警衛騎士団の苦労



 外に事件の調査に行くという事で、街主の屋敷から出てきたルージュとノワール。その際に、移動手段として一台の車を借りることが出来た。運転手も付けようかと持ち掛けられたがそれは断り、ノワールの運転でアムレートの夜の街を走る。助手席にはルージュが乗っていて、ワクワクした表情で開け放った窓の外を眺めていた。夜の涼やかな風が車内に流れ込んで、ルージュの赤く艶やかな髪を揺らしている。

 ふと、ひと気のない街並みを見て、ルージュが不思議そうに言った。

「人が居ないわね」

「そりゃそうですよ。ここ一週間、この街は夜に毎日のように殺人が起こってるんですから」

「でも殺されてるのは魔術師ばかりって話じゃない。魔術師じゃない人が怖がる必要がどこにあるのかしら。いくらこの街で魔術の研究が盛んと言っても、住民全員が魔術師って訳ではないのでしょう?」

「ルージュ、普通の人にその理屈は通用しませんよ」

「そういうものかしら」

 あまりよく理解できないと言いたげに、ルージュが呟いた。

 かと言って、人が全くいないという訳でもないのだが、外にいるほとんどの人が警衛騎士団の団員であるように見受けられた。恐らく、街中を警備しているのだ。ノワールが運転する車が前を通ると、ギロッと見定めるように睨まれる。

 今こそ人が居ないが、アムレートの街並みは随分と栄えている印象を受けた。背の高い建物群が多く、歓楽街のような場所もいくつか見かけた。本来なら夜でも人が集まり、賑やかな街になるのだろう。また、所々、魔術の研究施設と思しき建物もあった。

 現在、ノワールたちが向かっているのも、魔術研究施設の一つだ。街内で一番大きい魔術の研究施設——アムレート魔術大学である。街主のガニアスが理事長を務めており、今回の一連の殺人事件で最初の被害者が出た場所だ。

 しかし、魔術大学に向かう途中で、外の景色を眺めていたルージュがノワールにストップをかける。

「ノワール止まって! あそこに人だかりがあるわ」

 ルージュの鋭い声に思わず急停止をして、ノワールはルージュの指差す先を見る。

「どこですか?」

「ほら、あそこよ」

 ルージュは分かれ道のずっと先を示しているようだが、ここからだとよく分からない。確かにそう言われれば、遠くに人が集まっているように見えなくもない。

 だが、ルージュがあると言うなら、本当にあるのだろう。

 そう思い、ノワールが進路を変更して車を走らせることしばらく、一つの建物前に、本当に人の集団が見えてきた。が、集まっている人たちが団服を纏っているのを見て、彼らが警衛騎士団の団員であると理解する。ノワールは面倒事のにおいを察知した。

 あの集団の中にルージュを放り込むのことにかなり嫌な予感を覚えたが、もう遅い。ルージュの「早く、ノワール早くして」という急かす言葉のまま、ノワールは適当な道路端に車を止めた。

何やら物々しい雰囲気の集団に、ルージュは一切臆さず、むしろ踊るような足取りで近づいていく。ノワールは慌ててその背中を追うように付いて行く。

「何があったのかしら?」

 ルージュは一番手近にいた人物に、そう声をかける。腰に一振りの洋刀サーベルを提げた茶髪の青年だった。洋刀には、ルベル帝国直属であることを示す双竜の意匠が凝らされている。彼やその他の人物の腰にも同様の洋刀があり、皆がそれと同じ双竜の意匠が刻まれた団服を着ていた。

