第7話 もう一人の誰か



窓の無い病室、息を吸うだけで痛む傷。痛みに顔を歪める僕と、クラスメイトの少女。

セルリアが出禁となってから数日。初めて病室(かんごく)に来客が訪れた。

顔馴染みのないその少女は悔やむように怯えるように発した。

「こんにちは…」

「……どちら様?」

当然ここを主軸に会話なんて始まらなかった。


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彼女は有名人だった。艶やかなブロンドのボブカットに空色の目。白い肌に引き締まったスタイル。そして魔法陸軍大佐の父を持ち、前期魔法実技試験では歴代四位の成績を残した魔道士学校きっての才女と言える。そんな彼女を前に、アドネは頬一つ染めずむしろ青い顔をしていた。

「私はエレバス・ウォーム、貴方と同じ魔道士学校の一年生です」

「申し訳ない。お恥ずかしいことにクラスメイトの名前も把握していなかった」

そう…ですか。エレバスの口から漏れた小さな声はアドネの耳に微かに届いた。

彼女は講師からも一目置かれる成績優秀者。自分が目立っていることは知っていた。エレバスが気落ちしたのは自分が有名人なのに知られていなかったからではない。競争者として認識されていなかったからだ。

「ところで何か御用ですか?」

エレバスはキュッと手を握りしめアドネの目を見つめる。

「どうしてもお聞きしたいことがございます」

「そうですか、何なりと」

「貴方はなぜ今の待遇に異議を訴えないのですか」

「何故…とは?」

少女は痺れを切らし言葉を並べる。

「貴方の成績は知識は上級生を、いいや講師すら上回っているはずです」

「どうしてそう思うの?」

「前期考査の論文」

「……」

アドネの口から笑みが固まる。


「軍に買い取られたと聞きました」


彼女は確かに優秀だった。軍に入るもよし研究所を持つもよし。よりどりみどりな将来を持つ彼女に敵う物を持つ者、それは魔道士学校にはアドネしか居なかった。魔道士としての力量ではなく、その知識量では確かにアドネはエレバスを上回っていた。

彼女の言う前期考査、近代魔法利用の論文ではアドネは学生とは思えない発想と論理的文章、汎用性と軍事的価値を見出され採点をした講師と理事長を除く他講師が目にする前に軍に買い取られたという話をエレバスは講師から聞いていた。筆記試験では満点を、実技試験では使い魔を以て平均点を取りエレバスに続く前期考査学年二位を取っていた。

「しかし僕は使い魔無しでは点は取れませんでした」

「ブルーノ・アゴスト先輩との闘い、見させて頂きました。あれだけの実力を持ちながら合格出来ないと言うのですか」

エレバスがなぜ怒っているのか、アドネは不思議でならなかった。

アドネとブルーノの喧嘩、それを見た彼女は目を疑った。切断と爆破の魔眼、二つの属性を同時発動するブルーノも恐ろしかった。けれど魔法を切る、それも、全方位一つも通さずに立っていたアドネはもはや神の領域とさえ思えた。それと同時に頭を過ってしまう。

「私の父に彼を負傷させることが出来るだろうか」

勝つ負ける、そんな話じゃない。それ以前に父の魔法がアドネに届くのか。それすらエレバスにはわからなかった。

「腹部の傷がなければ、相手に傷を負わせる事を許していれば貴方は一分と経たずあの戦いを終わらせることが出来たはずです」

アドネは眉をひそめる。

「そういう憶測はよくないですよ」

「憶測なんかじゃありません!絶対に…」

「憶測だよ。確かめる術もないのに終わってからそういうこと言うのは卑怯ですよ」

アドネは腹の傷を押さえ体を起こす。

「僕らはその日、その時の万全な状態で戦った。誰かと戦う度に、傷だの天気だの調子だの気にしていたらキリがありません」

「ではなぜアゴスト先輩を斬らなかったのですか」

講師と両者が承諾した決闘の殺傷は罪には問われない。それは『あの場』にいた全員が知っていた。

「そう決めたからです」

アドネは痛みに耐えながら笑った。

「戦う前から斬らないと決めていたから。決闘のルールなんかより自分で決めたことの方がよっぽど大切ですよ」

口を抑えると咳と同時に血を吐き出した。その血を見てもアドネは憎みも嫌いもせず、戦った印として受け入れていた。

エレバスは自分の未熟さを知った。成績に囚われただ優秀であった自分の心の未熟さを知った。たった一つ上のアドネが自分の進む先を見据え走っているのに対しただ手前の能力と経歴を拾い歩いているだけの自分が恥ずかしくなった。

「もう一つ、伺いたいことがあります」

「はい、なんでしょうか」

アドネは自分の意思を揺るがすつもりはない。それはもう理解した。しかしまだエレバスには聞きたかった『あの日の終盤』から気になっていたことがあった。


「貴方は誰ですか?」


アドネははっと驚いた後、上品で悪戯心に満ちた目をしていた。

「さぁ、誰でしょう?」


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空が橙に染まる頃、エレバスは病院を後にした。

『彼』が笑ったほんのわずか後、自ら腹を殴ると笑みは消え涙を浮かべるアドネが現れた。


「えっと、どちら様?」


ずっと気を失っていたらしい。面会終了時間までのほんの僅かな時間、アドネは自分の持つ特殊能力と呼ぶべき技能をエレバスに教えた。


「文から人生を生み出す」


魔法ではない多重人格や口寄せの類だと理解した。


『それで、惚れたのか?』


聞き慣れない言語、嫌いな声を聞いた。

『惚れませんよ。ただ憧れているだけです』

エレバスの前に現れたのはどうも受け入れられない鬼畜外道の者。彼の話している事を知りたかったから『言葉』を覚えたのであって『彼女』と話すつもりは微塵もなかった。

その者は銀の髪をはためかせ言葉を並べる。

『それはよかった。あいつに恋慕はまだ早い』

『あなたこそ師弟と見せかけて誑(たぶら)かすつもりなんじゃないですか?』

顔を合わせる事もなく極東の言葉での言い争いは寮に着くまで続いた。

『修行だ鍛錬だ、ってそればかりじゃまた入院することになりますよ』

『あいつは君が思っているほどやわな男じゃないぞ』

『それは貴方が…』

『安心しろ。私は引き際のわかる女だ。それじゃあおやすみ生娘』

男子寮に姿を消した少女は最後まで笑っていた。


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「あのさぁ君、人の体好き勝手するのやめてくれない?」


「……」


「うっわー黙りんこだ!良くないんだー!そういうの罪を認めてるのとおんなじなんだー!」


「…わしゃぁない」


「嘘つきだ!日本では嘘ついたら針千本飲ませるらしいね。でもここ病院だしメスの方がいっぱいありそう」


「おまん何言うとるがか」


「…え?」


「儂は寝とったど」



「……え?」





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