第2話 HITOKIRI
部屋、というより書庫そう呼ぶ方が正しいだろう。私の主兼弟子となった少年は校舎に隣接された寮へと私の手を引いた。
山のように積み上がった『日本語』で書かれた過去の記録。『平安』や『明治』と書かれた文献。民族性、文化、なにより兵法と武士の偉人伝ががほとんどを締めていた。
『…なぁアドネ。これ全部読んだのか』
少年は顔色ひとつ変えず頷いた。
今はそれをまとめている。そう繋げた。
どうやら私の弟子は恐ろしい人間のようだ。
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一日の講義を終えた直後、セルリアは僕の手を引いた。昨日の試験を行った室内演習場に着くとセルリアはさっそくと言わんばかりに背負っていた大剣の刃先を僕に向けた。
『ほれ、棒を持て』
『ちょちょちょ、なにいきなり怖いんだけど』
セルリアは首を傾げながらも大剣を下ろそうとしない。
『何って、昨日言っただろう』
『か弱き童だと思っていたが飛んだ怪物だったんだな』
『怖いこと言わないでよ』
『しかしそれならば話は早い』
『え?なんの話?』
『アドネ、君には一日に十年の時を過ごしてもらう。
何、書の中で千年の時を超えたなら簡単なことよ━━━━━━━━━━』
『昨日言っただろう。明日から剣を教えると』
『言ってない言ってない!何か教えてくれるのかなとは思ったけど剣とか今聞いた。それもいきなり真剣とか全然聞いてない!』
『一日十年だぞ?真剣でやるに決まっているだろう』
え、なに僕やべぇ奴呼んじゃった?
『一度目の練習だ。時間が無い始めるぞ』
木刀を放り投げ、剣を持って迫るセルリア。結局三時間切った貼ったは無かったものの、そのギリギリと言えるほど殴られ蹴られ、木刀は一度たりともセルリアの体に触れることは無かった。
夕食を終えると二度目の練習が始まった。二度目は僕の部屋で近い間合いでの立ち会い、何度打ち込んでもセルリアに触れることは無い。腹を殴られ三度吐いた。
それからひと月が経ち、曰く僕は剣歴三百年を超えた。朝、夕、夜、一日三度の練習、食べても吐いて、一度胸を切られたこともあった。そこまでしても僕の木刀はセルリアに届かない。
『もう良いか』
そんなある日、ふと山を見つめ呟いた。
握っていた鉄塊を背負い、ついてこい、そう言って部屋を飛び出した。
針葉樹の森、道無き道、というより土の坂を登ってゆくと古びた山小屋を見つけた。ずっと放置されていたような今にも崩れそうな山小屋。
僕がセルリアに追いついた時にはセルリア以外に五人の姿が見えた。
袴を纏い、槍を持つ男たちは鋭い殺気を放っていた。
『うちの弟子に何か用か』
━━━━━━━…えっ僕?
答える事無く一人の男がセルリアを突いた。
少なくとも僕にはそう見えた。見えたはずなのに槍は穂先が地に落ち、セルリアの鉄塊が男の腹を貫いていた。
『もう一度問う。うちの弟子に何か用か』
血を払うように鉄塊を薙ぐと、大穴の空いた死体は簡単に裂け、僕の前に落ちた。
初めて殺気を浴びた。目の前で弓を構えられた様な恐怖が僕に襲いかかる。
『なに、もう見つかったの?』
遅れて小屋から出てきた男は頭を搔きながらでも他の男達とは段違いな威圧感を感じる。
『お前が頭か、して何用だ』
『あー、そっちから来てくれたんか…。あのねあんた達の学び舎にある国(うち)の記録、全部返して貰いたいんですわ』
軽い口調で日本語を話す彼は笑顔でつらつらと話す。
『あれはうちが何十年何百年殺して殺されてを繰り返してようやっと出来た魂そのもの。それまで模倣されては困るんよ』
『ふむ、私に学び舎の所存を決める権利はない。それにきっと無駄だ』
『でしょうねぇ。お弟子さんの頭ん中に全部残っとるから、でしょ?』
『そうだ』
『ならそんな頭蓋、砕いてしまえばええんですよ』
その言葉さえ、笑って言い放った。
同時に四人の男が槍を前に走り出した。
『アドネ』
セルリアは気にせずこちらを向いた。嫌な予感がする。
『私はこれ以上手を出さん。お前だけでこの状況、切り抜けてみせろ』
そう言って歩いて下がり隠れもせず仁王立ちでこっちをじっと見ている。
『…絶対こうなるって思ってた』
四人の男は槍を放つ、触れれば簡単に肉を割く槍を何度も何度も。「お前を殺す」目の前で何度も叫んでいる様だった。
木刀を振り始めて十日目、少年は二十に一度少女の攻撃を躱す様になっていた。それも日を重ねるごとに十五に一度、十に一度と、増えていった。少女は全身で剣を振るい、剣を軸にして体を振るう。どの方向から何が来るかわからない。それに対し目の前の者は槍に自信があるように見えた。少年は軽々と槍を掻い潜り、四つの顬(こめかみ)を木刀で叩いて見せた。
