第34話 逃走 Escape!! 02
スピリトゥス5号の後をついていくだけだったけれど、廊下は至ってシンプルな構造をしていた。白い壁が延々と続いていて、時たま扉はあるようだけれど、誰かが居るような気配もない。まさかここの施設は全て自動化が進んでいるのか――なんて思っだけれど、さっき研究者がどうのこうの言っていたのを思い出したので、やっぱり誰かは居るのだろう。それがメンテナンスのための人員か、ほんとうに研究をしているのかは疑問ではあったが。
「ここは、世界の最先端。……いや、異端とでも言うべきでしょう。人間には、魂と肉体に分離出来ることをご存知ですか?」
「何でいきなり哲学が始まるんだ……? まあ、それはさておき確かにそうなるんだろうな。実際、それをどう分けるのかって話だが」
「スチーム・タートルは、機械で出来ている。つまり、魂を持ち合わせていない。プログラムによって管理されている訳です。……ですが、それは厄介なところがあります。それは、スチーム・タートルが生まれてから……仕組みを変えたくても変えられないということ。そして、人間のもう一つの課題がありました。……それは何だと思いますか?」
何だろう……、不老不死とかかな?
「近くて遠い……そんな感じですね」
スピリトゥス5号は頷いて、さらに話を続けた。
「……神に出来て人間に出来ないこと、それは生命の創造です。いや、正確には出来るのでしょうけれど、あくまでそれは神が作り上げた機構を使っているだけに過ぎなくて、百パーセント人間の力で作り上げられるとは言い難い。……では、それを実現するにはどうすれば良いでしょうか。肉体だけなら、簡単に作れます。色々な物質を混ぜ合わせれば良いのです。でも、人間には作り上げられない物がありました。それが――」
「――魂?」
メアリは言った。
「……そう。魂です。魂というのは目に見えない物……。それでいて、作り上げることが出来ない物です。データであればコピーして、それを改良すれば良いのです。プログラミングであれば、言語を習得さえすれば書き記すことは出来るのです。先人が用意したコンパイラ――翻訳機能を使えば良いのですから。しかし、魂だけは作り出せなかった。魂を作ることは、今の人間には……出来なかったんです」
立ち止まる。そこにあったのは、鉄の扉だった。カードキーを差し込むところがあったけれど、スピリトゥス5号はそれを持っていたのか、カードを差し込むとゆっくりと扉が左右に開き始めた。
「しかし……、人間はある『落し物』を見つけます」
「落し物?」
「それは隕石でした。隕石の中にはカプセルが入っていて……、そこには小さい生物が入っていたそうです。この世界の人間とは大きく違う存在でした。それを解析したところ……、どうやら別の世界から……やって来たのではないかという結論に至りました。パラレルワールド理論、聞いたことはありませんか?」
聞いたことがない――と言えば嘘になる。パラレルワールド理論はかつてあった大きな戦争中にある科学者が提起した理論だったと思う。要するにこの世界とは違う世界が何処かに存在していて、いつどのタイミングでその二つの世界が混じり合うかわからない――と言ったものだ。混じり合った世界は一つに溶け合うのかすらも分からない。そして、別の世界はいつ消滅するのかも分からない――そんな理論。だが、はっきり言ってそんなものは観測しなければ認知出来ない訳であって、要するにその理論は学会で発表されたけれど、世界的に失笑されたのだと言う。まあ、当然と言えば当然か。こちらが認知出来ないのならば、どんなことだって言える。机上の空論という言葉がお似合いだ。
「……パラレルワールド理論が、時を経て証明されたとも言えます。そしてデータを解析したところ……、その世界は滅びかけていて、別の世界に脱出するためにその装置を使ったんだとか。その装置は……、空間の壁を破壊して別のパラレルワールドへ行くことが出来たらしいのです。莫大なエネルギーを使うようでしたがね」
「……パラレルワールド、ほんとうにそんなことが有り得るのか……?」
しかし、現実に起きているのだ。そのことについては、多くは語らないというニュアンスなのだろう……。だとしても、そんな理論は聞いたことがあっても、実際にそれが証明されたなんて話は聞いたことがない。もしほんとうならセンセーショナルに発表されてもおかしくないのに……。
「パラレルワールドが見つかったとき、それを発表することはしませんでした。ですから、パラレルワールドなんて実在しない――なんて思うのは致し方のないこと。だって知らないのですから」
扉が完全に開かれる。そこは研究室のようだった……。試験管を大きくしたようなガラス張りの水槽に、緑色の液体が満たされている。何かそこで飼育していたんだろうか? だとしたら、あまりにも数が多い。中央にある廊下から見て、右方と左方の両方にガラス張りの水槽が敷き詰められているのだ。これだけ大きければ、実際に飼育していたのは動物なのだろう。それも、人間かそれより大きいぐらいの。
「パラレルワールドからやって来た来訪者は丁重に迎えられました。異世界ではありますから、言語は違っていたのでしょうけれど……、何故だかその壁は取り払われていたようです。もしかしたら、バイリンガルの機能があったのかもしれません。パラレルワールドにやって来ることが出来るぐらいの技術があるのですから、それぐらい朝飯前だったのかもしれません。……そして、パラレルワールドからの住民は、この世界に様々な技術を教えました。ただし、タイムリミットもありました。パラレルワールドに帰るための莫大なエネルギー……、それを充電するまでの時間が、タイムリミットでした。そして、この世界に技術を教える代わりに、その人間が居た世界を救うために必要な物を持ち帰ることにしました。そういう交換条件があったからこそ、その人間もそれに応じたのでしょう」
「……スチーム・タートルの立ち上げには、彼が居たから出来たということか?」
彼女なのかもしれないけれど、この際性別はどうだって良い。
確かに歴史書でも書かれているのだが……、スチーム・タートルの実現について技術力のブレイクスルーが起きていたと書かれていた。今まで人を載せたまま移動する『移動型都市』というプランは幾度となく生み出されてきたが、技術不足で何度も頓挫している。そんな中でもそのプランが出て来るというのは、やはり人間の住む環境が問題だったのかもしれない。
スチーム・タートルでの移動に慣れてしまったから想像出来ないのだけれど、昔はあまり家を移動しようなんて価値観には至らなかったらしい。それこそ家を持たなかった人間や、仕事で家を引っ越す人間は居たらしいけれど、それはまた別問題。大半の人間は引っ越そうなんて簡単に思わない訳で、要するにそこで暮らすことには幾つか我慢しなければならないことがあった――ということだ。その最たるところが、気候。かつてアジアと呼ばれていた地域、その極東にあったとされる島国では、四季と呼ばれる季節が存在したと言われている。暖かい季節と暑い季節、涼しい季節と寒い季節の四つがあったと言われており――だから四季なんだろう――、その四季を楽しむことがその国の人間の価値観だったらしい。だが、人間が生きていく上で気候の問題をどう解消すれば良いかとなったら、例えば暑い季節は空気を涼しくし、寒い季節は空気を暖めてやるなど、空気の温度を一定に保ってやれば良い。そして、それを実現するならば――だったら移動して人間が過ごしやすい場所に一年中居れば良い話ではないか、という話題が上がってきて動き出したのが、スチーム・タートルだと言われている。まあ、実際にはそんな楽観的な理由だけではなく、環境問題や資源問題といったマイナス面もあるのだろうけれど。
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