 間違いなく、ルベル帝国直属の警衛騎士団団員である。

 ルージュに声をかけられ振り返った青年は、ルージュの顔を見て見惚れたように固まっていた。

「もしかしてまた魔術師が殺されたのかしら」

固まっていた青年は、ルージュのその言葉にハッと意識を取り戻して口を開く。

「か、関係者以外にそのことは話せない! あと部外者の立ち入りは禁止だ! 下がってろ!」

「あら、関係はあるわよ。だってこの事件を解決するのは私なんだから」

「な、なにを訳の分からないことを……っ。我々の邪魔をするなら帝国法の元に拘束も辞さないぞ」

「ふふっ、そちらこそ私の邪魔をしないでもらえるかしら。どうせ警衛にやれることなんてたかが知れているのだから、大人しく責任者と話をさせてちょうだい」

——あぁ、もうこの人は……っ。

 止める間もなくスラスラと口から警衛を貶める言葉をこぼしたルージュに、ノワールが頭を抱える。

「ぶ、侮辱したなっ! 警衛騎士団を侮辱したな貴様! どうなっても知らんぞ!」

 いきり立った青年が腰の洋刀を抜いて、切っ先をルージュに向ける。ルージュは薄い笑みを湛えると、洋刀を少しも恐れる様子なく前に踏み出して、青年の顔に自分の顔を近づける。ルージュに顔を近づけられた青年は動揺し、その顔を真っ赤にした。

「威勢を張るのはいいけれど、虚勢だけじゃ相手は止められないわ。武器を抜くならせめてこのくらいの殺気は出さないと」

 青年の耳元でそう言って、ルージュは青年の目に、己の赤水晶ルビーのような双眸を合わせる。その瞬間、ルージュの体から溢れ出た殺気が青年をそっと包み込んだ。目には見えないその殺気に、ノワールは蛇の姿を幻視した。チロチロと獲物をからかうように赤い舌を伸ばす血のような色の大蛇が、そっと青年の首を絞めつける様を。

 ビクンと青年の身体が大きく震え、硬直し、力が抜け落ちたように崩れ落ちる。そして、青年が地面に倒れそうになった所で、ノワールがその身体を受け止めた。

「ルージュ、やり過ぎです」

「ごめんなさい。この子が可愛かったものだから、つい」

「はぁ……、全くあなたは。……大丈夫ですか? いきなりの失礼、申し訳ありませんでした。立てますか」

 ノワールは気を失いかけていた青年を立たせ、そう声をかける。青年の膝はガクガクと震えていたが、何とか一人で立ち上がる。

 流石警衛騎士団の団員というべきか。まだ彼は新人だろうが、常人なら今のルージュの威圧で確実に卒倒していただろう。

「お、お、おまえたちは……一体……」

 青年が怯えた目で、ルージュとノワールを見やる。そんな時、集団の中から一人の人物がこちらにやって来る。

「おい! 一体そこで何を騒がしくしている。今の状況を分かっているのか!」

 低い声を荒げ、こちらに視線を向けるのは三十代ほどのがっしりとした身体付きの男だった。身長はノワールより低いくらいだが、団服の上からでも分かる鋼のように鍛え上げられた筋肉のせいで、随分と大きい印象を受ける。男らしく精悍な顔付きで、纏う雰囲気もドッシリしている。

 そんな見るからにただ者ではない男が、ルージュとノワールの姿を見つけた途端、苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべると、大仰に頭を抱えた。

「なんでお前らがここにいる……」

「あらっ、ライガンじゃない! 奇遇ね! あなたもこの街に来ていたなんて驚きだわ」

「それはこっちのセリフだ」

 ライガンは警衛騎士団七番隊の隊長であり、ルージュやノワールとは面識がある。

 ライガンは酷い頭痛でもするようにこめかみを押さえながら、ノワールを見た。

「ノワールか……、お前らも随分と元気そうで何よりだよ」

「えぇ、おかげさまで。ライガンさんは少しお疲れですか」

「今お前らの顔を見たことで一気に疲れが来たんだよアホ」

 ライガンの皮肉まじりの言葉を受け流してノワールがそう応えると、ライガンは隠す気もなく大きなため息を吐いた。

 彼の気持ちを察すると同情するが、ノワールには何もすることができない。むしろ見知った顔を見付けて少し安心したくらいである。

「た、隊長、もしかしてお知り合いですか」

 ルージュから隠れるようにして、何故かノワールの背中に隠れている青年が驚きを隠せないようにそう言った。

「認めたくはないがな……」

「何を言ってるのよ。ライガンと私はもうとっくに知り合いを越えた仲じゃない、友達も同然よ」

「息を吐くようにオレたち警衛をバカにする女と交友を結んだ記憶はねえ、二度と友達なんて呼ぶんじゃねえぞ」

「恥ずかしがりやね、照れなくてもいいのよ。基本的に警衛は無能だけれど、あなたがいくらかマシであることは認めているもの」

 恐らく煽るでもなく心の底の本心からそう言ったルージュに対し、ライガンの額にビキッと青筋が浮いた。今すぐにでも腰の洋刀を抜いてルージュを斬り倒しそうな雰囲気がある。

