人の幸せは人それぞれ


 ライガンから一応許可を貰ったことで、ノワールとルージュは件の家に上がり込み、魔術師の死体が見つかったという部屋に向かった。

 現場の部屋は二十畳ほどで、本来ならそこそこ広い部屋だったのだろうが、大量の棚や書物、魔術機器に、魔術陣の作成に使用すると思しき諸々の道具が散乱しているせいで、足の踏み場が少なく狭苦しい空間になっている。

 その部屋の中央辺り、書類が散乱している執務机の手前、腐敗防止の魔術結界が展開され、その内側に初老の男の遺体はあった。もらったデータの中にあった他の例と同じように、心臓部には深い穴が空けられ、その奥にあるはずの心臓はなく、全身余すところなく青白く、枯れていた。まるでミイラ。血液が水分ごと全て抜かれているのだ。元々どんな顔をしていたのかも、ハッキリとしない。

周囲は散らかっているものの、誰かと争ったような形跡はない。心臓部以外に傷が見当たらない事から、この男が本当に抵抗する余地もなく殺されたと分かる状況だ。

「確かに、聞いていた通りって感じね」

 ルージュが遺体の側にしゃがみ込んで、真剣な表情で観察する。既にこの部屋で調査をしていた警衛の者たちは、いきなり部屋に入って来たルージュとノワールを怪訝そうに見ているものの、既にライガンからの話が通っているのか特に何も言われることはなかった。

 ノワールは「いきなりお邪魔してすみません」と周囲の団員に断りを入れつつも、部屋の状況を観察していく。

——ただの魔術研究室って感じだな。

 ザッと見た感じでは部屋の中に変な所は見つからない。物が散らかって踏み場の少ない床をノワールが慎重に歩いていると、ずっと遺体を見つめていたルージュが顔を上げた。

「この人が殺されたのは大体いつなのかしら? 見た感じ殺されてすぐって訳ではなさそうだけれど」

 ルージュが立ち上がって、一番近くにいた警衛騎士団員に尋ねる。

 ルージュに急に見つめられたひげ面の男は、動揺したように視線を巡らせた後、咳払いしてから口を開いた。

「遺体が見つかったのは今日の午後ですが、実際に殺されたのは昨晩から今日の未明にかけてだと推定されます」

「推定……ね。やっぱり今夜って訳ではなかったのね。にしても発見まで随分と時間がかかっているのね、魔術師が狙われることなんて分かり切っているのに」

「そ、それは……」

 ひげ面の男が口ごもる。その時、部屋にライガンが入って来て胡乱げにルージュを見た。

「随分簡単に言ってくれるな幸せ屋さん」

「どういうことかしら?」

「護衛は付けているに決まっているだろ。今、この街にいる魔術師は全て警衛騎士団に見張らせている」

「それなら何故、被害が出ているの? 随分とおかしな話ね」

「それは……だな」

 ライガンは気まずそうな言い辛そうな表情になった後、ガシガシと頭を掻きながらため息混じりに言う。

「拒否されたんだよ。魔術師って言うのは我が強い人が多くてな。研究の邪魔になるから護衛は不要だって、頑なに言われたらオレたちは敵わない」

「警衛はそれに従ったの?」

「従うしかない。警衛は帝国直属の組織だ。相手の合意なしに付きまとうのは帝国法に違反する犯罪行為の上、下手に顰蹙を買う真似をすれば、帝国そのものの評判が下って警衛騎士団自体が存続できなくなる」

「それでも結局人が死んでしまえば、顰蹙を買うことは変わらないんじゃないですか?」

 ノワールがそう言うと、ライガンは心底疲れたように項垂れる。

「そうだな……。だからと言って警衛が無理に民間人に付きまとうことはできない」

 以前に見た時よりいくらか老け込んだ様子のライガンを見て、ノワールは心から彼に同情した。

 板挟みというやつだ。大変過ぎる。絶対に警衛にはなりなくない。

「それで魔術師たちは殺されているの? 自業自得じゃない」

 ドストレートに思ったことをそのまま口にしたルージュに、場に動揺が走る。

「全くてめえは歯に衣を着せるってことは知らないのか……」

 しかしながら、ライガンはルージュの言葉を否定しようとはしなかった。

「まぁ、実際、一日中の監視を受け入れている魔術師は誰も死んでいない。オレたちがこの街に駆けつけてから殺された魔術師は、全員護衛の監視を断った人たちだ」

「へえ、そうなの」

「あぁそうだ。もちろん、本人に気付かれないように監視もしていたし、文句を付けられようとも最低一日に一回、安否確認はしていた。このアモスという人は、その安否確認の時に死んでるのが見つかったんだよ。ちなみにその前に確認したのが昨晩。だから殺されたはまぁ、その間だろうな」

