第8話 お前じゃない
『魔法を斬る者』
アドネの名は彼が入院したその日からずっと生徒間で噂になっていた。
「実は講師よりも頭がいい」
「実は彼が持っていたのは異国の魔剣」
「実は学校の裏を知った故に進級が許されなかった」
飛躍して事実に近づいたもの、少し違うもの、そして根も葉もない嘘となったもの。
これまで嘲笑の対象だったアドネは良い意味で興味の対象となっていた。
けれど彼はくしゃみをすることも無く、何事もなく退院した。
『やぁ久しぶりだなおサボり君』
『うん久しぶりだね傍若無人鬼畜師匠』
今日は口がよく回る。何故だろうセルリアが大剣持ってきてないからかな。
瞬間僕の腹に内臓を押しつぶすような拳がめり込んだ。それも病院の入口、看護師さんが見守る前で。
『おっと足が滑った。「丁度いい柱」があったから転ばなかったが…、これからは気をつけねばな?』
『うん…、そうだねお互いに』
セルリアの中に棲う悪魔は絶好調のようだ。
病院から徒歩十分の後、路面電車に揺られて三十分、そこから歩いて二十分。アドネは理解した。
「さすがのセルリアもこれだけ人に囲まれるとでかい剣背負っているのは恥ずかしかったんだな」。セルリアと同じく二の舞は踏まないことを決めていたアドネはぐっと言葉を飲み込んだ。
『それで、君のことだのうのうとベッドで惰眠を貪っていた訳ではあるまい』
食事を摂ることもせず自室に帰る最中、セルリアはアドネの脇腹をつついた
『惰眠貪る方が怪我人的には正解なんだけどねぇ』
自室の扉を開くその瞬間からアドネは完全に臨戦態勢へ入り、脇差を強く握った。
『そう焦るな』
アドネを通り過ぎ部屋の明かりをつけると服を投げつけた。
飾り気のない白黒の袴だった。
アドネは憧れていた和装とそれがセルリアから渡された事に驚きを隠せない様子だった。
『こんなのどこにあったの?』
『触媒保存庫とやらだ』
『よく交渉できたね』
『私にも人脈はあるってことだ』
セルリアが自分以外と会話しているところを見たことがない。というより日本語を話せる人が他にいる事を知らなかった。なによりセルリアに触媒を与える程の仲を築くような変態…もとい魔物の類の顔は見たいが話はしたくはない。
一時間程の着付けに格闘した結果、笑われはしない程度の仕上がりとなった。
『では始めるか』
そうして退院初日、寮について一時間でまた指導が始まった。
前期の終盤、半年もない間にアドネは二度目の休学を得ていた。
また毎日ボコボコにされる。そんな恐怖に苛まれながら二度目ともなると諦めがそんな恐怖を優しく包んでいた。
三時間の剣戟、休むことなくただただ剣を交えた。
窓の無い病室に他の患者の姿はなく一日二度の検診の時間を把握していれば自由に剣を振れた。
セルリアがいない。ならば自堕落に過ごせば良いものの気がつけば剣を振っていた。
『速くなったな。それに重い。病院の中でも刀を振っていたとは少し引いたぞ』
『ほんとね、セルリアに毒されたんだと思う』
セルリアの攻撃をまともに受ける事も無くなり、もはや対等に渡り合っている様にも見えた。
『そろそろ手加減しては限界があるな』
そう言って剣を手放すと小さな木べらを手に持った。
刃も棘もない食堂から借りたただのスプーン。
しかしアドネは侮りもなく油断もなく脇差を構える。
彼女が一度たりとも全力を見せていないことは気づいていた。そして今セルリアが自分に向けているのは純粋な殺気である事は未熟な身であっても沁みるようにわかった。
斬る、斬る、斬る。ブルーノの時とは違う。例え道を示してくれる師であっても刃を向けた。一人で少しでも近づけるよう刀を振った。確かに成長していた。「手加減では限界」、そう言わせる程に成長していた。
しかし、躱され弾かれ受け流され、全てにおいて手加減に追いついた、その程度であった。
振り下ろされた木べらを刃で受け止める。何故折れないのか、なぜここまで重いのか、なぜ追いつけないのか、何もかもアドネには分からなかった。
決着は二分でついた。
完敗だ。刀とスプーンで立ち合った、そして刀が負けた。遠い、まだまだ遠い。
アドネは師を前に跪く。
『どうした。もう終わりか』
鋭く重い言葉。いつものセルリアとは別人のような戦の鬼のような声。
『まだやるよ。もう一回お願いします』
心は折れてなどいなかった。しかし体は三十箇所の打撲には耐えることは出来なかった。
唇を噛み意識を保つ。体は言うことを聞かず、指一本動かすだけで激痛が走る。しかし体はアドネの意志を汲み取るようにひとりでに立ち上がった。
『ちっくと体借りる』
脇差の柄を握るとどこか懐かしむように笑った。
『久しぶりやのぉ肥前忠広。儂じゃ覚えとるか?』
動く度全身の痺れと痛みに襲われる。しかし『彼』は何も気にせず切っ先をセルリアに向けた。
『刀取れ、死ぬど』
気配、人相、そして血腥(ちなまぐさ)い眼光。身体中が剣を取れと言っていた。
刃がぶつかり合う。衝撃で薄暗い蛍光灯の光が揺れる。脇差がただの脇差で無いことは分かっていた。伝う血を吸い上げたような、人斬りの刀だと言うことは分かっていた。しかしまるで気配が形相が違う。これまでが嘘のように生き生きとした本来の持ち主に渡ったかのように強く、速く重い。持ち主に応えるように剣技に磨きをかけていた。
刃を使い、柄を使い、鞘を使う。刀の全てを使い、跳ねて壁を蹴り刃を降らす。セルリアが体全てを使った剣技であれば『彼』は環境全てを使う剣技。美しさとは正反対の実戦的な刀はセルリアと渡り合っていた。
そして
視野、呼吸、体捌き、何もかも少年の知り得ぬものだった。流派や癖では無い経験値と呼ぶべき慣れ。
これまで多くの者を斬ってきたような、多くの剣を超えてきたようなそんな強者の動き。
アドネに魔法は使えない。セルリアを呼び出したことも刀を生み出したことも魔法ではない何かの奇跡と呼ぶべきものだ。では今少年の体を操っているのは誰なのか、魔法でも降霊術でもないそれは、小説に記された異国の人斬り。その人生を客観的にインプットし、再構成、辻褄を合わせ、理解する。過去の人であり今を生きている自分と他人の狭間に立つもの。
『君は誰だ』
これまでは学んできた知識の一部として『彼』の言葉を受け入れてきた。けれど違う、これは自分(アドネ)ではない。まるで別の道を歩いてきたような、まるで目指した道の先のような━━━。
『のぉあどね。やっばりお前(まん)と儂は別人』
『儂の名は以蔵、岡田以蔵じゃ』
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