第3話 食人鬼
ずっと色んな場所を歩いた気がする。何年生きたか幾つの世界を渡り歩いたか何も覚えていなかった。
私の最初の記憶、それは六本の腕と四本の足を持つサムライに拾われたことだ。
剣を教わった、生き方を教わった。
けれど後に現れた弟弟子に我々の生き方は歪んでいると笑われた。
弟は雹(ひょう)と名乗り、サムライを神様と呼んだ。
二人は私に『幸せ』を教えてくれた。食事入浴掃除洗濯、過ごしたのは古びた神社だったがいつも綺麗にしていた。
私は二人が大好きだった。優しくて生活に色をくれる。いつか二人のようになりたい、ずっとそう思っていた。
家事を覚えた、二人のように剣を振った。いつか二人に追いついたら旅に出よう、二人が私にしてくれたことを私も誰かにしよう。雹はそれを『夢』と呼んだ。
幾つも季節を跨いでその日は来た。鳥居の前に立つと雹は私を止めた。
「外に出たら苦しむよ」
雹の言葉はいつも正しかった。けれど
この先に一人でも手を伸ばす者がいるなら
「私は━━━━━━━━」
雹を押し退け鳥居を潜った。
子供を助けた。
女を助けた。
赤子を助けた。
私に銃を突きつける者がいた。
私を犯そうとする者がいた。
戦場、街、城、都市、色んな世界を歩いた。けれどどの世界でも誰かに剣を向けていた。
当然言葉なんて通じない、当然何を求めたのかわからない、けれど私は私の信念を通したつもりだった。
見た事のある場所だった。最初に子供を助けた廃屋、けれど子供は居らず子供だった物が転がっていた。
腕を捥がれ、目を貫かれ、腸(はらわた)を引きずり出された、目を見開いた死体(こども)。
私の行動は自己満足に過ぎなかった。私が救わなければ殺されなったかもしれない、こんなにも苦しまずに済んだかもしれない。
誰も救えない、私の夢は叶わない。泣く間も待たず誰かが私を呼び出した。
誰かを失うことが怖かった。これ以上自分を憎むことが怖かった。また私のせいで誰かが死んでいく。
私なんて最初から居なければ━━━━━。
何度も自分の首を断ち切った。何度も殺された。けれどいつの間にかまた私は生きていた。感覚も絶望もそのままにまた私は立っていた。
剣を握るのは楽しかった。誰かを救う為誰かを殺すことに疑問など持たなかった。
とっくに壊れていたんだ。血を以て命を頂くそんなもの人の生き方ではない。だから神様は神社に篭った。だから雹は神様と呼んだ。悲鳴、憎悪と恐怖の目、何十回も何百回も浴びたそれは少しずつ私を狂わせていた。
もう帰りたい、もうどこにも行きたくない。もう誰も殺したくない。そう思っていても苦しみから逃げる生き方を知らない、
痛みから逃れる為人を斬った。苦しみから開放される為に人を斬った。
斬って斬って斬った先に待っていたのはただの自己嫌悪とそして誰も求めぬ殺人鬼。
怯え、怯え、怯えて人から逃げる毎日を続けた。
雪の積もるただの森。そこで初めて言葉のわかる少女と出会った。
私より少し背の高い少女は廃村のような集落へ導いた。誰も彼も痩せ細り今にも崩れそうな家屋で体を震わせていた。
畑の不作と疫病の蔓延。大人は次々に床に伏せ冬の山に狩りに行ける男も大人もいなかった。
「越冬は出来ないってさ」
少女は暗い目をして私を見つめた。
「お願いがあるの」
私の剣を見て頭を下げた。
「村の人々を救って欲しい」
けれど私は断ることしか出来ない。
誰かを救いたい、誰かの為になりたい。そう言い続けた、そう願い続けた私はもう走る力も残っていなかった。
少女はそれならばと言って、ナイフを取り出した。
「私の肉をあげる」
だから、腹を満たしたら、力を取り戻したら、熊でも猪でもいい。その剣で村のみんなを助けて下さい。
少女は震えた手で首に刃を突き立てた。
今、私がこの子を食べたらこの村を救える。救ってみせる。けれど食ってしまったら私にもう戻る道はなく、己は人ではなく鬼と呼ぶ他ない。
もう、何もわからなかった。侍の道を歩いたつもりだった。誰かの願いを叶えるはずだった。けれど叶える方法はもう人の肉を喰らう他なかった。
村を一つ救った。けれど私にはもう自分を愛する方法などなかった。
何度も世界を跨いだ。もう私に人を殺せる「ほど」の心はなかった。
それでもただ一言、私は一言の言葉に縋った。誰か理解ができて、誰かの恨みを買って、誰か私を殺してくれる人を探して。
『何を殺せばいい』
早朝の研究室、私の前に立っていた君は言った。
『僕にその生き方を教えて欲しい』
名乗るより先、少年は私に頭を下げた。
『苦しむぞ』
『まだ僕はその苦しみを知らない。けれど貴方がそう語るならきっとそうなんだろう』
『僕が夢見たサムライがその苦しみを知らないのか、その苦しみを越えた者なのかはわからない』
『でも僕は諦めたくない、苦しくて死にたくなる日が来るとしても』
『僕は貴方の隣を歩きたい』
自ら血の海に飛び込もうとしている少年がいた。
剣を振るのが好きだった。蹴鞠も竹馬もあった、けれど神様の隣で剣を振るのが好きだった。
神様に表情なんてない、それでもその時だけは嬉しそうに見えた。
「『鴇』、無理に付き合う必要なんてないんだ」
神様は何度も優しく頭を撫でてくれた。
好きに生きなさい、そう聞こえる言葉を何度も言っていた。
「神様、私は」
「私はこの剣の先を見たいんだ」
歪な生き方だということは最初に教わった事だった。
私たちが生きられる世界など島国の一時(ひととき)以外に存在しないことなんて最初から知っていた。
それでもこの世界に私を求める者がいるならば。目の前の少年と同じ目をした私を思い出した。
『私は侍でも何でもない。生きる為屍を積み肉を食ったただの食人鬼だよ』
『けれど、君の前だけは、この一時だけは人として、侍の成れの果てとして、君に道を示そう』
弟を押し退け、もう戻れぬと分かっていながら少女は言った。
「私は」
誰かを導く剣となりたい。
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