 どこか悔しそうに、後悔しているようにライガンは床に転がっている男の遺体に視線を落としながら、言葉を絞り出した。

「じゃあ、死亡の推定時刻はそこからってことね。……ふむ、この家の監視はしていたのよね? この人が殺された日、この建物には誰も出入りしなかったのかしら」

「そうだな。少なくとも昨日は、本人はずっとこの建物にこもり切りで、誰も出入りしなかったと聞いた」

「この家の出入り口は、私たちが入って来た玄関だけよね?」

「そうだな。それに他に出入りできそうな窓もしっかり監視していた。完全な密室で殺されたんだよ」

「じゃあ、もう犯人は瞬間移動テレポート系の《奇跡》を使える奇跡者アクシスタなんじゃないですか?」

 そう言って口を挟んだのはノワールだ。

「だとは思うんだがな……。帝国が把握している中で、それが可能な奇跡者アクシスタの目撃情報は今のところない。それにいくらそんな《奇跡》を持った奴でも、魔術師に少しも抵抗を許さずにこんな殺し方ができるのは異常だよ」

「なるほど……、本当に犯行の方法が不明って感じなんですね」

 ノワールがそう言うと、ライガンが疲れたように「あぁ」と頷いた。

「魔術師が行く場所に監視カメラをしかけたりも出来ないんですか?」

 ノワールのその提案に、ライガンが首を振る。

「本人の許可がない限り無理だな。少なくとも警衛騎士団オレたちには」

「ほんっと警衛ってのは窮屈な組織よね、もし私が警衛に居たら息が詰まって死んでしまうわ」

 ライガンの言葉を聞いて、ルージュが台詞通り息の詰るような声音で言った。想像するだけでも耐えられないといった感じだ。

「そう言ってくれるな。少なくともオレはこの仕事に誇りを持ってるぜ。外野に何と言われようとな」

 ライガンが苦笑を浮かべつつ、しかし芯の通った口調でそう言った。

「それは良い事ね、私にはあなたの気持ちはこれっぽっちも理解できないけれど、人の幸せは人それぞれだもの。だから面白いの!」

 楽しげに微笑みながらルージュが手を広げて言って、部屋の出口に足先を向けた。

「さて、そろそろおいとまするわよ、ノワール」

「あ、はい」

 近くの本棚にあった『魔術による物質変形の可能性について』という題名の本を何気なく眺めていたノワールが、ルージュの後に付いて出口へ向かう。

「もういいのか?」

 すれ違いざま、ライガンがルージュにそう声をかける。

「えぇ、もう確認したいことは終わったもの。あ、でも一応最後にもう一つ確認してもいいかしら?」

「なんだよ」

「あの仏さまは、この後どこに運ばれるのかしら」

 ルージュがチラリと背後に倒れている遺体を見やる。

「ホトケさま……? 殺された彼の名前はアモスだが」

 ライガンが困惑した表情でルージュを見る。

「仏って言うのは東の大和国で使われている言葉よ。色々意味があるけど、この場合は死んでしまった人を敬って指し示す言葉ね」

「へえ、東にはそんな言葉があるんだな」

「大和国には面白いものがたくさんあるのよ。ライガンも是非いつか行ってみるといいわ」

 その会話を聞いていたノワールは複雑な気持ちになる。

「奇跡的に長期休みが取れたらな。で、被害にあった遺体についてだが、現場の調査が終わればこの街の魔術大学の付属病院に運んでいる。かなり特殊な魔術で殺されたと思われるからな、そこで医療魔術師に検死を依頼しているんだよ」

「どんな殺され方をしたかは分かってるの? 殺人が始まったのは二週間前なのでしょう?」

「あぁ、だからその最初に殺された奴の検死が、そろそろ終わりそうだとさっき連絡があった」

「二週間よ? 時間がかかりすぎじゃないかしら」

「死体の状態が異常過ぎて、色々難航してるらしい。詳しい事は、全部が終わってから話すと聞いている」

「……そう、なるほどね。まぁ、それで結局手がかりが掴めるようなことはないでしょうけど」

 ルージュのその何かが分かっているような口調に、ライガンが眉根を寄せ、顔をしかめる。

「ほー、それでお前は何か手がかりは掴めたのかよ?」

「さぁ、どうかしら」

「おいおい『幸せ屋』が来たからには事件は解決したも同然じゃなかったのか?」

 ライガンが煽るように言うと、ルージュがくすりと笑って挑発的な笑みを返す。

「ふふ、安心してちょうだい。少なくとも警衛騎士団あなたたちよりは先に事件を解決してあげるから」

「言ってくれるな」

 そんな二人の視線が絡み合って、今にも火花でも散りそうな最中、建物の外が俄かに騒がしくなった。警衛団員と思しき者たちの焦ったような叫び声が聞こえてくる。「絶対に逃がすな!」「追え!」「油断するな!」など、そんな声だ。

