第9話 確かな自分を持つ者
ただ刀を振り続けたかった。ただ気持ちよく、ただ強く刀を振り続けたかった。
斬るのも護るのも誰でもいい。より強くなれるなら━━はついていく。
それでも弱かった。━━の剣は、━━の一生は呆気なくて
くるりと回った空は澄み切っていた。
あぁ、儂の最後は…、いいや、儂は最後まで弱いままだった。
━━━━━━━━━━━━━━━
何が起こっているのか分からなかった。
首が宙を舞って繋がった。確かに自分はここに居た。
じわじわと思い出すように埋められていく記憶。しかし目の前にあるのはただの文。
手も足も動かない。声も目線も別の『誰か』の物のようだ。記憶が次々に埋まっていく。思い出すではなく『たった今知った』様に埋まっていく。
性格はあやふやで考え方も混ざった『誰か』と『誰か』の常識と心持ちと生き方をまるで自分のもののように取り込んでいく。
目線の先にはただの文字列しかない。けれど『誰か』はそれを自分の過去にする様に読み進めていた。
『その前日』は何をしたか、何を思ったか、何を食べたか。抱いた女はどうだった、酒の味はどうだった。
真実か否かはわからない。けれどその妄想は辻褄を合わせられ、確かな過去へとすり変わっていた。
しかしその人生と呼ぶべき記憶が、奇天烈で波乱万丈な人生が軽く『二万年続いていた』。
まるで違う性格、まるで違う境遇、まるで違う最期。
死んでいるはずなのに生きている。
わからない。こいつは『誰』なんだ。今体を動かしているのは、こいつが持つ本当の過去はどこにあるんだ。
なぜこいつは正気を保っていられるんだ?
二百人の人生を自分の過去とし、快楽も悦楽も恐怖も哀傷も絶望も栄光も蛮行も悪逆もその全てを自分に宿しその全てを自分の中に収めた。
ぐちゃぐちゃで一切の過去が見えない。ただ『こいつ』の中には一つだけ、確かに『こいつ』の物があった。
感情は他人のもの、表情は借りたもの。
考え方は模倣したもの。その全てを纏める細く触れれば切れそうな程硬い刀のような糸。それがこいつが持つ最後の自分。
サムライになりたい。
ただその一言が塵のような自分を確かに残していた。
『自分』が消えてなくなってもいい。だから『自分』
をサムライにしたい。
それを知った時、ただの信念だと知りながら死よりも深く恐怖した。
本を読み、考える。一人の一生が一本の糸ならば、『こいつ』の人生はどんな形をしているのだろう。
過去を集約した糸の大木はやがて枝分かれを繰り返し細くなり葉をつけるだけのただの機関となる。
それを許さないように『彼』はいつまでも一人を保った。
君か為 尽す心は 水の泡 消にしのちそ すみ渡るべき
過去の自分、それは人が恋しく、ただ一人死に行くことを憂いた辞世だった。
彼の人生の一部であり、自分の人生の本当の終わり。
彼の中の『儂』はそれを忠実に再現されていた。
それが最初のささくれのようなものだった。
儂は死んだ。確かに死んだ。終生は虚しく人を求めるただの軟弱者だった。けれどあの一生を終えて考える時間があった。自分がもっと強ければ、ただ一人で強くあれば、人など気にしなければ高みを目指せたのではないか。
死んだことを過去にした自分、死んでなお自分であり続けた儂。
その違いから次々に『彼』と儂が乖離を始めた。
━━━━━━━━━━━━━━━
『お前(まん)と儂は別人』
『儂は以蔵、岡田以蔵じゃ』
それが誰か、どういう人物か、それは『彼』よりアドネがよく知っている。何度もその人生を繰り返して、本人よりも深く理解していた。
しかし没してアドネに繋がった『彼』の人生と没して尚以蔵であった彼ではまるでその在り方は違っていた。
この剣の先を見たい。
アドネの道を歩む決意。それは確かに彼の本音であった。しかしそれこそがアドネと以蔵を分ける言葉となった。
ただの人斬りの鬼であってもこの剣の先が見たい。
ただの人斬りの鬼であってこそこの剣の先が見たい。
強く生きる事を選んだアドネ。
強い人斬り刀であることを選んだ以蔵。
言葉では小さな差異。しかしそれは根本的に違う。
人を斬る事を諦める刀と人を斬ることに酔う刀はまるで違う。
『儂は儂の剣が好きや』
自分の師を前にそれを無視し何処でもない自分を睨みつける。
『おまんはどうじゃ。目指すんはいっつもせるりあせるりあせるりあ』
目の前に立っている訳でもない。けれどその怒りを孕む眼光がアドネを突き抜ける。
『背中だけ見て追いかけて。対策やら弱点やら気にして、サムライ目指すんやないんか?自分の剣持たんなら儂の刀は貸さん』
『彼』は笑う事無くするりと消えていく。
残されたのは何も言わないセルリアと体の軋むアドネだけ。
彼の言うサムライ、それは確固たる自分を持つ者という意味だとアドネは理解した。しかしそれが自分にあるのか、それはどうも頷けるものではない。自分を殺すことで自分を保とうとしたことは必要だったと思う。真似してここまで強くなれたことは事実だ。
しかし今の自分がセルリアや以蔵に届くとは到底思えない。独創性と利便性の合間、『己の癖を磨け』と言われている。セルリアの指導よりも何倍も難しい。
『セルリア、もう一回お願いします』
『ああ』
『ちょっと待って』
アドネは部屋の片隅に置かれた遺物、優男の十文字槍をセルリアに渡した。
『これで、お願い。殺す気で』
自分を自分色に染める。彼はようやく自分の道を歩み始めた。
『わかった。では行くぞ』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます