第4章 逃走 Escape!!

第33話 逃走 Escape!! 01

 頬に何か冷たい感覚を感じて、目を覚ました。同時に――自分が壁に押し付けられているのだと――いや、違う。壁じゃない。重力が壁に向いているということは、これは壁じゃなくて床だ。コンクリートで出来た灰色の床に、横たわっている。起きあがろうとするも、両腕は縛られているのか動かない。頭がズキズキする。……何だ? いったい何があったんだ? ぼくは今まであったことを思い返そうとすると――。


「……あ、そうだ」


 ぼくはコーヒーを飲んでいたんだ。あの喫茶店で。そして、喫茶店にやって来た謎の男達に殴られたか何かで気絶させられて――今ここに居るということか。

 だとしても、ここはいったい何処なんだ? 頭の中に疑問符ばかりが浮かび上がっているのだが、一先ずそれよりも先にぼく以外の――メアリやリッキーの安否を心配しなければなるまい。


「……あんたが一番最後よ、ライト」


 声を聞いて、ぼくは振り返る。そこに居たのは、メアリとリッキーだった。それに……ヒーニアスも居る。三人仲良く両腕を後ろに回されて縛り付けられていて、不満がありそうな表情を浮かべている。


「そりゃあ、こんな状況で不満を抱えないのなんて、マゾヒストぐらいしか居ないわよ。……それはそれとして、ここはいったい何処なのかしら? 電子時計は没収されていないようだけれど、確認したら圏外だし……。もしかしたら何かしらのアプリを強制インストールされたり、ウイルスが紛れ込んでいたりしていないか……と思って探ってみたけれど、今のところそれもなさそうね」


 腕が縛られているのに、どうやって確認したんだ?


「おれを使ったのさ」


 そう言ったのはリッキーだった。


「そ。リッキーさんに指示をして指を動かしてもらって……、それで何とかアプリの状況を確認したって訳。リッキーさんもヒーニアスさんも問題なさそうだったわ。……あとはあんただけ。パスワード、忘れているとは言わせないわよ?」


 そんな簡単にパスワードを忘れる訳がないだろう……。ただの時計ならともかく、電話やネット、電子マネーも入っている高性能アイテムだぞ。逆に言ってしまえばこれとパスワードさえ手に入っちゃえば、その人間に成りすますことは容易に出来る訳だけれど、それについてはここで語るべきではないかな。まあ、本来は静脈認証をするからパスワードは必要ないんだっけ?


「それはあくまで正常時の場合でしょう……。こういう特殊な状況においては、静脈認証が上手くいかないことがあるの。だからそういうもしもに備えてパスワードなり指紋認証なりする訳だけれどね」


 ってことはこの四人は四人のパスワードを聞いた、ってことなのか?


「まあ、そうなるわね。だって耳を塞いでもらおうにも手が使えないんだから。やり方はわたししか知らない訳だし。……だから、わたしが教えて、他の人が指示して、もう一人が実際に指を動かす。そういう連携をして、初めて成り立つ訳だからね」


 リテラシーがどうなるのかは分からないけれど……、今は形振り構っていられる場合でもないのだし、それについては致し方ないのかな。取り敢えずは、自分の電子時計の安全性を担保しなければ何も始まらない。仮にここから脱出したとしても、監視アプリみたいなものを電子時計にインストールされていたら、それこそ筒抜けになってしまうのだから、その障壁を取り除かなければならないのだ。


「……で、実際これからどうするつもりなんだ? 正直におれの感想を言わせてもらうなら、巻き込まれただけでメリットが全くねえんだけれどな。これ、何かしら追加報酬とか出るんだろうね?」


 知るか、そんなの。

 ぼくだってこんなことになるのは想定外だったんだ……。いや、それは言い過ぎだな。そうなる可能性は十二分に有り得た。けれど、それをあくまで『最悪の可能性』と見做して、考えようとはしなかった。きっとそれはメアリだって同じだったと思う。上層街から落ちて来た、記憶喪失の女の子……。正直、それだけで見捨てる人は殆どだと思う。

 でも、ぼくは見捨てなかった。

 見たし、捨てることもしなかった。

 そんなことをしたからと言って、ぼく自身にメリットがあるとも言えないし、寧ろデメリットしかないと思わざるを得なかった訳だけれど、ともあれ、それをどうしようったって、ぼくが決めることだ。


「……それ、誰も巻き込まずに言えるならカッコいいんだけれどねえ。既にわたし達三人を巻き込んでいるのだし」


 言ったのはヒーニアスだった。五月蝿い、それぐらいぼくだって承知していることだ。理解しきっていることだ。言われなくても分かるぐらい――耳にタコが出来るぐらい、聞いた話だ。

 けれど、それぐらいのちっぽけなプライドを持ったって、文句は言われないだろう?


「……でも、そんなことを言ったところで、これが解決する訳でもねえしな。はっきり言って、どうすりゃ良いんだよこの状況……」


 リッキーが言ったその時、ガチャリと何かが開くような音が聞こえた。


「……誰が入ってくる?」

「普通に考えれば看守とか、それに近い役割を担う存在だろうけれど、そうではないのかもしれないね。……だって、もしそうだとしたら、一気に扉を開けないか? この様子だと、まるで――」


 ――まるで、中の様子を窺っているかのようだ。

 そう言いかけた直後、扉が完全に開かれた。


「……ここに居たのね」


 そこに立っていたのは、少し黒ずんでしまった銀髪と、それと対比するような真っ白い肌――そんな少女だった。その見た目は、何処か見覚えのあるような……。


「あなた……プネウマちゃん……じゃないわよね?」


 プネウマ……はこんな大きくないだろう。まさか僅か数分で成長した訳でもないだろうし。


「わたしの名前は、スピリトゥス。正式名称だと、スピリトゥス5号……。この施設の科学者には、そう呼ばれている」

「スピリトゥス……?」


 プネウマのようで、プネウマじゃない?

 何だか頭がこんがらがってきたぞ……。ここまでのあらすじを誰か簡単にまとめてくれないか。ここから読み始めた読者が混乱しかねない。


「スピリトゥスとは、管理者……。いえ、或いは魂……。それについては、歩きながら話しましょうか。時間はないけれど、未だ誤魔化しは出来るはずですから」


 と言うと、取り出したナイフで縄を切ってくれた。縄を切るということは、味方なのだろうか。それとも未だぼく達に何かしらの価値があると見込んで、今回何かを頼もうとしている?


「勘が鋭いですね。……それについても、お話しいたしましょう」


 全員の縄を解いて、安全が確認出来た後、スピリトゥス5号は言った。


「それではご案内しましょう。……これからは、スチーム・タートルの暗部です」


 暗部。その単語には何か深い意味があるのだろうか。ぼくはそんなことを思いながら――断る理由もないから――ただ頷くことしか出来ないのであった。 

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