 先ほど青年が洋刀を抜いて形だけでルージュを脅したときと違って、刀を抜かずとも猛獣のような殺気がルージュを包み込んだ。常人ならおそらくこれだけで膝を着き、頭を下げて許しを請うか、全速力でこの場から逃げ去ることだろう。

 だが、ルージュはそんな殺気を、ゆるやかな夜風と変わらないとでも言うように涼やかな顔で受け流している。

 そんなルージュを見て、ライガンは諦めたように大きく息を吐き出すと殺気を収めた。

「で、お前らはなんでここにいるんだ」

「この街の街主に依頼を受けたのよ、この街で起こっている不審死事件を解決してくれって」

「なるほどね……、警衛だけじゃ頼りにならないってか。情けないこったな」

「そうね。でも私が来たからには安心してちょうだい。私たち『幸せ屋』にかかれば、もう事件は解決したも同然よ」

 ルージュが胸に手を当て自信たっぷりに宣言する。ライガンの背後で、こちらの様子をうかがっていた他の団員たちがそれを聞いてざわついた。

「どうだかな。今回の事件ヤマはお前らの手でも、少し荷が重いと思うが」

「そんなにヤバいんですか」

「あぁ、まるで犯人の手がかりが掴めない。全ての魔術師が自ら勝手に死んでるんじゃないかってくらいだ。恐らく奇跡者アクシスタの仕業だろうが、一体どんな手口を使っているのかすら見当がつかない」

「なるほど。ライガンさんがここに居るという事は、この事件の調査に当たっているのは七番隊ですか?」

「いや、七番隊と八番隊だ。この街の東と西で担当を分けて調査に当たっている」

「随分と大掛かりですね。確かに、街のあちこちに警衛の人がいるとは思いましたけど」

 ルベル帝国直属の警衛騎士団は、複数の隊によって構成されている。今目の前にいるライガンは七番隊隊長であり、一つの隊の構成員が二百人くらいであることを考えると、この街には今およそ四百人の騎士団員がいることになる。

「それだけヤバイ事件ってことだ。このまま調査が進まないままだと、近いうちに六番隊が来ることになってる」

「なるほど、大体状況は分かったわ。そして大方の所、この家でも魔術師が殺されたのでしょう? 少し現場を見せてもらってもいいかしら」

 先ほどから騎士団員たちが玄関から出入りしている家を見上げ、ルージュが言った。

「あぁ、勝手にしろ。ただし余計に現場を荒らすんじゃねえぞ」

 ライガンが吐き捨てるように返事をする。

「た、隊長! いいんですか!? こ、こここ、こんな女に好きにさせて!」

 未だにノワールの背中に隠れている青年が、ルージュのことを指差して叫んだ。しかし青年はルージュに笑顔を向けられると顔を真っ赤にしながら「ひぃぃっ!」と悲鳴を上げて、ノワールの陰に隠れる。

「いいんだよ。というかコイツを無理に抑えようとすると何をしでかすか分からん。それなら目の届く所で好きにさせるほうがマシだ。他の奴らにもそう伝えてくれ」

 ルージュのことをよく理解しているライガンが、ため息まじりにそう言った。「お疲れ様です」と、ノワールは小さな声でライガンを労う。

「流石私の友達っ、話が分かるわね! ありがとう、感謝するわ」

 懲りずに『友達』呼びを続けるルージュに、ライガンが怒り洋刀を抜きかけたが、何かを思い直したように柄にかけた手を下ろす。

「いいですよ、斬り捨てても」

 できればそうして欲しいと思ってノワールが声をかけたが、ライガンが首を振る。

「アレを斬り捨てることができたら苦労はしねえな」

「全くですね」

 ノワールとライガンはそろって苦笑を浮かべてから、ため息を吐いた。

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