから……、つ、つい……。り、リール、ち、血を飲むことになると……、お、おかしくなっちゃうの……っ、そのせいで、街も追い出されて……、うぇえ……、うぇえええ……っ」
——それではぐれ吸血鬼になったのか……。
ポロポロと涙を流しながらひたすら「ごめんなさい、ごめんなさい」と言っているリールを見て、ノワールは何だか怖くなってきた。中々に個性的な少女である。
「それで、なぜリールはこの街にやって来たのかしら」
そう、ルージュが問うた。
「……り、リールは、『アンソレーユ』を追い出されて……、行くところが無くなって……その時に、この街のことを偶然聞いた、の……。血を全部抜かれて殺されている人がいるっていう話。だから、この街に来たら……、リールと同じように街から追い出された吸血鬼がいるかと思って……」
「だからこの街に来たのね」
「う、うん……、でも、来てみたら、な、なんか剣持った怖い人たちが、いっぱい居て……。リール、血もほとんど飲めなくて、お腹空いて……。昨日も怖いおじさんに追いかけられて、こ、こ、殺されそうだった……、怖かった……、こわかった……」
リールが泣きそうになりながらプルプルと震えている。怖いおじさんというのは、昨夜リールを追いかけていったライガンのことだろう。
そして現在、この街では多くの警衛騎士団たちが事件の調査を行っている。はぐれ吸血鬼であるリールが、自由に動けるわけがない。ましてや今この街では、魔術師が血を全て抜かれるという異常な殺され方をしている。もし実際に吸血鬼であるリールが見つかったら、例え事件と関係がなくてもしばらく拘束されるだろう。
——まぁ、このリールという少女がウソを吐いているという可能性もあるけど。
ノワールは震えているリールを疑うように見下ろす。ルージュはこの少女が事件に関係ないとは言ったが、その証拠がある訳ではない。血を抜かれた死体と吸血鬼。関連付けるなと言う方が無理だ。そしてつい先ほどもノワールはリールに血を抜かれて殺されかけた。物凄い勢いで吸われたことを思い返して、ノワールは冷や汗を流す。
「なるほど、大体事情は分かったわ。念のために話を聞いてみたけど、やっぱり今回の事件には関係なさそうね」
「本当に、そうですかね?」
ノワールがルージュに言った。
「あらノワール、リールを疑っているのかしら?」
「いえ、僕はただ可能性を捨てきれないと……」
「こんなにかわいいリールが人を殺すわけないじゃない。ほーら、こんなにかわいいのよ」
ルージュが屈んでリールを抱き寄せ、リールの頭に生えている三角の獣耳をさわさわと触り始める。
「ん……っ、あ、あ、あの、ど、どうしてリールのみ、耳を……っ、んっ……」
顔を赤らめて、逃げるように身を捩っているリールの耳を、ニヤニヤと口元を緩めながら執拗に触り続けているルージュは変質者以外の何者でもない。
「ねえリール。行くところがないのでしょう? よかったらしばらく私たちと一緒に来ない?」
「で、で、でも……っ、んっ、り、リールは……ぁっ」
そこでルージュはピタリとリールから手を引いた。そして、言う。
「もし私たちと一緒に来るなら、ノワールの血を飲ませてあげるわ」
「っ!」
それを聞いたリールの獣耳がピンと立ち、目の色が金色に変わり始める。その金色の目を見たノワールがビクリと肩を震わせ、警戒するように少し距離を取った。
「い、行くっ! リールはっ、一緒に行く!」
ガバッと前のめりになってそう答えたリールに、ルージュは満足げに微笑んで言った。
「そう、では一応自己紹介をしておきましょうか。私はルージュ、そしてこっちがノワール。依頼者の〝幸せ〟を叶える『幸せ屋』よ。リール、これから〝よろしく〟ね」
こうして、風変わりな吸血鬼の少女が着いてくることになったのだった。
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