第28話 休憩と計画 Intermission. 07
何処まで政府が考えているのか、それはぼくにだって分からない……。冷静に考えて、そんなことを考えたところで、自分の生活が何か変化するかと言われたら、当然何も変わらない。だったらそんな無駄なことはやめて、自分の生活のために行動するべきなのかもしれない。ベーシックインカムはあくまで生活が出来る必要最低限のお金でしかないため、より良い生活を送るためにはさらに自分で稼がなければならないという訳だ。
だから、ベーシックインカムが必ずしも悪い方向に行ったかといえばそうでもない。企業からしてみれば、社員の生活のことを――それこそ全て給与で生活をしていた時代と比べて――考えなくて良くなった訳だし、人件費自体も削れたのかもしれない。しかしながら、実際はその浮いた人件費をほぼ税金として政府に納めているため、企業の負担は然程変わっていないのだけれど。
そういえば個人事業主も税金を支払っているのだろうか?
「そりゃ、ちゃんとわたし達個人事業主も税金を支払っているのよ。知らなかった? まあ、社会に出たことがないニートのあんたにはそういうことも分からないと思うのだろうけれど。……それとも、今からでもやってみる? 価値はあるかもしれないわよ。大丈夫、昔みたいに退路が完全に断たれた訳じゃなくて、ベーシックインカムという逃げ道はあるから。ベーシックインカムから脱退したとしても簡単に再加入出来るはずよ……制度的にはね」
最後の言葉が恐ろしいよ。もっと夢を見させてくれないのか。そんなことを思ったけれど、メアリからしてみれば夢だけ見せて現実では百パーセント難しい――なんてことが起こり得るのだろうし、それについての責任は取れないし取りたくないのだろう。何故そんなことが言えるのかって? そりゃあ、ぼくだって同じ感想を抱いているからだよ。ベーシックインカムによって心に余裕が生まれているからって、人々が他の人間に余裕を持って対面出来るか――と言われたらそれは別の問題。そんなことがクリア出来ているなら、世の中の幾つかの問題はとっくにクリア出来ているだろうよ。もっと単純な世界になっているはずだ。
「別に政府の考えをここで聞こうだなんて、そんな高尚な考えは持ち合わせちゃいないわよ。……ただ、一つだけ言えるとしたら、この世界は残酷ではあるよな。努力が報われるかと思えばそんなことはないし、ベーシックインカムによって寧ろその努力を無碍にすることだって有り得る訳だし……。ベーシックインカムは確かに有難い制度ではあるのでしょうけれど、それが確実に全員を幸せにするのかと言われるとそれはイエスとは言えない。人の幸福の度合いは人それぞれなのだから、それをメジャーで測ることなんて出来ないのよ。ある人はこれだけ貰えれば嬉しいけれど、ある人はもっと欲しいと強請るかもしれない。さらに別の人はお金を価値のある物だとは認識していなくて、別にお金は要らない……なんて、そんな特異な人も居る訳だし」
貨幣経済の社会において貨幣を無碍にする人物を特異と見做すのは強ち間違っていないのかもしれないが……、しかしそれはそれでどうなんだろうか? やっぱりそれを正しいと誰もが認識するのは難しいはずなので、一概に一つの基準で決めることすらも烏滸がましいのかもしれないのだけれど。
「まあ、要するに人の幸せは人それぞれってことだよな。……メアリは探偵の仕事をしている時が幸せで、ぼくは普通に生きていることが幸せだから、働こうとは思わない。みんな違ってみんな良い……とは、何処かの文豪が言っていたような気がするけれど、それはやっぱり正しいことというか、真理を突いているような気がするんだよな」
「なに、一人で勝手に達観しているんだか。……実際はもっとちゃんとしているのが当たり前なんだろうけれど、やっぱりそれをどう捉えるかが問題に……」
「おはなしのところ、失礼するわね」
そこで話に割り込んで来たのはほかでもない、このお店のオーナーであるヒーニアスだった……。ヒーニアスはお盆を両手に持ってぼく達が居るテーブルの直ぐ横に立っていた。コーヒーの良い香りがする。お盆の上に載っているのは、マグカップとコップが一つずつ、それと円形のお皿だった。お皿の上には、茶色い丸型の山のような何かが載せられていて、甘い香りを放っている。
「はい、今日のケーキは……モンブランでーすっ」
ぼくのところにアイスコーヒー、そしてメアリのところにホットコーヒーとケーキを置いた。
「……おいしそう」
どれぐらい久しぶりに話したのか最早思い出せないぐらい久しぶりにプネウマは口を開けた。今の今まであんまり喋っていなかったよな。千文字文章が続いていたらそのうち十文字も喋ったかどうか分からないぐらいには、プネウマは無口だったと思う。まあ、口から先に産まれてきたんじゃないかってぐらい言葉をつらつらと並べられても、それはそれで困るのだけれど……。実際プネウマが喋る回数って三話に一回ぐらいの割合じゃないか?
「プネウマちゃんの喋る頻度については、今言うべき議題ではないでしょう……。確かにわたし達は喋り過ぎなのかもしれないけれど。コーヒーが来るまでの数分間に、どれだけの会話を交わしたか分からなくなるぐらいの会話は交わしたのだけれど」
そらみたことか。
とは言ったものの、ぼくも大っぴらに否定することは出来ない……。だってぼくも会話をしまくっていた訳だからね。それこそ、無駄な会話と有意義な会話がどれぐらい混ざっているのか分からなくなるぐらいに。伏線が入っていても気付かれないから、読者からしてみればそれはそれで混乱しそうだけれど、裏を返すと無駄な文章かどうか分からないから目が滑りやすかったりするんだろうなあ。少しは考えて話をしないと、無限にページが増えてしまうだろうし。
「あんたの話し方の問題については、今は議論の余地なしという考えで纏まっているのよ……。とにかく、今はプネウマちゃんから得られるヒントから、如何にして答えを導き出せるか……、そのことについて議論していかないといけない訳だから」
「そのことなんだが……」
ぼくは、漸く議論が進むと思って、少しだけどほっとした。ここに居る時間を完全に休息に割いてしまっても、あんまり問題はないのだけれど、プネウマが無事元々居た場所に戻れるか――或いはプネウマの正体を探し当てることが出来るのか――、それについては早急に対応しなければならないだろうし、暇人の権化たるぼくにとってみれば、やりがいのあることだったとも言える訳だ。こんなにやりがいを感じたのはいつ以来だろうか? 少なくとも学生時代にはそんな経験なかった気がする。学生時代、ぼくは学校一の落ちこぼれで有名だったからな。不名誉な称号であることはぼくだって認識していたから、あまり大っぴらに言えるものでもなかったけれど。
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