第36話 逃走 Escape!! 04
スピリトゥス。その言葉の意味を――ぼくはようやく思い知らされるのだった。精神、か。しかし機械に精神を――正確に言うと魂を――注入することで何のメリットが得られるのだろうか? 正直、さっぱり分からない。機械は普通ならばプログラミングで動かすことが出来るのだろうけれど、それで構わないのではないかと思ったりする。もしかしたら、魂を入れた方が管理しやすいのか? より人間に近づかせた方がメリットでもあるのだろうか。
「正確に言えば、それよりも……人間の進化に向けた第一歩と言った方が正しいでしょう。人間は、いえ……、どの生物でも言えることですが、同じ生物を作ることが出来ます。それは胎内で――或いは卵を生みつけることで。しかしながら、それはあくまで元々出来ていた構造を、そのまま借用しているだけ……。つまり一から生物を作り出すことは敵わない。それが今までの歴史だった」
しかし。スピリトゥス5号は続けた。
「人間がもし仮に魂を作り上げて、全く無の状態から人間の肉の器を作り上げて……、それを合体させることが出来たら? それこそまさに創造で、神にしか成し得なかったことなのですよ。そして、それを実現させることが出来れば……、人間は神に近づくことが出来る」
妄想だ。
人間は人間であり、出来ることは限られている。そりゃあ、人間が考えたことは実現出来るなんて話も聞いたことはあるけれど、だとしてもそれには限界がある訳だ。そして、その限界を越えるべく頑張ろうとしても――、やはり限界はなかなか越えられない。簡単に超えられてしまうのなら、それは限界ではないからだ。限界は超えることが難しい。だから初めてそれを限界と呼ぶことが出来るのだから。
人間が持っている限界というのは人それぞれで、勿論誰もがそれを乗り越えられるとは思えないのだけれど、努力の度合によっては乗り越えられるかもしれない人は出て来るのかもしれない。出て来ないと、それこそ人間の進化は止まってしまう。
そして人間という生き物は――この惑星に台頭してから様々な技術を実現して来た。少なくとも人間は世界最強の生き物ではなくて、寧ろ弱い部類に入るのだろうけれど、それを技術で補ってきた。例えば肉食獣が居るならば、彼らが怖がる火を使えば良いのだし、空から落下してしまうのなら、安全に降下出来るパラシュートを装着すれば良い。そうやって人間は様々な技術を開発し――それを人間の安寧のために提供して来た。全ては人間がより良い生活をするためであって、人間がより進化していくためでもあった訳だ。
中でもブレイクスルーは何度か訪れている訳で、その直近の事例がスチーム・タートルの実現なのだろう。壊れてしまった世界に定住はせず、安寧の地を求めて旅をする――。かつてはこういう部族も居たようだけれど、科学技術の発展で衰退しきってしまった。そう考えると原点回帰とも言えるのかもしれないし、言えないのかもしれない。
「……ここに住んでいたのは、わたし達スピリトゥスの管理者。総体とも呼ばれる存在です。わたし達スピリトゥスは十体……バックアップやダミーを入れると二十体近く居ます。そして、それぞれがそれぞれのスチーム・タートルで管理をしていました。けれど、それを管理する存在が必要になる訳です。マスターキーみたいな存在とでも言えば良いでしょうか。その存在は……、ここにずっと住んでいました。いや、正確には……幽閉されてきたのかもしれません。わたし達も同じで、最初から自由などないのですから」
自由などない。確かに、それはその通りなのかもしれない。実際、スチーム・タートルを管理していくならば、そこで自由を持たせてはならないだろう。科学者がどうして魂を注入しようとしたのか、ということについては疑問が残るけれど、しかしながら、それを解消する一番の答えはそういうことなのだと思う。
要するに、奴隷。
この世界のために生き、この世界のために死ぬ。
それは間違っているようで、正しいようで、やっぱり間違っている。
事実として正しかったとしても、倫理的に間違っている。
「……自由がないのなら、どうしてあなたは今ここに居られるの?」
メアリの問いに、スピリトゥス5号は頷く。
「……それについては、色々と語るべきところもあるでしょう。しかしながら、それが出来るかどうかと言われるとやっぱり難しいところもあります。それが出来るのか……出来ないのか。自由がないのなら、自由が欲しい。生きていく上で自由がないのなら、それは人間ではなくて――機械と変わらない。たとえ魂があったからといって、雑に扱って良い訳ではない。魂があるのなら、人間として扱うのなら、わたし達を人間として認めて欲しい。そして、自由が欲しい。そのための第一歩を歩むために……」
スピリトゥス5号は、振り返る。そしてぼくにある物を手渡した。
「これは?」
「これは、カードキーです。マスターキーとまでは行かないですけれど……、少なくともここの施設の職員が使えるものですから、色々な場所に入ることが出来るはずです。そう、『彼女』が入っている部屋ですら――」
「彼女って……プネウマのことか?」
「わたし達は最早スチーム・タートルに紐付けられていて、逃げ出すことは出来ません。遠く離れてしまうことは、スチーム・タートル――その都市の崩壊を意味します。けれど、管理者として定義された彼女ならば……、きっと逃げることは出来る。彼女は未だ幼い。わたし達のように寿命が短いとも限らないはず……ですから」
「どういうことだ?」
「わたし達『スピリトゥス』は、急激に成長を早めたことで人間のDNAに悪い影響を与えています。当然ながら、子供を残すことも出来ませんし、普通に人間として暮らしていくことも出来ないでしょう。それぐらいに、ダメージを与えているのですから」
ということは……、人間として認められていないということだよな。それは確かに人間であるぼくとしてみては、やっぱりおかしい話ではあるのだろうけれど、あくまで普通に生きてきたぼく達はそれが当たり前だと享有していた訳であって、いざそれを奪い取ろうと思ったって、それをどうすれば良いのだろう? なんて思ったりすることもあるのだ。
問題は山積している――けれど、目の前に困っている人が居るのなら。
「……依頼ということで良いわよね?」
「え?」
スピリトゥス5号は、予想外の言動に首を傾げた。
そうだよ。
目の前に立っている
「わたしは探偵。正確にはこんなことはしないのだろうけれど……、でも依頼を受けたならどんな依頼だってこなしてみせるわ。それをプライドとしてやってきているのだから。小さいことなら犬の散歩、大きいことなら銀行強盗を逮捕まで、何でも御座れ……になる予定。その第一歩として、是非依頼を受けさせてもらうわ」
でもそうなると報酬は?
「ああ、そうだ。言っておくけれど……、報酬は後払いで良いからね」
「え?」
「プネウマちゃんだけ助けるなんて器用なことは出来ないの。……どうせ助けるなら、皆助けた方が良いでしょう? ハッピーエンド至上主義者なのよ、わたしは」
簡単に言うけれど、そんなこと出来るのかよなんて思ったりもした。
けれど、それを簡単に言ってのけるのがメアリなんだよな。
ぼくはそう思いながら、深々と溜息を吐いた。
「……こうなったら、乗りかかった船だ」
そして、それはリッキーもヒーニアスも同じようで……、ぼくが目線をやると頷いていた。
さあ、やってやろうじゃないか。
人間は蟻を踏みつけるだけかもしれないが、蟻が噛み付くと少しは痛い。
その痛みを、巨人に教えてやろうぜ。
そうして、プネウマ奪還作戦が――幕を開けた。
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