「……なんだ?」

 ライガンが眉をひそめて、扉口から部屋を飛び出して建物の外へ向かって行った。

「ノワール! 行くわよ!」

 一方、そう言ってルージュが向かったのは部屋の出口ではなく、騒がしい声が聞こえてくる方向にある窓だった。

 ルージュは窓を開け放つと、他の団員たちの制止も聞かず、この三階の部屋から飛び降りる。ノワールもまた、それに続いた。

 易々と地面に着地して、ルージュは一番近くに居た女性の団員に話しかける。場は騒然としていた。

「何があったの」

「今さっき、だ、団員が監視していた別の魔術師の家に、忍び込もうとした人影が現れたと連絡があったんです。その人影は現在街の中を逃走中で、たった今ここを通り過ぎてあっちに」

 そう言ってその女性が指差したずっと先には、確かに怪しい人影があった。数人の団員たちに追われ、風のように駆ける小さな人影だ。ノワールの目では、その人影の細かい様相までは捉えきれなかった。

 ルージュもまたその方向に視線をやり、ジッと逃げ去る人影を見つめている。

「あれか……ッ、絶対に逃がさんぞ」

 続いて、玄関から飛び出してきたライガンが、人影が逃走した方向を睨みつけ、地面を蹴りつけた。そのタイミングに合わせ、彼の靴底からは爆発したような突風が噴出する。

 そして、風を切り裂くような亜音速でライガンが駆け抜けていった。彼の通った後には小さなソニックブームが発生し、付近の建物の窓にヒビが入っている。彼の背中は一瞬にして豆粒のように小さくなった。

 あの速さなら、例の逃げて行った人影に追いつくのも可能かもしれないとノワールは耳を押さえながら思った。

「あーあー、全くもう、なんて乱暴な魔術かしら。まぁライガンらしいと言えば、ライガンらしいけれど。無駄なのによくやるわね」

 ルージュはライガンが駆け抜けていった方を、ひさしでも作るように手を額に当てながら眺めていた。

「ルージュは追わなくていいんですか?」

「ええ、今追いかけるのは面倒だし、ハッキリ言って時間の無駄よ」

「え……、追いかける意味がないってことですか?」

「そういうことね。それにたぶん事件には関係ないもの」

「それは、どういう……」

 ノワールが困惑した表情を見せると、ルージュがうーんと悩ましげに唸った。

「確証がないから、また時が来たら話すわ。それよりもなんだか疲れちゃった。ノワール、そろそろ帰って寝ましょうか」

 今さっき勢いよく窓から飛び出した少女とは思えない気だるげな発言である。このまさに気まぐれが人の形をとったような少女に、ノワールは呆れる。

「魔術大学に行くんじゃなかったんですか」

「別に明日でもいいでしょう」

「屋敷を出るとき、これ以上被害を増やすわけにはいかないとか、調子の良いこと言っていませんでしたか?」

「そんなこと言ったかしら?」

「いや、言ってたでしょう……」

 心の底から呆れるノワール。このルージュという少女なら、世界傍若無人選手権で優勝できるだろう。約二年間ルージュと共に過ごしたノワールが保証する。

「まぁ、それなら大丈夫よ。もうこれ以上殺人は起きないと思うから」

「それは、ルージュの推理ですか?」

「えぇ、私の推理かんよ」

 ルージュが口元に意味深な笑みを湛える。

 今の所、連続殺人が始まってから毎晩人が殺されているという話を踏まえると、ノワールにはルージュのその言葉がとても信じられなかったが、同時にそれが事実であることを確信した。


 結局その後は、ノワールとルージュは真っ直ぐ屋敷に帰って、同じ部屋の同じベッドで眠りに付いた。

 同じ部屋で寝ているのは、元々やって来るのはルージュ一人だと思われており、用意された部屋が一つしかなかったためである。家主で街主のガニアスは、もう一つ部屋を用意しようとしたのだが、「こっちの方が都合が良いから」とルージュが断った。

 なんだか妙な勘違いをされそうな発言だが(使用人のサラには確実に勘違いされていた)、別にノワールとルージュの間に妙な関係はない。常に裸やだらしない姿で家をうろついているルージュを見慣れているノワールからすれば、今更という感じだ。

 それにこのベッド、無駄にサイズがデカいため、端と端に離れて寝れば一緒に寝ているという感じもしなかった。

 寝返りを打って、こちらに転がりながら抱き着いてくる寝相が最悪のルージュの顔面を蹴飛ばしてベッドの端に追い返しながら、ノワールは広々とした天井を見つめ、考える。

 一体どんな《奇跡》なら、どんな魔術なら、どんな手段を使えば、人類の英知の結晶魔術を操る魔術師を相手に、あのような殺し方ができるのだろうか、と。


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