少年はこの域を三日目で既に超えていた。
殺気を感じない、いいや殺気など放っていない。少年に殺すつもりなどない。
『いやぁ、強いね君。家の上五人を連れてきたんだけどな』
人は簡単に死ぬ。槍を持つ男も、木刀を握る少年も分かっている。
『こりゃ、国(うち)帰るしかないかなぁ!』
言葉とは裏腹に男は前に進む。速く鋭い十文字槍は的確に意識外を狙い、初めて少年の血が流れた。
槍も身のこなしも何もかも先の者とはレベルが違う。
少年が持つのは木刀、急所を狙うもこの男には難しい。なにせ、少年に殺すつもりなどないのだ。
人は簡単に死ぬ、ならば殺さぬ術を探る他ない。
男は既に気づいていた。目の前の若造が人を殺した事が無いことを。
━━━━━━━━易い。
あっさりと木刀をへし折り、少年の腹を貫いた。
セルリアの様に振り払うと少年の体は簡単に宙を舞いボトンと大きな音を立て地に落ちた。
痛い、痛い、槍の切れ味は凄まじく骨には届かなかったものの滝のように血が落ちていく。
武器はない、体ひとつで勝てる術などない。少年にあるのは三百年の剣技と「ただの知識」のみ。
武器が、刀があれば。
武器があればどうする。
この状況を変えられる。
いいや、変わらない。僕に人を切る度胸などない。
…。
なぜ生きようとする。死ぬのが怖い?それともせるりあの期待を裏切るのがイヤ?
……夢に届かないのが悔しい。
ほう?辿り着く先が━━━━━━━━━━
ただの人斬りの鬼だとしても
僕はこの剣の先を見たい。
少年の口は醜く歪み、血に手を落とした。
『りぷろだくしょん』
訛り、南蛮の言葉を唱えると、鮮血の魔力が反応を起した。
『儂を思い出せ』
少年の頭に声が響く。
魔法とは過去の現象を模倣する学問なり、なればこれを魔法とは呼ばない
血液で刀を鍛えるなどそんなもの、過去に存在しないのだから。
初めて妖を見た男の笑顔に焦りが浮かぶ。
少年が握っているのはただの脇差、しかし人喰い鬼を前にしている様な威圧感。
槍を薙いだ先待っていたのは首ではなく抜かれた刃であった。
其れは知識と妄想、研究と理想の結晶。
其れは限りなく本物に近い紛い物。
其れは天誅の鬼、人斬りの刀。
『刀銘、肥前忠広』
先程まで殺す事を恐れていた少年の目が変わっていた。何度突いても、薙いでも払っても全て受け流される。
そして懇親の一突きが空を裂くと、一瞬で背後へ周り、両足の関節、両腕の関節に刃を入れ、切っ先を向けるように刀を構えた。
その目をよく知っている。武の道を駆け抜ける事を決めた、曾祖父様の様な…。
脇差は簡単に男の腹を貫いた。刃は背中まで届き数刻の後男は死に至った。少年は血を払い脇差を鞘に収める。
『まだまだじゃのぉ』
少年の口から言葉が漏れ、次に血を吐き倒れた。
━━━━━━━━━━━━━━━
お目覚めは重い一撃だった。
病室にバチーンと音を響き、最初に聞いたのはその音だった。
目の前には第二撃を構えるセルリアの姿。
『待って待って!えっ?なに意識失ったけが人平手打ちで起こすってちょっと人の道外れすぎじゃない?』
『なんだ、拳が良かったか?』
『勘弁してください』
頭を下げ、状況を聞いた。
僕を山から引きずり下ろし、学校の医務室に運ぶも直ぐに病院に移送され即手術。その間に先の日本人計六人(内死人二名)を捕縛連行。病院に戻ると手術が終わっていた為平手打ちをした。
『やっぱ人の道外れてない?』
『まだ寝足りないか?一度寝かしつけてもう一度起こしてやろうか?』
『…冗談ですよ。ははは』
起こされるのも怖いけど寝かしつけるもどういう手段を取るのか考えるだけでも怖い。
『それより』
セルリアの手が顔に迫る。また平手打ち?
しかし小さな手が額に優しく触れた。
『よくやった』
それは初めての賛辞であった。
『私の手からよく芽生えてくれた』
笑いはしないものの優しい目をしていた。
初めて人を殺した。まだ肉を切った感触が手に残っている。
『ずっと聞きたかったんだけど』
『なんだ』
『セルリアはなんでサムライになったの?』
セルリアの手がピクリとして止まった。
『私は侍ではない。ただのよく知る者だ』
『サムライじゃないの?』
手をぎゅっと握り、俯いて吐き捨てた。
『……あぁ、いつか話さねばと思っていた。私がどういう存在か』
『私は侍でも何でもない。生きる為屍を積みその肉を食ったただの食人鬼だよ』
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